堺屋太一が語る「大阪市長選の意味」

政治・外交

11月の大阪府知事と大阪市長の「ダブル選挙」。一地方選挙がこれほどの注目を集めた理由は何なのか?また、国レベルにどのような影響を及ぼすのか?橋下新市長のブレーンでもある、堺屋太一氏が解説する。

官僚支配下の行政機構

長く鎖国を守り続けた徳川幕藩体制が崩れ、日本が開国と近代化へと向かう端緒となった1860年代の明治維新。今、日本では、それに比肩しうる国家的変革の胎動が聞こえている。

11月27日に行われた大阪府知事と大阪市長の「ダブル選挙」において、その名も「大阪維新の会」が推す松井一郎、橋下徹の両氏が勝利した。特に「維新の会」代表である橋下氏は、府知事を敢えて辞任し、「格下」とされる市長選に挑んで圧勝した。彼がなぜそのような行動を取ったのかを理解するためには、日本の特異な行政機構と、その下での「大阪の悲劇」について語る必要がある。

橋下徹氏(写真左)と共に、大阪府知事選に出馬した松井一郎氏(同中央)の応援演説に駆け付けた堺屋太一氏(同右)(2011年11月10日、 写真=産経新聞社)
橋下徹氏(写真左)と共に、大阪府知事選に出馬した松井一郎氏(同中央)の応援演説に駆け付けた堺屋太一氏(同右)(2011年11月10日、 写真=産経新聞社)

日本の特異な行政機構

議会、内閣、官僚組織の関係を、日本と同じ議院内閣制の英国と比較すれば、その「ユニークさ」は一目瞭然だ。英国では内閣が「中心」にあって、議会からの質問はすべて自らが受ける。官僚組織に助言を求めることはあっても、議会との接触はすべて内閣が負う。これに対して日本では、官僚機構が国会議員に「根回し」をする。「この法律を通して下さい」「予算を付けて下さい」と、直接「要請」する。議員は議員で官僚からの情報を当てにする。内閣の役割は何かといえば、官僚たちに言われるがままに、粛々と政治手続きを行うことでしかない。

官僚主導の統治は、地方自治体――都道府県――にもそのまま反映されており、国と地方の官僚組織は強いパイプで結ばれている。都道府県レベルでそれを束ねているのが知事室で、知事のみが辛うじて全体を把握している。ところが、全国に47人いる知事のうち、なんと34人が国の官僚出身者。これが日本の行政機構の実態である。

大阪の場合は、狭い地域に大阪府と大阪市が並び立っている。私が生まれた1935年頃は、大阪市を出ればほとんど田園地帯で、地下鉄などの公共交通や水道といった都市機能は、市が担えば十分だった。しかし、高度経済成長を経て状況は大きく変わった。2010年の統計によれば、府の人口が880万人に対し市は270万人。府にも都市機能が必要になっている。このため、大阪府・市の「二重行政」が激しくなった。

「同じような仕事」を、府と市が別々にやる。さらには、双方が同じ機関や施設を作る。そこにあるのは信じがたい非効率、壮大な無駄にほかならない。加えて、「東京一極集中」により経済の中枢機能と情報発信機能を奪われた大阪は、中央官庁の下請けと化し、事業も職権も利権化を強めた。背景には、民需が減って、相対的に官需が高まったことがある。

こうした地方のあり方を問うたのが今回の「ダブル選挙」だった。府知事として一定の成果を上げた橋下氏の、今度は市長として市役所改革と「二重行政」の解消に着手したいという意思に、有権者は圧倒的な賛成票をもって応えたわけである。

「橋下改革」は官僚組織を変えるか

「二重行政」打破に向けて「維新の会」が掲げるのは、「大阪都構想」だ。簡単に言えば、現在の府と市の枠組みを解体し、大阪都と人口数十万人程度の基礎自治体(およそ10の特別自治区)に再編する。実現すれば、基本的な住民サービスは基礎自治体が、広域的な公益サービスや大きな政策は都が担うことになる。

こう書くと簡単そうに聞こえるかもしれないが、事は単純ではない。大阪府議会と大阪市議会、そして同じ政令市の堺市議会での決議を経て、住民投票で賛成多数となることが必要だ。国会での地方自治法などの改正も不可欠である。「抵抗勢力」も多い。その際たるものが、「効率化」によって権力を奪われ、ポストが減るかもしれない官僚、公務員であることは論をまたない。

