日本の冤罪はなぜ起きるのか

佐野 眞一【Profile】

[2012.07.24] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

冤罪(えんざい)事件が相次いで明るみに出るなかで、「東電OL殺人事件」の被告として無期懲役の判決を受け、15年間収監されていたネパール人の再審が決まった。当初から事件を追っていたノンフィクション作家が、再審の背景を検証する。

2012年6月7日、「東電OL殺人事件」のゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者の再審(裁判のやり直し)が決まった。同時に「刑の執行停止」も決まった。

この決定によって、横浜刑務所に無期懲役で収監されていたゴビンダ受刑者は、横浜入管に移送され、6月15日に故国ネパールに18年ぶりに送還された。

再審が認められるだけでも異例なのに、その日のうちに刑の執行停止が決まり、釈放までされて帰国できるというのは、異例中の異例の出来事だった。

最新のDNA鑑定が再審の決定打

日本の司法が再生できるかどうかを問う事件の再審の重い扉がやっと開かれ、無実の罪で異国の獄舎に15年も閉じ込められていたゴビンダ氏が、家族と一緒に帰国できたことをまず喜びたい。

この思いがけない決定が出た背景には、最新のDNA鑑定の結果、冤罪(えんざい)が確定して釈放された足利事件の菅家利和(※1)さんや、誤審が明らかになった布川事件(※2)、さらには厚労省の村木厚子(※3)元局長に対する大阪地検特捜部の証拠改ざん事件など、司法の信じられない不祥事の連続がただならぬ危機意識となって法務省当局の中枢部を直撃し、それがいわば“逆バネ”となって作用したことがあげられる。

これは信頼性が完全に地に堕ちた司法の世界に大きな風穴を開ける第一歩だった。勇気ある決断だったと率直に評価したい。

再審開始の直接の決め手となったのは、2011年7月、殺害現場から発見された陰毛と被害者の体内に残されていた精液が、最新のDNA鑑定によってゴビンダ氏以外の第三者のDNAと判明したことである。

ゴビンダ氏無罪の決定的な証拠が出た昨年は、日本が大津波と原発事故という未曽有の大災害に見舞われた年だった。そこに司法の世界の動きをからませるとき、歴史的暗合を感じる。

福島第一原発の事故を一言で要約すれば、私たちが信じ込んできた「安全神話」の崩壊だったといえる。

では、司法の世界はどうか。数々の不祥事を見てもわかるように、本当はとっくに信頼性は揺らいでいるのに、いまだに「無謬(むびゅう)神話」にしがみついていないか。

再審開始決定を聞いた検察庁の幹部は「到底承服できぬ決定」とコメントした上、再審開始決定に異議申し立てをした。

この期におよんでの悪あがきは笑止千万というほかはない。検察はこれ以上恥をかきたくなかったら、組織防衛と自己保身だけが目的のこのみっともない異議申し立てを即刻取り下げるべきである。

それは、あまりにも子どもっぽい振る舞いであり、せっかく信頼性を取り戻す決定をした司法の世界を、またブラックボックスに引き戻す振る舞いである。

アンフェアな検察による不利な証拠の提示拒否

人間は時として誤りを犯す。そのとき、素直にそのことを認めて謝罪できるかどうかで、その人間の価値と信頼性は決まる。私たちはそのことを昨年の「3.11」で骨身にしみてわかったはずである。

さて、日本ではなぜ冤罪が後を絶たないのか。その第一の理由としてあげられるのは、証拠開示の不透明性である。私が取材した東電OL殺人事件の例で説明しよう。

証拠提示をめぐる検察側と弁護側の争いは、白と黒の駒をお互いひっくり返して争うオセロゲームに例えるとわかりやすい。

裁判の世界に不案内な人は、検察側と弁護側は対等な立場でオセロゲームに臨んでいると思っているだろう。だが、彼らの立場はまったく対等ではない。

もし弁護側が、検察側にとって不利な証拠の提示を求めたときには、検察側は拒否することができるのである。そんなバカなことがあるものかと思われるかもしれないが、東電OL殺人事件の裁判でも、実際にこんなことがあった。

