日本における自殺の実態に迫る

社会

ピーク時に比べ減ったとはいえ、依然日本は自殺者の多い国である。なぜ自殺者が急増してしまったのか。そこにはどんな原因があるのか。日本における自殺の実態を明らかにし、犠牲者を救うために何が処方箋となり得るかを考える。

警察庁の統計によると、日本の年間自殺者数は1988年から97年までの10年間に平均約2万2000人だった。それが1998年には一挙に3万2863人に増え、初めて3万人台となった。年間自殺者数3万人台という事態はその後十数年間続き、世界でも自殺率の高い国となってしまった。

特に深刻なのは、40~50歳台の働き盛りの男性の自殺者数の増加だった。急激な社会変動を経験すると、若年の男性の自殺率が上昇するというのが世界的な傾向であるのとは対照的に、90年代末から中高年男性の自殺が急増したというのが大きな特徴だ。

なぜ中高年男性に自殺が増えているのか

中高年男性の自殺増加の背景として、精神科医の天笠崇(あまかさ・たかし)は次の3つの要因を挙げている。

①終身雇用制の崩壊: 1990年代に不況が深刻化し、失われた10年間とも言われている。その結果、第2次世界大戦終了後に高度経済成長を支えてきた終身雇用制を維持できる企業が減った。業績の悪化に伴い、従業員の解雇も現実の問題になってきた。

②業績評価の導入: 従来、日本では年功序列の賃金体系が当然ととらえられてきたが、それが難しくなったのもこの時期である。そして、1990年代の不況のさなかに、欧米並みの成果主義が導入された。しかし不況下にあって、人件費の総額を削減することが最大の目的であったために、労働者には不公平感の残る性急な制度の導入となった。

③非正規雇用の増加: これも90年代から増え始めた雇用形態であり、①~③の要因が相互に複雑に関連し合って、特に働き盛りの世代の男性に深刻な影響を及ぼして、自殺者数の増加につながったと考えられる。

社会的な問題として自殺を考える

このような深刻な事態を直視して、96年には自殺対策基本法が成立し、自殺は社会全体が抱える問題として取り組むべきであると宣言された。翌97年には、自殺総合対策大綱が発表されて、具体的な指針が示された。従来日本では、自殺を個人的な問題として捉えられる傾向が強かったが、社会全体の問題として取り組むべき課題であると明確に指摘された。その後、メンタルヘルス対策、多重債務対策、自死遺族支援をはじめとして、さまざまな対策が展開されるようになった。

さて、その後、2012年に年間自殺者数が3万人台を切って以来、その数は順調に減ってきた。現時点で入手可能な最新の統計は15年のものであり、その年には年間自殺者数は2万4025人であった。最高時に比べれば、たしかに年間自殺者数は減少したものの、これは自殺者数が急増した98年以前の数値に近づいたに過ぎない。2015年でも、自殺者数は交通事故死者数(4117人)の5.8倍に上る。このように自殺者数の減少はまだ十分なものとは言えないのが現状である。

メンタルヘルスの原則

自殺予防を含めて、心の健康を保つためには、しばしば次の二大原則が強調されている。

①早期の問題把握: 経済的な問題、対人関係の問題、精神疾患など、さまざまな問題があるのだが、早い段階で問題に気づくことが解決の第一歩となる。

②適切な支援希求: 長い人生の中で問題を抱えることは誰にでもある。その問題を一人で抱えこむのではなく、適切に援助を求める態度に出られるようにする必要がある。どこで援助が求められるのかという点についての正確な情報を周知させておく必要もある。

自殺の影に孤立あり

自殺を理解するキーワードは「孤立」である。実際に誰も助けてくれる人がいないといった悲惨な状況に置かれている人もいる。あるいは、周囲に家族、友人、同僚など、たくさんの人がいて、何とか救いの手を差し伸べようとしてくれているのだが、うつ病や統合失調症などの精神疾患の影響で、「周りに迷惑をかけるばかりだ」「私などいないほうが皆は幸せだ」と思いこみ、自ら孤立を招いている人もいる。

