歴史的役割を終えた経団連、一から出直しを

森 一夫【Profile】

[2014.02.13] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS |

日本経団連次期会長に榊原定征・東レ会長が内定した。日本の政治経済構造が変化する中、2年後に創設70年を迎える経団連の現状はどうなっているか。元日本経済新聞論説副主幹の森一夫氏が分析。

「財界総本山」経団連の地盤沈下

日本の経済界を代表するといわれる日本経団連(日本経済団体連合会)の次期会長が、東レの榊原定征(さだゆき)会長に内定した。2014年6月3日の総会で第13代会長に正式に就任する。今回、米倉弘昌現会長の後任選びは難航し、経団連副会長OBの榊原氏を引っ張り出さなければならなかった。実は4年前に会長に就いた米倉氏も副会長を退任して名誉職的な評議員会議長だった。

日本経団連の次期会長に内定した榊原定征・東レ会長(写真=産経新聞社提供)

経団連会長は現職の副会長から選ぶという慣行に照らすと、2回続けて異例の人事といえる。副会長は現在18人もいるのに、なり手がいないとはどういうことなのか。かつて会長は「財界総理」の異名をとり、政府の首相と並び称されるほどの影響力を有していた。日本を代表する大企業と業界団体で構成する経団連は、「財界総本山」といわれた。会長選びに窮する事態は取りも直さず、その地盤沈下を示している。

原因は3つに整理できる。まず日本の政治経済全般の構造変化が挙げられる。それに対応する新しい指導原理を打ち出せないことが2番目だ。そして経団連首脳の老齢化による革新能力の喪失である。

高度経済成長下で強い影響力を持った「財界総理」

経団連が発足したのは終戦から約1年後の1946年8月である。戦時中、経済統制の受け皿だった経済団体を再編統合して生まれた。初代会長の石川一郎氏は終戦直後まで、化学工業の統制会の会長をしており、「統制の神様」と言われた人である。経団連の当初の役割は、日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)や政府に、疲弊した経済界の要望を伝えることだった。

経団連が力を振るうようになったのは56年に石坂泰三東芝社長が第2代会長に就いたころからである。前年に保守2党が合同して生まれた自民党による長期政権がスタートし、経済は高度成長期に入った。石坂会長は経済界の意思統一をはかり、貿易、資本の自由化を推し進めた。

国際的には東西冷戦が激化する時代で、日本はアジアにおける冷戦の最前線に位置していた。体制の危機を募らせた経団連は「資本主義体制を守るための保険料」として、経済界から自民党への政治献金の仲介役を担った。このため自民党総裁である首相は、大スポンサーである経団連の会長の意向を無視できなかった。「財界総理」と呼ばれたのは12年間在任し、強い指導力を誇った石坂会長の時代である。

後発資本主義国である日本では明治以来、官僚が大きな権限を握り、企業を行政指導などで誘導する力を持っていた。しかし法律を作る政治家に官僚は弱い。その与党の政治家に、政治資金を提供する大企業は影響力がある。

政治家は官僚に、官僚は企業に、企業は政治家に、それぞれ優位に立つという関係である。このいわゆる「鉄の三角形」の権力構造が高度成長期に出来上がり、長い間、政策決定を陰で支えてきた。経済界を代表し政治献金をあっせんする経団連は「鉄の三角形」の一角を担っていたわけである。

80年代以降、会長ポストは巨大企業経営者の指定席に

戦後、経団連とは別に、労務対策を担当する経済団体として日経連(日本経営者団体連盟)が生まれ、過激な労働運動と対決した。左翼労働運動が後退した高度成長期以降は、労使協調の一方の旗頭となった。79年に日経連会長を退いた桜田武氏(日清紡績元社長)は30年にわたってトップの座にあり、政界にも直言する硬骨漢として知られた。

輸出を目覚ましく伸ばす製造業がけん引車になって、日本が経済大国に駆け上がった時代に、石坂氏や桜田氏は存分に指導力を発揮した。当時「経済一流、政治は三流」という言葉ができたほど、経済界には勢いがあった。世界2位の経済規模に成長して、世界一の米国を追い上げた80年代以降、経団連会長の座は、新日本製鉄、トヨタ自動車、東京電力といった日本トップクラスの巨大企業の経営者の指定席になった。

序列トップの会長会社は政治献金をはじめ寄付金を一番多く出し、会長を支えるために100人規模で人材を割く。従って経団連会長を出すのは、巨大企業でなくては難しい。またこうした企業は、資材調達、設備投資、物流などで多くの経団連会員企業に仕事を出している。お得意先の企業のトップが経団連会長になれば、副会長以下の会員企業は協力を惜しまなかった。

バブル崩壊で始まった地盤沈下

ところがバブル経済の崩壊と東西冷戦の終結がほぼ同時に起きて、政治と経済の構造が大きく変わり、経団連の地盤沈下が始まった。93年に細川護熙首相の8党・会派連立政権が誕生して自民党の長期政権が幕を閉じ、政治は流動化した。このため政治献金の拠出を各企業に割り当てるのを止めた。その後、自民党が政権に返り咲いたので、各党の政策評価に基づいて献金を企業に促す方式に改めて、政治献金を再開したが、09年に民主党が政権に就いたため、再び政治献金への関与を止めて今に至っている。

経済構造も85年のプラザ合意による円高以来、様変わりした。企業が海外での現地生産に積極的に乗り出したり相互にM & A(合併・買収)を展開したりして、経済がグローバル化した。新興国からの製品輸入が大幅に増えて、製造業の空洞化が進み、サービス産業やソフト産業が拡大してきた。デフレから脱却して成長をはかるためには規制改革が不可欠で、「鉄の三角形」の政、官、業の連携による、いわゆる「日本株式会社」は解体に向かわざるを得ない。