15年前の事件発生当時、殺害された東電OLの乳房と首筋から見つかった唾液のDNAは、実はゴビンダ氏のものではなかった。それが、明らかになったのは弁護側が新たに証拠開示を求めて、検察側が渋々それに応じた昨年7月のことだった。

2009年5月から始まった裁判員裁判では、公判前手続きといって、弁護側が検察側に要求する証拠はすべて提示しなければならないことになったが、それ以前はまったくフェアな戦いではなかったのである。

もう一度オセロゲームに例えれば、絶対有利な四隅の駒は検察側がいつも握っていた。これでは冤罪が発生しない方がおかしい。

“見込み捜査”が冤罪の温床

もう一つ言っておきたいのは、一度こうと決めたら見直すことをしない警察の見込み捜査の恐ろしさである。

東電OL殺人事件の捜査に当たった警視庁の幹部は、この事件が再審決定になったとき、「われわれの捜査に絶対間違いなんてない」と断言した。この幹部が、ゴビンダ氏を取り調べたとき、ニヤッと笑ったからこいつは犯人に違いないと言っているのを聞いて、開いた口がふさがらなかった。

こんないいかげんな見込み捜査で犯人にされたらたまらない。ゴビンダ氏が失ったかけがえのない歳月を日本の警察と検察はどう補償するのか。あらためて怒りを覚える。

この事件が冤罪となった背景に、日本人の少数民族に対するレイシズム(民族差別)が横たわっていたことも指摘しておきたい。

東電OL殺人事件の容疑者が欧米人や韓国人、中国人だったら、それらの国からの政治的圧力を恐れて、日本の裁判所はゴビンダ氏に無期懲役判決は出せなかっただろう。

ゴビンダ氏はネパールというアジア最貧国からの出稼ぎ労働者だったから、見込み捜査で容疑者とされ、杜撰(ずさん)きわまる裁判で有罪となった。ちなみに事件当時、日本はネパールへのODA(政府開発援助)の最大出資国だった。

そもそも事件現場を歩いただけで、ゴビンダ氏が犯人ではないことはすぐわかる。東電OLの遺体が発見されたアパートと、ゴビンダ氏が暮らしていた部屋は、直線距離にして1メートルと離れていない。

東電OLが殺害されたのは1997年の3月8日の深夜である。遺体が発見されたのは、それから11日後の3月19日だった。

もしゴビンダ氏が犯人とするなら、その間、高飛びできる時間は十分にあった。ところが、ゴビンダ氏は高飛びしなかったどころか、オーバーステイで逮捕されるのを承知の上で、警察に自首した。

自分が殺した女性の遺体がある部屋から、目と鼻の先の部屋で11日間も暮らせる人間がいるとしたら、映画「ハンニバル」のレクター博士のような先天的殺人鬼以外考えられない。

各方面から実現が叫ばれながら、取り調べの可視化が一向に進まないことも、冤罪を生み出す温床となっている。

取り調べの可視化と証拠の全面開示が不可欠

事件発生直後、私はネパールに飛び、ゴビンダ氏と同じアパートで暮らした同室者たちに会って、ゴビンダ氏が犯人ではないという決定的な証言を得た。

同室者の一人はゴビンダ氏にアリバイがあることを証明したし、別の同室者は警察に殴る蹴るの暴行を受けた上、就職斡旋の便宜供与を受け、ゴビンダ氏を犯人に導くような証言を強要されたと告白した。警察はまさにアメとムチを使って、ゴビンダ氏を犯人に仕立て上げたのである。

これらの証言はネパールから帰国後、現場で確認した。警察から取り調べの際に暴行を受けたと証言したネパール人は、その治療をした病院の診察券を提供してくれた。その病院を訪ねて、ネパール人がケガの治療をしたことを確認できた。

警察から口止めの対価として就職あっせんをしてもらったと証言したサラ金が本当にあったときは、驚がくした。警察は出入国管理法違反を承知の上で、警察OBが社長を務めるそのサラ金に、不法滞在のネパール人の就職あっせんをしたのである。

だが、客を装って連絡を取ったその翌日には、それ以上取材されるのを警戒してのことだろう、そのサラ金が煙のように消えていたのには、驚きを通り越して、命の危険さえ感じた。

