日本柔道に未来はあるか

松原 隆一郎【Profile】

[2013.03.27] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | العربية |

弱体化や体罰問題などで揺れる日本柔道界。柔道3段で「生涯武道家」を自負する社会経済学者が、日本柔道の根深い問題に迫る。

柔道界にある4つの危機

今日、日本柔道は危機的な状態にある。危機には、「競技力の危機」、「全日本女子の危機」、「体罰による危機」、「安全性の危機」の4つの面がある。

「競技力の危機」は、日本が柔道競技において世界最強とは言いがたくなってきたことである。女子はもともとヨーロッパで競技化が先行したことから、五輪の競技種目となった(1992年バルセロナ大会)当初はどの階級も優勝できなかった。しかし、現在は複数の階級で世界選手権・オリンピックともに金メダリストを輩出している。一方、男子は1964年のオリンピック参加以降お家芸とされ、両大会で金メダルを獲得してきており、 実力が不十分であっても代表になれば 「金メダルを取って当然」とみなされていた。

けれども男子に関しては、2009年世界選手権(オランダ・ロッテルダム)で初めて金メダルゼロとなり、2012年ロンドン大会では五輪でもついに金メダルゼロを記録した(全日本男子監督はともに篠原信一)。

部活では体罰が当たり前

ところが、昨年(2012年)12月にロンドン五輪の代表を含むトップの女子選手15人が、全日本女子の園田隆二監督が仲間に対して振るった暴行について日本オリンピック委員会(JOC)に告発した。園田監督は辞任、現在は第三者委員会が聞き取り調査を行い、全日本柔道連盟の抜本的改革を求める提言書を提出した。

暴行はもっぱら体罰によるものである。日本では中学校から大学に至るまでクラブチームとは異なる部活動が盛んで、とりわけ柔道は部活動以外では選手がほとんど存在していない。そして柔道の強豪校では、なかば常識のようにして指導者が体罰を行ってきた。負けると平手打ちにされる、「柔道を辞めろ」などの暴言を受ける、「勉強なんかするな」と私生活にまで干渉するといったことである。

多くの指導者は、残念なことに「体罰によって部が強くなる」と信じており、体罰を受けて育った選手たちも引退して指導者になると、自分の現役時代を正当化したいためか、体罰を自分の選手に対して振るってしまう。そうした悪循環が定着してしまっている。園田隆二全日本女子監督は、そうした指導を全日本女子チームで行ったのである。

ただし、「全日本女子の危機」と「体罰による危機」は、別次元のことがらであることに注意しなければならない。今回告発した15人は日本代表になる可能性のある選手たちで、勝ち抜いてその地位を築いたためにこれまで体罰を受けた経験がほとんどない。そして全日本チームでは、男女を問わず監督が経験したのと同等か、もしくはより高い地位(五輪王者)を目指すため、これまで監督と選手は対等な立場にあるといった紳士・淑女の協定が慣行として守られてきた。

園田元監督の行為で特筆すべきは、中高生に向けるかのような「ブタ」「バカ」といった暴言を全日本チームで吐いた点にある。 オリンピック憲章の「オリンピズムの基本原則」には「オリンピズムの目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある」とあり、体罰や暴言は「人間の尊厳を保つ」に抵触する。

全柔連の危機感の欠如

柔道の「安全性」については、「全国柔道事故被害者の会」が声を上げるまで詳細は広くは知られてこなかった。この会の指摘では、28年間で114人の子どもが死亡しており、それ以外にも遷延性(せんえんせい)意識障害、つまり「植物状態」に陥った人や後遺症で深刻な脳機能障害に悩まされている人も多いという。

これらの危機に共通しているのは、問題を指摘されても、全柔連は検証せずに放置するか、後追いであわてて対策を立ててきたことである。ロンドン五輪の「惨敗」に関しては、全柔連の吉村和郎元強化委員長が「選手の精神力がひ弱になった」などのコメントを残した以外には、公式の検証結果は公表されていない。

