禍根を断つために——朝日「慰安婦」検証後の日本外交への提言

東郷 和彦【Profile】

[2014.09.09] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | العربية | Русский |

「慰安婦」報道の誤りが正されたが、だからといって日本を巡る国際環境には、もはやほとんど意味をもたない。この泥沼から抜け出すために政府が目指すべきこととは。

日韓関係は今、歴史問題・領土問題を含む過去の問題によって、さまざまに引き裂かれ大変難しい状況にある。けれどもその中で、もしも最初に解決を試みるとすれば、慰安婦問題ではないかと筆者には思われる。これは慰安婦問題の解決が容易だからというよりも、ほかの問題があまりにも難しいからかもしれない。けれども同時に、今年に入ってからの一連の動きの中に、解決に向けての何がしかの動きが読み取れないでもないように見えるからでもある。

アメリカを刺激した維新の会とマスコミ報道

2014年の初めの状況は大変だった。2013年12月26日の安倍晋三首相の靖国訪問をうけて、慰安婦問題における河野談話見直しの世論が加速した。日本維新の会が同27日には年明けに河野談話撤回要求のための署名運動を展開すると報ぜられ、『産経新聞』は2014年元旦の記事で河野談話の欺瞞性を強く提起した。

この動きは明らかにアメリカを強く刺激したと思う。東アジアの最大の問題は台頭する中国であると見るアメリカにとって、日韓はこれに対する共同のパートナーである。歴史問題をめぐり深刻化する日韓関係をこれ以上複雑化させることは、アメリカの許容範囲を超えることになったと思う。

同年3月12、13の両日、斎木昭隆外務次官が韓国を訪問、これを受けた14日の参議院予算委員会で安倍首相は、河野談話について「安倍内閣で見直すことは考えていない」と述べ、また、「筆舌に尽くしがたいつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛む。思いは私も歴代首相と変わりはない」と答弁した。これは2007年3月、安倍第一次内閣での「強制性否定発言」に対し、猛烈な安倍批判がアメリカで起きたときに、安倍首相がブッシュ大統領に述べ、事態を鎮静化させた発言と同じだった。他方、菅義偉官房長官は、この日の答弁で「河野談話作成過程の実態を調査することが必要だ」と述べ、その後の動きを規定する非常に重要な方向性が決まったのだと思う。

そのことは、ただちに外交関係の動きとして表れた。3月にハーグで行われたオバマ大統領を間にはさんだ安倍首相と朴槿恵大統領の三者会談は、この慰安婦問題をめぐる日韓の最初の妥協を基礎に行われた。この妥協が、さらに4月のオバマ大統領の訪日・訪韓という日程の形成を可能ならしめたといってもよいと思う。この訪問では、オバマ大統領の韓国での慰安婦発言という問題を後に残してしまったが、ともかく問題の過熱化を避けつつ事態は次の局面に移ったのである。

海外に不評だった「河野談話作成経緯報告書」

その次の局面は、菅官房長官が約束した河野談話作成の経緯の調査であった。6月20日には「慰安婦問題をめぐる日韓間のやりとりの経緯」という長文の報告書が発表された。

この報告書に対する外国での受け止めは芳しくなかった。韓国外務省は、ほぼその直後といってもよいタイミングで、「深い遺憾」の意を表明し、「報告書は、河野談話を見直さないという政府方針に逆行する」「河野談話は日本の独自の調査と判断によってだされたものであり、韓国政府は日本側の度重なる要請により、非公式に意見をつたえたにすぎない」という声明を発表した(6月21日『毎日新聞』)。

6月22日の『ニューヨークタイムズ』紙は、「日本の歴史的めくらまし」という強烈な安倍批判の論説を掲載した。アメリカの友人からは、ワシントンの国務省やホワイトハウスの雰囲気も、おおむね同じだという情報が入った。筆者は、この論説に対する反論を同紙のop.ed.欄に投稿したが、採用されなかった(注:その後、この反論の趣旨をオーストラリア国立大学の『東アジアフォーラム』特別号に投稿し、まもなく出版となる予定である)。

予想外だった河野氏の報告書追認

しかしながら、である。東京における事態は意外な方向に展開した。まず報告書自体に、談話形成の過程での慰安婦に対する狭義の強制性(首根っこを掴んでトラックに乗せて拉致していくような行為)を認めたような箇所は出てこなかった。少なくとも筆者がこの記録を読む限り、韓国政府の役割についても、良心的に仕事をする外交官なら当たり前のことをしていたに過ぎないし、これを聞いていた日本側が、談話の責任をいささかなりとも韓国側に押し付けるものでないことも、また明らかなことと理解された。

さらに談話が発表された直後に、談話の当事者の河野洋平氏が、「(検証結果の)報告書に私が足すべきものも引くべきものもない。正しくすべて書かれている」(6月22日『毎日新聞』)と、報告書の内容を追認する声明を出した。ここに、まったく予想されていない事態、河野談話が、その支持者のみならず、その批判者によってもそれなりに支持され、日本における立場が強まったという事態が起きたのである。

朝日「慰安婦」検証の衝撃

この一連の動きに、もう一つ、新しい動きが付け加わった。8月5日、『朝日新聞』朝刊が見開き4面を使って「慰安婦問題どう伝えたか、読者の疑問に答えます」という大特集を発表したのである。特に、1982年吉田清治氏が証言した「済州島における強制連行」について「この証言は虚偽だと判断し、記事をとりけします」との公告を行った。