日本の冤罪を根絶させるには、取り調べの全面可視化と、証拠を全面的に開示することから始めなければならない。

東電OL殺人事件とは

1997年3月8日深夜、東京都渋谷区円山町のアパート1階空き室で、東京電力の女性社員(当時39)が絞殺され、同月19日に発見された。バッグから現金4万円が奪われていた。現場の隣のアパートに住んでいたネパール人ゴビンダ・プラサド・マイナリ被告(当時37)は不法滞在の発覚を恐れ逃走したが、殺人犯と疑われていると知り出頭。入管難民法違反(不法残留)で逮捕された後に強盗殺人容疑で再逮捕された。

一審では無罪判決だったが、控訴審は、ゴビンダ氏以外の第三者が現場に入ることはおよそ考え難く、ゴビンダ氏の弁解も信用できないなどとして、ゴビンダ氏に対して無期懲役の有罪判決を言い渡した。最高裁判所も上告を棄却し、控訴審判決が確定した。

ゴビンダ氏は、2005年3月24日、東京高等裁判所に再審請求の申し立てを行った。2012年6月7日、東京高等裁判所は、「再審を開始するとともに、刑の執行を停止する旨の決定をした。ゴビンダ氏は同日横浜刑務所(横浜市)を釈放されて身柄を入国管理局に移され、入管難民法違反の罪に伴う国外強制退去の手続きに従って、6月16日ネパールに帰国した。

(2012年7月11日記)

タイトル背景写真=ネパールに帰国し、自宅のバルコニーから手を振るゴビンダ・プラサド・マイナリさん。写真=時事通信社

 

(※1)^ 1990年5月12日、栃木県足利市のパチンコ店で行方不明となった女児(当時4歳)が、翌日、パチンコ店近くの渡良瀬川の河川敷で死体で発見された事件。わいせつ目的の誘拐・殺人事件とされ、幼稚園の送迎バスの運転手だった菅家利和さん(当時43歳)を91年12月1日に任意同行、21日に自白を根拠に逮捕、検察の起訴に至った。菅家さんは第一審の途中から否認に転じたが、93年7月7日、宇都宮地裁は無期懲役の判決を言い渡し、東京高裁も控訴を棄却。2000年7月17日の最高裁判決で有罪が確定した。菅家さんは02年12月25日、宇都宮地裁に再審を請求。地裁は請求を棄却したが、即時抗告による東京高裁での審理でDNA再鑑定が認められ、その結果、女児の下着に付着していた体液と、菅家さんのDNAは一致しないと分かった。再鑑定結果を受け、東京高検は菅家さんを刑務所から釈放(再審前に釈放するのは異例)。2009年6月23日、東京高裁は再審開始を決定した。再審公判では、2010年3月26日に無罪判決が言い渡された。

(※2)^ 1967年8月、大工の玉村象天(しょうてん)さん(当時62歳)が自宅で絞殺され、現金が奪われた強盗殺人事件。近くに住んでいた桜井昌司さんと杉山卓男さんが強盗殺人罪で起訴された。78年に無期懲役が確定。96年に仮釈放された。2001年の2度目の再審請求を受け、水戸地裁土浦支部が05年に再審開始を決定。東京高裁、最高裁も決定を支持し、再審公判が10年7月から始まり、2011年5月24日に無罪判決が言い渡された。

(※3)^ 郵便割引制度を悪用して多額の郵送料を免れたとして、大阪地検特捜部が09年2月以降、広告会社幹部らを摘発。捜査の過程で、偽の証明書が厚生労働省から発行されたことが判明。特捜部は09年6月、村木厚子・同省元局長らを虚偽有印公文書作成・同行使容疑で逮捕したが、村木さんは2010年9月に無罪判決が確定した。

脚注参考:kotobank.jp

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  • [2012.07.24]

1947年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。出版社勤務、業界紙記者を経てフリーに。81年「週刊文春」連載「ドキュメント・ニッポンの性」で注目され、以後、精力的に次々と話題作、問題作を発表している。『旅する巨人』で大宅壮一ノンフィクション賞、『甘粕正彦 乱心の曠野』で講談社ノンフィクション賞受賞。『東電OL殺人事件』は被告無罪論を展開して話題を呼んだ。

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