山口組分裂の衝撃とヤクザ社会の変貌

猪野 健治【Profile】

[2015.11.17] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

山口組の分裂が大きな注目を集めているが、かつてのような血で血を洗う抗争が起こる可能性は少ない。長年山口組を取材してきたジャーナリストがヤクザ社会の変貌を検証し、新たな“ワル”台頭に警鐘を鳴らす。

「設立100年」山口組の始まり

2015年8月、日本最大のヤクザ組織山口組が分裂した。しかも山口組にとっては今年で設立100年、6代目体制に入ってから10年という記念すべき節目である。

山口組の発足は大正4(1915)年、神戸港を取り仕切っていた大島秀吉の配下として人夫供給業で売り出した山口春吉が50人の沖仲仕を引き連れて創設したのが始まりである。初代の春吉は当時大人気を博していた浪曲興行に進出し、神戸市の興行界に顔の利いていた市会議員に接近して興行界に大きな影響力を持つようになる。

跡を受け継いだ実子の登の時代に、歌謡曲や大阪相撲にも進出、事業を大きく伸ばした。2代目の時代までは港湾荷役と興行が中心で、ヤクザ組織ではなかったのである。

戦後3代目を継いだ田岡一雄は、港湾荷役と興行をさらに強力に発展させるため、「戦勝国民は敗戦国の法律に従う必要はない」として暴力集団を結成して不正行為を働いていた第三外国人(当時はそう呼ばれた旧植民市出身者の朝鮮人や台湾省民、「戦勝国民」の中国人)と対決するため田岡組を結成、これが後に港湾、興行の二大事業を抱える山口組に発展する。

港湾事業は朝鮮戦争を機に飛躍的に発展する。米軍関係の軍事輸送で神戸港はにわかに好況に沸くのだ。兵站輸送は待ったなしである。田岡組長は事業家肌で統率力に長けており、将来の港湾荷役の活況を見越し、昭和20年代(1945~54年)にすでに神戸港の中小船内荷役業者に呼びかけて港洞会を組織、会長に就任していた。

芸能界への進出、プロレス興行で勢力拡大

1946年、田岡組長が3代目を襲名したときは、組員はわずか33人だった。それが1975年には一挙に1万1千人に達する。その秘密はどこにあったのか。「アメとムチ」戦略である。田岡組長は戦前からの事業として戦後まもなく神戸芸能社を設立した。早い時期に売り出し中の田端義男や美空ひばりを専属に抱え込んだ。プロレスが始まるといち早く力道山の興行を手掛けた。これには興行界の大物、永田貞雄の強力な後ろ盾があった。

神戸芸能社が日本の芸能界を席巻するのは1953年に発生した鶴田浩二襲撃事件が一つのきっかけである。鶴田は映画俳優としてデビューして以来、人気が急上昇、休暇をとる暇がないほどだった。マネージャーが鶴田の大阪公演に際し、田岡組長宅にあいさつに出向いたとき、田岡組長を激怒させる行為があった。それが原因で鶴田浩二は宿泊中の大阪の旅館で山口組の数人に襲撃された。

この事件は芸能界を震撼させ、以後山口組は日本の芸能界を席巻することになるのである。神戸芸能社は業界一のギャラを支払うということもあって、芸能人の多くが自ら出演依頼を願い出るというケースが増えた。

ヤクザ組織は儲けが確実な売れっ子芸能人の自前の公演をどうしてもやりたい。田岡組長はそこを狙って神戸芸能社が扱うタレントを巧妙に利用して地方のヤクザを影響下に引き込んでいく。もう一つの勢力拡張策はいうまでもなく、“ムチ”だ。敵対してくる組織は容赦なく踏み潰していった。1970年代半ば以前のヤクザの抗争事件で山口組の関係していないものはないほどである。

阪神・淡路大震災でヘリも活用、大規模な救援活動を展開

日本ヤクザと海外マフィアには決定的な違いがある。

それは日本のヤクザが街中に堂々と事務所を構え、代紋と組の名を掲げた看板を出し、地元に深く根を下ろしていることだ。さらに特筆すべきことは、日本のヤクザは大災害が起きたときには率先して組の総力を挙げて救援活動に乗り出す伝統がある。利益を上げるには手段を選ばないマフィアにはそういう習慣はない。

阪神・淡路大震災(1995年)に例を取ろう。震災直後に救援活動に乗り出したのは山口組であった。私は情報を得てすぐに山口組に連絡を取った。応対に出た幹部には「どうせ売名行為といわれるだけだから、救援活動のことは書かないでほしい」と断られた。そこで私は「どこも無視して書かないのだから、私に書かせてほしい」と粘って、やっと了解を取った。

私は取材の趣旨を説明した文書を作り、全直系組長宛てに送付し、救援活動についての詳細な回答を求めた。そしてその回答を見て、驚嘆した。救援物資については米や食料、衣類はもちろんのこと、乳児用のミルク、おむつ(年齢別に選別)、女性の下着、生理用品のほか、ほとんどあらゆる日用雑貨百種類以上にものぼった。それも細部にまで配慮が行き届いていた。女性の衣類や下着、生理用品については、なんと組員の妻や姉妹に「年齢別に何が一番いいか」を問いただして、品物を選んでいたのだ。

大災害では道路が陥没したり破壊されることが多い。そういうところは救援物資を積み込んだトラックは通行できない。山口組はその難関をどう解決したか。ヘリコプターを飛ばしたのである。上空から地上を走るトラックに「次の交差点は左の道が陥没している。右の道を通行せよ」というふうに指示を出したのだ。おかげで救援物資は被災地にどこの救援隊よりも早く届けられた。それらの救援活動にはざっと11億円を要したという。

このヤクザの救援活動を日本のマスコミはまったく無視した。警察情報の垂れ流しがお得意の日本のマスコミは、ヤクザの“義挙”は一切報じないのである。ある全国紙が小さく遠慮がちに「イギリスの大手紙がヤクザの救援活動を伝えた」と報じたのにはあきれるより、笑ってしまった。

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  • [2015.11.17]

1933年滋賀県生まれ。新聞・雑誌の記者・編集者などを経て、フリージャーナリストとして活躍中。その間、日本ジャーナリスト専門学校専任講師・評議員を務め後進の育成にもあたった。やくざ、右翼、総会屋などをテーマにした分野においては先駆者的な存在。主な著書に筑摩書房から刊行の『やくざと日本人』(1990年)、『日本の右翼』(2005年)、『山口組概論─最強組織はなぜ成立したのか』(2008年)、『テキヤと社会主義』(2015年)などがある。

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