日本の死刑を考える②—蚊帳の外に置かれた被害者遺族

社会

日本の刑事司法は「殺された側」の権利を十分に尊重しているのだろうか。数々の被害者遺族に取材を重ねてきたノンフィクションライターが、死刑廃止論に疑問を投げかける。

「生きて償う」とはどういうことか

私が犯罪被害者遺族の聞き取り取材を始めたのは1990年代の終わりごろからで、家族の誰かを惨殺された遺族を中心に100を超える遺族に会い、その声を微力ながら社会に伝えてきた。毎回、取材のたびに遺族から突き付けられたのは、「生きて償うとはどういうことですか」という、死刑廃止論に対する厳しい問いだったが、それは同時に私の考えを問うもので、私はすぐに返す言葉が見つけられず口ごもった。しかし、その経験が私の死刑制度に対する考え方—逡巡(しゅんじゅん)も含めて—の礎になっていったのは間違いない。

道を尋ねてきた男に拉致され、陵辱された揚げ句に殺され、遺体を遺棄された小学生の少女の遺族に会った時、私より若い父親と母親は震える声で、「生きて償うなんて詭弁(きべん)です。そもそも償いなんて、被害者遺族が受け入れてこそようやく始まるのです。それを最初から前提とするなんて信じられません。少しでも殺された命に対して思いをはせてほしい。そういうことを平気な顔で言える人は、遺族になったことがないから分からないのでしょうし、理解しようとするつもりもないのでしょう」と言ったことを私は今でもはっきりと覚えている。

遺族の怒りは加害者へはもちろん、加害者への死刑判決を回避させたい弁護士など、死刑廃止を主張する側へも広げられるのが常だ。そして、その言葉は社会全体へと向けられているようにも感じた。日本の世論の大方は死刑存置だが、被害当事者の思いを理解する努力をしてくれた上で、そういう世論を社会は形成しているのだろうかという疑心なのかもしれなかった。

極刑が適用されるのはごく一握り

私たちは漠然と、そして軽率に「償い」という言葉を口にする。生きて償う、というステレオタイプな物言いにどこか慣れている。しかし、殺人を犯した者が被害者遺族にどうやって「償い」をするのだろうか。謝罪の手紙を送り続けることだろうか、写経を続けることだろうか、模範囚として生きることだろうか。どれも違う。そもそも「生きて償う」という言い方は机上の空論に過ぎず、現実にはあり得ない。「生きて償う」は事件当事者の外側にいる人々が作り出した幻想ではないか。私は被害者遺族に会い続ける中でそう確信するようになった。

そして、そもそも大半の被害者遺族は「償い」など望んでいない。上っ面の謝罪の言葉など聞きたくもなく、受け入れるつもりもない。それよりも加害者には生きていてほしくない。特に修復不可能な事件の場合は、刑に服して改心をして、「善人」になったとしても、被害者遺族にとってはなんの価値もない。死刑は命を持って償うということではなく、せめて消えてほしいということなのだ。加害者の命が国家によって奪われることで、少しでも心のけじめをつけられる。同時にそれは犯罪被害の「終わり」ではなく、この世で加害者が生きているということがなくなれば、被害者だけに思いを寄せることができる—そうしたことも私は長い取材経験から知った。これは分かり切ったことだろうが、特に家族を奪われた事件の被害者遺族は、加害者に対して報復としての極刑を望んでいる。だが日本では、殺人事件の犯罪被害者遺族の応報感情が全てかなえられるわけではない。殺人事件の加害者に対して、極刑が適用されるのはごく一握りの例に過ぎない。

光市母子殺人事件の取材を通じて

私は1999年に起きた光市母子殺人事件(編集部注:99年4月山口県光市で、当時18歳の少年が、乱暴しようとして抵抗された主婦と生後11カ月の長女を殺害した。1、2審の無期懲役に対し、2012年2月最高裁は元少年の死刑を確定した)の遺族・本村洋さんを事件直後から取材し、何冊かの本に書いた。本村氏は当初、死刑にできないのなら自分で殺すから社会に戻してほしいと主張し、公判が続く中で、死刑が確定した者でないと真の「反省」はできないという確信に至り、死刑判決が出れば、妻と幼子の命を奪った当時18歳の少年の命をも背負って生きていくという悲痛な決意をも語るようになっていた。同時に、被害者遺族として死刑を望むことは正しいことなのか、という自問自答を彼は繰り返してもいた。

本村氏の身近で取材を続けていた私は、本村氏の考えの中には、加害者を裁く過程に積極的に主体の一人として国家や加害者と対等に関わりたいという思いや、死刑が必要にならないような犯罪のない社会になっていくべきだという希望も含まれていたと思う。そのことを彼は、自らが中心となって活動した被害者の権利獲得運動の中でも主張し続けた。

死刑廃止が「正義」なのか

応報感情は、愛する者を理不尽に殺された時、人間の本能的な自然状態の中で生まれるものなのだろうと思う。それを「自然権」と肯定できるかどうかは専門家の間でも議論があることは承知している。だが国家が被害者遺族の応報感情を独占管理しているのが死刑制度だとするなら、死刑は残虐な人権侵害だと簡単に一蹴できるものではないはずだ。