ロンドン五輪後の9月、ある女子選手が園田元監督による暴言や暴行につき全柔連に相談をもちかけたが、全柔連は園田氏の留任を発表した。そののちに園田氏が謝罪をし、和解したことになっていた。ところが同選手が大会で優勝したところ園田氏が「自分が厳しく指導したおかげで勝てた」と暴行にかんする反省のない発言をしたために、15名が匿名の連名でJOCに告発、2013年1月になって告発が報道されたという経緯があると聞く。

安全性の危機についても、「被害者の会」がマスコミに訴える前にも全柔連は予算から「お見舞い金」を拠出しており、実体はかなり把握してきたはずだが、抜本的な対策は立ててこなかった。

勝たせることにしか関心がない

現在、柔道界は「危機」にあるとされているが、それも「マスコミが騒いだだけ」というのが全柔連のとらえ方だった。「被害者の会」や女子選手による告発がなければ、競技成績以外は危機そのものが認識されていなかっただろう。

これまでこうした危機に対し、全柔連の表だった対策は、「正しい柔道を普及させる」というものだった。「正しい柔道」とは主に組み方のことで、選手が互いに襟と袖を持つ。フランスなどでは「クラシック」な組み方と表現されているが、日本以外の選手は特に日本人と対戦する場合、背中や袖口を持ったりタックルしたりしてきた。日本の柔道界にはそうした持ち方を「JUDO」と呼び、毛嫌いする傾向がある。また、「正しい柔道」には、礼法も含まれることがある。

これらは体罰や安全性とは直接には関係がない。つまり危機は、襟と袖を持つという技術や、礼法の乱れにすぎず、体罰や安全性の軽視は「武道だから当然」のことと考えられてきたのである。

こうした風潮の背景には、日本の選手育成の仕方がかかわっていると思われる。クラブチームであれば月謝を取るので、怪我(けが)には指導者が細心の注意を払うし、体罰も保護者が風評を流せば経営が成り立たなくなる。その点、日本では、小学校時代に(講道館を含む)町道場かスポーツ少年団で柔道の手ほどきを受けるが、 月謝は1000〜3000円で 、それ以上取ると陰口をたたかれる。したがって優秀な指導者は「試合で勝つ」ことによってしか名誉を守れなくなり、体罰に走ったり弱い子の安全性には配慮が足りなくなったりする。

そして全柔連は、小学校から大学に至るそれぞれの全国大会で強い子どもを見つけ出し、指定選手にして国際大会に派遣するための選手育成組織となっている。「勝つ」ことにのみ関心が注がれているのだ。

柔道界の構造問題

実は、1980年代に日本の柔道界は、分裂の危機に陥っている。学生柔道連盟が全柔連を脱退するという紛争が勃発したからで、4年間の紛糾ののちに結果的には家元である講道館と、もともと講道館を母体として設立された競技組織である全柔連の組織を、きっちり分割することを中心的な条件として、両者は和解した。

ところがその後、全柔連会長の上村春樹氏が講道館長をも引き継いだため、両組織の権力分割は有名無実となった。競技においても、事故に対しても速やかな対応ができなかったり、闊達(かったつ)な議論が行われない主な理由は、ここにある。使途不明金の存在も、報道されている。権力の独占が解消されることが、危機を乗り越える鍵として注目されている。

一方、現在の危機にもかかわらず、日本では毎日のように大会があり、稽古は全国で盛んに行われている。指導者の人材にも事欠かない。組織の刷新が断行されれば、柔道界は危機を克服すると、筆者は信じている。

(2013年3月13日 記)

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  • [2013.03.27]

東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は社会経済学、経済思想。1956年生まれ。柔道三段で、東京大学柔道部部長。主な著書は『武道を生きる』(NTT出版/2006年』、『日本経済論―「国際競争力」という幻想』(NHK出版/2011年)、『ケインズとハイエク』(講談社/2011)など。

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