慰安婦問題が日韓で取り上げられた初期に、吉田証言が日本軍の慰安婦に対する行動について一定のイメージを形成してきたことは、家永三郎氏の『戦争責任』(1985年)、国連『クマラスワミ報告』(1996年)、米下院対日非難決議(2007年)などにおいても明らかなことであった。

朝日による吉田証言否認の衝撃はその後波紋をひろげ、8月26日高市早苗自民党政調会長は菅官房長官に対し、朝日の一部証言取り消しをふまえ新談話の発出を要請した。これに対し菅官房長官は「考えていない」と応じた(8月27日『毎日新聞』朝刊)。

不可欠な生きている元慰安婦との和解

私の見るところ、安倍改造内閣の対外関係で、この問題はいよいよ正念場を迎える。2007年以来述べている考え方に基づき、以下の点を提言したい。

第1に、この問題は日韓関係においても日本と世界との関係においても、さまざまな日本にとって望ましくない事象を引き起こしている。問題全体の根源を断ち切り、日本にとって今後、不要な政治問題としないように対応する方策は一つしかない。

それは、今、韓国で生きている約50名の元慰安婦の人たちと和解に達することである。この問題について韓国で最終的に絶対的な権威をもって発言しうるのは、この人たちだけである。この人たちとの和解こそ必須である。

最近、筆者が韓国の関係者と議論している中で感ずるのは、慰安婦の人たちの心に沁みとおる気持ちの表明が、まず必須であるということである。つまり3月14日の安倍首相の国会答弁で表現されたようなものを、いかにして言葉にするかであると思う。もう一つ必須なのは具体的な行動であり、それはアジア女性基金で民間からの拠出によって賄った償い金を、政府予算で拠出することを核とするスキームを考えるということだと思う。以上の二つの和解の枠組みをつくるには、安倍政権としての明示的な行動とともに、朴大統領以下の韓国側の全面的な共同行動が必要である。韓国政府との協力なしに和解は成立しない。

複雑な慰安婦像問題

第2に、問題の解決不能という事態を招かない努力をすることである。もしも元慰安婦の人たちとの間で和解が成立しなかった場合、韓国市民社会でこの問題のいわば「代表権」を持つことになるのは、韓国挺身隊問題対策協議会(挺隊協)である。筆者の見るところ、この市民団体は、植民地時代に日本帝国主義がなした悪の象徴として慰安婦問題を位置づけ、これに対し日本が法的責任と犯罪性の受任を認めない限り、和解はあり得ないという信念に立つ団体である。加えて、アジア女性基金が提示した謝罪を受け入れた61名の元慰安婦の人たちに対し、韓国の利益を裏切ったとして、韓国社会から排除しようという極端な行動をとった人たちである。この団体がこの問題に関する決定権をもったなら、慰安婦問題はほぼ永遠に解決しないことになる。

第3に、アメリカをはじめ世界各地で作られている慰安婦像の問題にどう対処するかの問題がある。この点は各国の内政の問題ともからみ、極めて複雑な問題となっている。しかし、世界で慰安婦像問題を推進している中心勢力は在外韓国人勢力であり、現在、彼らと在外中国人勢力との連携が強化されているという状況にある。在外韓国人勢力が沈静化しない限り問題は解決しないとすれば、それには、ソウルと東京との和解という解決策しかありえない。

世界は“強制性”に関心がない

最後に、第4に、今般の朝日新聞の吉田証言否定報道を含め、狭義の強制性による拉致を証明する文書がないという問題を、これからどう考えていくべきかという問題がある。この点は、世界の大勢は、狭義の強制性があるかないかについて、ほとんど関心がないという点につきる。アメリカの世論は、今、自分の娘がそういう立場に立たされたらどう考えるか、そして「甘言をもって」つまり「騙されて」連れてこられた人がいたなら、それとトラックにぶち込まれた人と、どこが違うのかという立場に収斂している(詳細は、拙著『歴史と外交』講談社現代新書、2008年、92ページ、『歴史認識を問い直す』角川ワンテーマ21、2013年、163~166ページ、参照)。

したがって、朝日新聞の吉田証言否定は、世界の大勢に対して、ほとんど意味をもたない。ましてや、吉田証言については、この問題について日本でもっとも権威を持って研究してきた秦郁彦氏と吉見義明氏との間で、すでに1997年に「強制連行を示す資料はなかった」との結論が出ている、いわば決着済みの問題である(前掲拙著『歴史と外交』81ページ)。

20年近く前に専門家の間で決着した問題について今、大報道をしても、事態の本質に与える影響はわずかであろう。特に韓国との関係では、本件は、日本内部のマスコミの問題であり、大きな意味を付与させることは難しいと思われる。

結局のところ、冒頭に述べたように、約50名の慰安婦の方が存命中に日韓双方ができるだけの努力をして和解を実現する以外に、適切な方策は見出し得ないと筆者は考える。

カバー写真=ソウル日本大使館前の「慰安婦少女の像」(写真提供・時事)

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  • [2014.09.09]

京都産業大学教授、同大学世界問題研究所所長。1968年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、外務省に入省。欧亜局ソ連邦課長、条約局長、欧亜局長、駐オランダ大使などを歴任し、2002年に退官。ライデン大学、プリンストン大学、ソウル国立大学などで教鞭をとり、2010年より現職。著書に『北方領土交渉秘録、失われた五度の機会』(新潮社、2007年/新潮文庫、2011年)、『歴史認識を問い直す:靖国・慰安婦・領土問題』(角川oneテーマ21、2013年)、Japan’s Foreign Policy 1945-2009: The Quest for a Proactive Policy(Brill Academic Publisher、2010年)など。

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