死刑は確かに国家による「殺人」ではあるが、被害者・加害者という非対称性が前提で行われるものであり、国家の一方的な暴力であると片付けてしまえるのだろうか。愛する家族を殺害された被害者遺族が、加害者を同じ目に遇わせたいと報復を願い、国家が定めた死刑制度の厳正な行使を求めることは当然で、それを野蛮で誤った制度であると決め付けることはできるのだろうか。殺された側の思いを無視して、死刑を廃止することが「正義」なのか私には疑問なのだ。

日本の被害者遺族が死刑制度の存続を望むのは、愛する者を奪われたという壮絶な経験故であると同時に、日本の刑事司法への不満や不信があると私は思っている。死刑を含めた「罰」とは、被疑者・被告人と国家が犯罪について「清算」をした結果に過ぎない。極端なことを言えば、被害者に一言の謝罪の言葉がなくても、罰は国家と加害者の間で取り決められる。もちろん「殺された側」の報復の意思—できうる限り重い罰—を国家に代行してもらうことを精一杯働き掛けるわけだが、それでは被害者と加害者との関係は何も「清算」されないし、終わることもない。蚊帳の外に置かれ、罰を与える過程に対等な当事者として関わることができない状況に不信感を抱いているのだ。

「国家対被疑者」という構図の呪縛

日本では、被害者が刑事裁判に「証拠」としてしか扱われない時代が長く続いたが、それでも、先に触れた本村氏らの運動の成果もあり、被害者参加制度などが拡充してきたのはこの10年余りのことである。刑罰の量刑も上がってきた。ところが、その制度は応報感情を少しでも慰撫(いぶ)するような方向に機能しているとは思えないし、犯罪被害者を取り巻く制度や法律の状況は、加害者を防衛するために、被害者の関与を制限したり、敵視したりするものからまだ大きく変わってはいない。

例えば裁判員制度は、裁判員という「市民感情」を導入することには成功したかもしれないが、量刑を決定する刑事裁判の手続きから結果的に被害者遺族が関わる機会を減らすことになっている。公判前整理手続きで証拠関係はあらかじめ決められ、集中審理ではすでに裁判所と検察、刑事弁護人の3者でシナリオが決められ、それが法廷で展開されるだけになっている。その上、量刑はプロの裁判官に実質的に決められ、控訴審では1審(裁判員裁判)が重視されるはずなのに、実質的にはそうはなっていない。

そして、なにより、日本では「国家対被疑者」という構図—特に刑事弁護の側の意識—から刑事弁護のやり方から抜けだせず、被害者の地位向上は被疑者の防衛権を削るものであるという認識のままだという状況も被害者遺族の怒りに直結している。死刑事案は被疑者にはとにもかくにも黙秘をさせよ、被害者は参加させるな、意見を言わせるな、それは被疑者の権利を侵すものだという主張を日本弁護士連合会(日弁連)—死刑廃止運動をしているのは日本の弁護士全体の意思ではないが—が手引き書として作成したり、それを懸命に実践している刑事弁護士たちの「正義」が被害者の感情を逆なでしている。死刑を回避・廃止させる論理の中には、加害者の命への共感はあるのかもしれないが、被害者の命への共感—配慮をするべきとは建前としては言っているが—がまったく見えないのである。

犯罪被害者の権利強化を

死刑制度は執行してしまえば取り返しのつかない「生命刑」なので、執行機関の側は冤罪(えんざい)を生んではならない。これはいかなる罪についても同じことが言える。犯罪被害者は冤罪によって真犯人がどこかでのうのうと生きていることに我慢ができるはずがなく、そういう意味では冤罪をなくしたいと誰よりも思っている。

法的な論理だけを突き詰めていく観念的な廃止論には確かに、存置論よりも説得力を持つ面もあると思う。誤判の可能性や、死刑制度が犯罪抑止につながっているかどうかも測りようがないし、制度自体には不可視の領域が多過ぎる。刑場をメディアに公開したのはつい数年前のことだし、死刑囚の生活や最期の様子などはベールに包まれ、外側からはうかがい知ることができない。

死刑存置国の日本は、いまや世界では少数派だ。だが、欧米の死刑廃止先進国ではさまざまな被害者支援や、被害者のための刑事司法制度が整備されている。犯罪被害者を刑事裁判の主体の一員として位置付けてきたことにより、刑事司法に対する国民全体の信頼性を担保してきた歴史がある。日本では2004年に犯罪被害者等基本法ができて刑事司法への参加権や国による支援等が制定され、ようやく1歩を踏み出した。今は、死刑廃止の議論の前に、犯罪被害者の刑事司法への参加をより強い権利として確立させることが先決ではないだろうか。

(2016年12月19日 記)

バナー写真:1999年4月、山口県光市で起きた母子殺害事件の差し戻し上告審判決で、被告の死刑が確定し、記者会見で思いを語る遺族の本村洋さん(右)(撮影日2012年2月20日 東京・霞が関の司法記者クラブ/時事)

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