いずれにしても、自殺の背景には必ずと言ってよいほど孤立が潜んでいる。従って、このような人が発している救いを求める叫びに早い段階で気づいて、周囲の人々との絆を回復することが、自殺予防につながるのである。

21世紀の今でも、心の問題や多重債務などの問題について、誰かに相談するのは恥ずかしいことだといった心理は根強く残っている。自殺の危険の高い人の特徴を心理的視野狭窄(きょうさく)と呼んだ臨床家がいるが、このような状況に陥った人にとっては、自分の抱えた問題が解決することなど永遠になく、自殺だけがこの苦境から逃れる唯一の解決策だとかたくなに信じこんでいる。

相談したからといって、直ちに問題が解決するものではないかもしれない。しかし、言葉に出して、問題について語ることによって、問題との間に少しでも距離を取ることができるようになり、冷静さを取り戻していくことができる。一人で悩んでいた時には思いも付かないような解決策が浮かび上がることもあるだろう。

今後の予防活動

自殺対策基本法が成立して以来、全国各地でさまざまな領域の人々による自殺予防活動が展開され始めたことは喜ばしい。しかし、大きな声で成果を喧伝(けんでん)する団体ほど、自分たちの主張が受け入れられないと、他者を攻撃し始めるといった、妙な形の縄張り争いが一部で見られることも現実である。どのような活動でも、開始当初にはこの種の主導権争いは起きるものではあるものの、自殺予防という同一の目的を掲げている以上、協力して進んでいくという態度を保ってほしいものだ。

どのような団体にも得意な分野と不得意な分野はあるはずだ。自分たちの能力では十分に対応できないことに関しては、それが得意な他の団体と協力しながら、自殺予防という同じ目標に向かっていく柔軟な態度が必要であるだろう。

子どもに対する自殺予防教育が重要

少子高齢化が進行するわが国において、子どもの命を守るという視点も自殺予防では不可欠である。日本の年間自殺者総数は約2万4000人だが、18歳以下の年間自殺者数が約300人ということもあって、子どもの自殺予防に関してはあまり熱心な取り組みがなされてこなかったというのが現状である。

なお、米国のいくつかの州では、子どもを直接対象とした自殺予防教育が始まっている。そこではしばしばACTが強調されている。ACTはAcknowledge(同世代の仲間の悩みに気付く)、Care(窮地にある仲間を思いやる)、Tell a Trusted Adult(子どもだけで問題を抱えこまずに、責任ある大人につなげる)の頭文字をとった略語である。前述したメンタルヘルスの大原則である、①早期の問題把握と②適切な支援希求と相通じるものがあるだろう。

そして、子どもを対象とした自殺予防教育が、子ども時代ばかりではなく、生涯を通じた心の健康保持につながると考えられる。長い人生においてはさまざまな問題を抱える可能性があるのだが、一人で抱えこまずに、誰かに相談すること。それが問題解決につながるはずだという点を、柔軟な心を持つ子ども時代に伝えておくことが、その後のメンタルヘルスに直結する可能性がある。働き盛りや高齢者の自殺が深刻な社会問題となっている日本でも、子どもに対する自殺予防教育が、長期的な視点に立つと、結局、効果的なのではないだろうか。

自殺は、人間が社会の中で疎外され、周囲の人々との絆を失った状況で、孤軍奮闘した末に、他に選択肢が見つからない状態で生じる。早い段階で問題に気付き、一人で抱え込まずに、誰かに相談を持ち掛けることが、自殺予防の第一歩になるだろう。このためには、社会を構成する一人ひとりが周囲の人々の救いを求める叫びに敏感に気づいて、真正面から受け止めることが求められるのではないだろうか。

バナー写真:かつて飛び降り自殺が多発した高島平団地に取り付けられた自殺防止のフェンス(本文とは直接関係がありません)=時事

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