「公務員制度改革」は、自治体の組織再編と並ぶ「橋下改革」の柱である。日本の公務員は、「職業」ではなく「身分」だ。能力や努力に一切関わりなく、就職時の試験と在籍年数に従って出世し、給料も上がっていく。原則として、途中でクビになることもない。信じがたいことに、5年以上学校を「欠席」しているのに月給だけもらっている教師もいたりする。「身分」を脅かされたくないと考えるのは、人情だろう。だが、国にも大阪にも、いつまでもそんなことを許している余裕はない。

大阪府議会では、「維新の会」が単独過半数を占める。上程されている大阪府教育基本条例及び同職員基本条例は、成立が確実だ。これらの条例には、勤務成績不良の教員、職員に解雇を含む処分を可能にすることや、府の公益法人への公務員の天下りを一切禁じることなどが盛り込まれており、インパクトは小さくない。官僚と労働組合の結託により、難攻不落と思われてきた公務員の「身分制度」に、風穴を開けるきっかけになるかもしれない。

「大阪の悲劇」からの復活と日本の改革

繰り返しになるが、「都構想」を実現するためには、国会での法改正が必要になる。裏を返せば、各政党、国会議員は、大阪の有権者が圧倒的に支持したこの改革に対して、賛成なのか反対なのか、国会の場で“踏み絵”を踏まされることになる。もはや「都構想」が、大阪という一地方だけの問題でなくなったのは確かだ。

私は、通商産業省(当時)の担当官として、1970年に大阪で開かれた日本万国博覧会の準備に携わった。当時の大阪には、金融、繊維、家電といった産業の中枢機能があった。関西歌舞伎や関西文壇もあったし、今や日本を代表する文化である漫画に関しては、東京を凌ぐ多くの人気作家が大阪を拠点に活躍していた。それは、大阪の「輝ける時代」だった。

同時に、大阪は1980年代頃まで新しい産業や業態の発信基地でもあり続けた。スーパーマーケット、コンビニエンスストア、プレハブ住宅、引越しセンターなど、大阪に発祥した新しい事業形態は数え上げ始めたらきりがない。ところが「東京一極集中」が加速し、「二重行政」の矛盾が拡大した結果、大阪が衰退し始め、日本から新しい産業が生まれなくなってしまった。

大阪の復活は、ただ大阪のためだけのものではない。中央集権で失われた日本の活力を、地方から取り戻す戦いでもある。「都構想」が軌道に乗り、公務員による利権化構造が正されたならば、大阪人のよく言えば「進取の気性」、悪く言えば「軽薄な性格」がいかんなく発揮され、新産業、新業態、奇抜なデザインが再び生み出されるようになると私は思う。

幕末、大半の日本人は「尊皇攘夷」(外国人敵視の思想)にかぶれた。尊皇攘夷運動が盛り上がった背景には、開国を渋る幕府のプロパガンダがあった。幕府は、外国人の顔を天狗や鬼の姿に描いた錦絵を流布させていたのである。例えば、今、TPP(環太平洋パートナーシップ)加盟をめぐって「外国農産物は恐い」と主張する農水省官僚の言動は、それに似ていないだろうか。「開国」されたら、国内の農業を利権化している自分たちの権限が毀損される。その発想は、幕藩体制の特権階級だった武士たちと何ら変わらない。ちなみに、明治に入ってからの錦絵には、例外なく美男、美女の外国人が描かれている。日本人とは、そういう民族なのである。

明治維新は、幕府の改革の結果ではない。高杉晋作らがクーデターを起こして、長州藩が実権を握ったのが端緒である。地方から燎原の火のように広がった討幕運動は、紆余曲折を経ながらも3年余りで成就する。日本においては、太平洋戦争を境にした政治体制の変革も素早かった。繰り返すが、ハードルは低くはない。流れができ始めたら、意外に早く改革が現実のものとなるかもしれない。

地方自治法などの改正案は、1月から始まる通常国会に提出される予定だ。

構成=南山 武志

撮影=久山 城正

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