金正恩の北朝鮮と民主化、核、拉致、日米同盟

政治・外交

北朝鮮の金正日総書記の死去は日本と東アジアにどのような影響をもたらすのだろうか。朝鮮半島情勢を専門分野とする早稲田大学の重村智計教授が、北朝鮮の民主化、日本人拉致問題、核問題のゆくえを展望する。

北朝鮮は2011年12月19日に金正日・国防委員長の死亡を発表した。アジアから独裁者が一人消えた。2011年は1月にチュニジアの独裁者が逃亡し、エジプト、リビアで独裁者が倒れた。最後が金正日委員長の死去だった。2011年は世界で独裁者が消えた歴史的な年であり、エジプトやリビアの民主化が注目されている。北朝鮮でも同じような個人崇拝独裁はもう無理だろう。だが、北朝鮮が民主化するにはまだまだ時間がかかる。

北朝鮮はアジアの最貧国

北朝鮮はアジアで最も貧しい国である。この現実を忘れてはならない。北朝鮮は世界を動かせる大国ではない。周辺大国は北朝鮮に振り回されてはならない。

北朝鮮の2011年の国家予算は、現在の為替レートではわずか48億円しかない。アジアの国家の中で最低の国家予算である。これは2009年末にデノミネーションを行い、通貨の切り下げを行ったため、極めて小さな数字になったものである。しかし、デノミ前でも国家予算は5000億円しかなかった。それでもアジアで最も小さな国家予算である。

北朝鮮はまた、石油を一滴も生産しない国である。中国から2011年に50万トンの原油を輸入した。ロシアからはわずかな量の石油製品を輸入している。年間の石油輸入量は70万トン以下である。アジアで最も石油の無い国である。

慢性的な物不足で物価上昇が激しい。タバコ1箱の値段は、首都の平壌で2011年秋には約2,000ウォン(約20米ドル)であった。タマゴ4個が、2,500ウォン(約25米ドル)という物価高である。一般労働者の1カ月の給与は約4,000ウォン(約40米ドル)だから大変だ。食糧難も日常化している。多くの一般市民が生活の苦しさに喘いでいる。

これが北朝鮮の現実である。指導者は贅沢な暮らしをしているのに、国民は貧しさと人権弾圧に直面している。

「独裁者の死」と報じなかった日韓メディア

米国のニューヨーク・タイムズは、金正日委員長の死について「独裁者の死亡」と表現した。しかし、韓国の新聞は「独裁者」の言葉を使わなかった。日本でも、ただ一紙が「独裁17年の終了」と報じた。日本と韓国では、「独裁者の死」として受け止めていないようだ。

北朝鮮の周辺国は、民主化や人権問題の解決を強く要求していない。特に、中国は北朝鮮の民主化と人権問題に関与しない。中国自身が民主化と人権問題の課題を抱えているからだ。

日韓のメディアは、なぜ「独裁」と表現しないのか。韓国の場合は、国内になお北朝鮮を支持する勢力が存在するからである。「独裁」や「独裁者」と言うと批判や攻撃を受ける。日本の場合は、新聞やテレビ等のメディアが北朝鮮への入国や取材を希望しているため、「独裁」と表現しにくい事情がある。民主化と人権問題解決への意識が低いというしかないだろう。

日本のメディアの関心は、金正日委員長の死後に(1)軍事衝突はあるか、(2)混乱やクーデターは起きるか、(3)北朝鮮は崩壊するか、(4)拉致問題は解決するか、(5)核問題は解決するか——に集中した。北朝鮮の民主化や人権問題は関心を引かなかった。

北朝鮮は軍事衝突や戦争ができない。北朝鮮には石油がないからだ。軍事用に使える石油は最大で40万トンしかない。100万人の兵隊を抱えながらこんなに石油の無い軍隊は、世界のどこにもない。だから戦争や軍事衝突は継続できない。また兵器も旧式化している。

民衆の蜂起やクーデターもしばらくは難しい。北朝鮮では、数人が秘密に集まると逮捕される。また、軍の将軍や幹部は24時間監視され、自宅にまで盗聴装置が隠されているという。クーデターの計画を練るのも難しい。だが、新しい指導者への支持と尊敬の感情が失われると、やがてクーデターが起きる可能性はある。

北朝鮮の崩壊は、短期的にはないだろう。中国と韓国が崩壊を望んでいないからだ。北朝鮮が崩壊すると、韓国に統一される。そうなると、在韓米軍の基地が中国国境近くまで移動するかもしれない。また、中国の渤海湾まで米国の空母がやってくる恐れがある。これは中国にとって安全保障上の大きな脅威になる。だから中国は北朝鮮を崩壊させるつもりはない。中国は必要最低限の支援をして、北朝鮮の新指導者を支えるのである。