こうした流れにより経団連の存在理由は大きく縮小した。冷戦時代に重要だった自民党に対するスポンサーの役割は消えた。企業が経団連を通して政治に圧力をかけるのは時代錯誤になってきた。主要企業は経団連に頼らずとも、自力で海外で活動できる。次期会長に内定した合成繊維メーカー・東レの榊原会長は今後も「日本はイノベーションによる製造業立国だ」と述べているが、経済のサービス化、ソフト化は進む。

日経連との統合でも変わらなかった体質

経団連は02年に、会員企業の多くが重複する日経連を統合して経済団体の合理化をはかったが、70年近い歴史がもたらした古い体質は簡単に変わらない。副会長以上の首脳陣は相変わらず、重厚長大産業のメーカーや旧財閥系名門企業、大手金融機関などの経営者が中心で、同じ企業の経営者が代々引き継ぐケースも珍しくない。

しかも会長、副会長は、第一線を退いた高齢の会長や相談役がほとんどで、現役の社長は例外的な存在である。住友化学会長の米倉会長はこの3月31日には77歳になる。59歳の安倍晋三首相とは、年が随分離れている。当初、米倉会長の後任候補として最有力と目された川村隆副会長(日立製作所会長)も74歳で「経団連を年寄りのサロンにしてはいけない」と高齢を理由に会長就任を固辞した。次期会長に決まった榊原東レ会長は3月22日に71歳になる。

首脳陣の高齢化は70年代から、ずっと問題になっていた。その結果、プロパーの職員による事務局依存の運営が強まっている。会員企業の経営者が経団連の各種委員会で発言する場合、事務局の用意した文書を読めば足りる。事務局の筋書きと違う発言をすると、「なぜ、あのような発言をしたのか」と事務局から尋ねられる。経団連の重要な政治委員会の委員長はなり手がいなくなり、現在、事務局プロパーの中村芳夫副会長兼事務総長が務めている。

新興企業・楽天の退会-経団連の保守性に反発

このように老齢化し官僚化した経団連は、将来に向けて新たな指導原理を打ち出せないでいる。米倉会長は安倍政権と黒田日銀が推し進める「異次元」金融緩和に対して当初「無鉄砲だ」と批判したが、安倍首相が不快感を示すと、態度を変えて今では全面的に称賛するという具合に一貫性が無い。

ネット通販大手・楽天の三木谷浩史社長は経団連の保守性に愛想を尽かして11年に退会して、自らネット企業を中心とする新しい経済団体である新経済連盟を設立した。新興企業・楽天の反乱は、経団連の会長会社を頂点とする産業界における企業の序列が崩れつつあることを印象付けた。次期会長選びに難渋したのは、存在感が低下し迷走する経団連を象徴する出来事だったといえる。

次期会長になる榊原東レ会長は、有能な経営者だが、経団連のかじ取りには苦労しそうだ。硬直化した経団連の体質を変えるのは容易ではない。また会員の中に「売り上げ規模が10兆円はないと、会長会社に適さない」との意見がある経団連で威令を隅々まで及ぼせるだろうか。東レの年間売上高は約1兆6000億円だ。株式時価総額は1月末時点で、退会した楽天の半分程度である。

経団連は歴史的役割を事実上終えており、新たな使命を担うには創造的破壊によって一から出直す必要がある。

(2014年2月2日 記)

経団連歴代会長一覧

経済団体連合会(旧・経団連)
初代 石川 一郎(日産化学工業社長)
1948年3月16日~1956年2月21日
[1946年8月16日~1948年3月16日(代表理事)]
第2代 石坂 泰三(東京芝浦電気社長)
1956年2月21日~1968年5月24日
第3代 植村 甲午郎(経団連事務局)
1968年5月24日~1974年5月24日
第4代 土光 敏夫(東京芝浦電気会長)
1974年5月24日~1980年5月23日
第5代 稲山 嘉寛(新日本製鉄会長)
1980年5月23日~1986年5月28日
第6代 斎藤 英四郎(新日本製鉄会長)
1986年5月28日~1990年12月21日
第7代 平岩 外四(東京電力会長)
1990年12月21日~1994年5月27日
第8代 豊田 章一郎(トヨタ自動車会長)
1994年5月27日~1998年5月26日
第9代 今井 敬(新日本製鉄社長)
1998年5月26日~2002年5月28日
日本経済団体連合会(旧・経団連と日経連の統合後)
第10代 奥田 碩(トヨタ自動車会長)
2002年5月28日~2006年5月24日
第11代 御手洗 冨士夫(キヤノン会長)
2006年5月24日~2010年5月27日
第12代 米倉 弘昌(住友化学会長)
2010年5月27日~2014年6月3日(予定)
第13代
(内定)
榊原 定征(東レ会長)
2014年6月3日(予定)~

 

タイトル写真=時事通信社提供

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  • [2014.02.13]

ジャーナリスト。1950年東京都生まれ。1972年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。日本経済新聞社入社後、産業部記者を経て、編集委員、論説委員、論説副主幹を歴任。この間、日経BP社『日経ビジネス』副編集長、米コロンビア大学東アジア研究所・日本経済経営研究所客員研究員を務める。著書に『日本の経営』(2004年、日経文庫)、『経営にカリスマはいらない』(2008年、日経プレミアシリーズ)など。

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