拉致解決は日米共通の価値観

日本人拉致問題の解決は、日本にとって最も大きな課題である。金正日の死去で解決の可能性がいくらか出て来た。拉致の責任を金正日に押し付ける事ができるからだ。

日本政府は公式に17人の日本人が北朝鮮によって拉致されたと認定している。このうち5人は帰国したが、残りの12人はまだ消息も分からない。北朝鮮はほぼ全員が死亡したと発表しているが、日本国民は信頼できないと考えている。なお、多くの拉致被害者が生存している可能性が高い。

拉致問題の解決は日米同盟を左右する問題だ。同盟には共通の敵と共通の価値観が必要だ。日本とアメリカは、北朝鮮を共通の敵として同盟を維持している。もし、日米の一方が相手の了解無しに北朝鮮と国交正常化すると、共通の敵を失い、同盟は弱体化する。その意味では、単独での日朝正常化や米朝正常化は危険である。同盟を崩壊させかねない。

同じように、拉致問題の解決は「価値観の共有」である。拉致問題は人権問題である。アメリカが日本人拉致問題に関心を払わないと、「価値観の共有」を失い、日本国民は日米同盟を信頼しなくなる。だから日米同盟の維持に拉致解決は、大きな要素となっているのである。

アメリカが北朝鮮の民主化と人権問題に関心を寄せ、日米同盟の維持を目指すなら、「拉致問題の解決はアメリカの問題ではない」といった態度を示してはいけない。人権問題の解決は日米共通の価値観であると宣言すべきだ。

拉致問題は北朝鮮による日本の主権侵害である。北朝鮮の工作員が日本に密入国し日本人を誘拐した。日米共に北朝鮮による主権侵害を問題にし、国際法に従った解決を求めるべきだ。主権侵害は「原状回復」が原則だから、北朝鮮は拉致被害者全員を帰す義務がある。

核問題と六カ国協議

金正日総書記の死去は核問題解決のチャンスだと判断する人たちがいる。これは北朝鮮の内情に無知な人たちだ。北朝鮮の軍部は、核放棄しない方針を後継者に認めさせているからだ。

北朝鮮の新しい指導者は軍を完全に掌握していない。後継者の金正恩氏は権力を維持するために、軍の意向に配慮せざるをえない。軍の支持と協力がなければ体制は維持できないからだ。北朝鮮の軍は絶対に核兵器を手放さない方針だ。核兵器を放棄すれば、世界の最貧国である北朝鮮は大国に崩壊させられ、軍の威信も失われると理解している。

後継者の金正恩氏と軍の間では、後継者は軍の意向を尊重するとの合意ができているという。だから、六カ国協議が再開されても核問題の解決は簡単ではない。

これまでの核交渉で米国は簡単に宥和策を取った。これが核問題の解決を難しくしてきた。

核開発は簡単に5段階に分けられる。それは、(1)研究・施設建設、(2)核施設運転、(3)実験、(4)配備、(5)輸出——である。この5つの段階を一挙にまとめて解決しないと、核問題は解決しない。

アメリカは「核施設の運転中止」や「核実験中止」などの部分的な合意にこぎ着けると、食糧や石油を支援し、現金も支払った。ところが米朝関係が悪化すると、北朝鮮は約束を反古にし、核開発を再開した。米国のライス前国務長官は、北朝鮮のこうした戦術を「サラミの薄切り」と批判した。ところがクリストファー・ヒル国務次官補は、この「サラミの薄切り」に騙され譲歩した。だが、核問題は解決しなかった。

米国は過去20年間で何度も同じ失敗を繰り返してきた。それは、部分的な合意と「サラミの薄切り」外交を行ったからである。失敗を繰り返さないためには、簡単に政策を変更したり、北朝鮮に多量の食糧支援をしてはいけない。

米国のオバマ大統領は韓国の李明博大統領と共に、「北朝鮮が核開発を放棄しない限り支援しない」との政策を貫いて来た。この方針を変えてはならない。北朝鮮の後継体制は、極めて苦しい状況に立たされている。それに対して無条件で支援を再開すれば、北朝鮮は「核を放棄しなくても大丈夫だ」と誤解する。

日米韓三国は「核を放棄すれば支援する」との基本戦略を維持した上で、対話と説得を続けるのが望ましい。「対話は常に継続するが、安易に対価は与えない」(Dialog but no Aid with Nuke)政策を貫くべきだ。

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