スマホと子ども① —「つながり」に飲み込まれる子どもたち

石川 結貴【Profile】

[2017.02.13] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

自分の「居場所」、存在価値をスマートフォン経由の「つながり」に求める子どもたちが増えている。スマホの普及は子どもたちの世界をいかに変えたのか。

「生活インフラ」としてのスマホ

スマートフォン、略してスマホの国内販売が始まったのは2008年7月。ソフトバンクモバイルが米アップル社のiPhone3Gを発売した。当時、日本の携帯電話市場では世界の潮流とは異なる独自路線、いわゆる「ガラパゴス化」が進んでいた。テレビ視聴の「ワンセグ」、電子マネー機能を内蔵した「お財布ケータイ」、メッセージ交換の際に感情を表現する「絵文字」、着信音を好きな音楽に設定できる「着メロ」――。ユニークかつ利便性の高い機能を搭載した「ガラパゴス携帯」、通称「ガラケー」が人気だったため、スマートフォンは成功しないだろうという声が多かった。

そんな予想を大きく覆し、スマホはわずか数年で日常生活の必需品となった。特に10代の子どもたちには、情報収集やコミュニケーションを支える「生活インフラ」であり、新たな楽しみを見つけるための欠かせないツールにもなっている。

LINEができないと「ハブられる」

情報セキュリティー企業のデジタルアーツが行った「未成年の携帯電話・スマートフォン利用実態調査」(2016年2月)によると、10歳~18歳のスマホ所有率は70.6%に上る。1日の平均利用時間は小学生(4年生~6年生)男子が1.8時間、女子が1.7時間。中学生では男子が2時間、女子が2.1時間だ。ところが高校生になると一気に増え、男子が4.8時間、女子は5.9時間に及ぶ。さらに高校生女子の3.9%、約25人に1人は「1日15時間以上」も使用している。

これほどまでの時間をいったい何に費やしているのか。彼らの利用状況を取材すると、ある特徴が見えてくる。個人ではなく集団、要は一人でスマホの世界を楽しむよりも誰かと一緒に、みんなでつながって使うというものだ。

「つながる」ために最適なのがSNSである。総務省情報通信政策研究所の「平成27年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」(2016年8月) によると、10代のソーシャルメディア利用率はLINE 77%、Twitter 63.3%、Facebook 23%、Instagram 24.5%。LINEとTwitterが群を抜いており、特にLINEは小学生から高校生まで幅広い利用者がいる。仲間内でのコミュニケーションができる「グループトーク」や、喜怒哀楽の感情を表す「スタンプ」など、LINEは操作性に優れたSNSだ。実際、子どもたちは「LINEは楽しい」「いろんな友達とグループを作って盛り上がっている」、そんなふうに話す。

一方、「LINEができないと学校でハブられる」「SNSの友達関係に疲れた」「やめたいのにやめられない」という声も増えている。ちなみに「ハブられる」とは仲間外れになるという意味で、「省く」が語源だ。

「今あるつながり」への執着

楽しんでいたはずなのにいつの間にか苦しくなり、しかもやめられないのはなぜなのか。この背景には幾つかの要因が複雑に絡み合っている。

まず、スマホならではの物理的な問題だ。スマホはいつでもどこでも使える。当然、友達との交流は学校内にとどまらず、帰宅後も、休日も、時間や状況を問わず「つながってしまう」ことになる。また、スマホを利用することで子ども同士の関係性はより広くなった。学校以外の仲間やネット上で知り合った友達など、既存の集団以外での人間関係が広がっている。子どもたちは誰とでもつながれる自由と、幅広い選択肢を得たわけだ。

ただし、自分が持つ自由と選択肢は相手も持っている。要は相手から選ばれない、いつ捨てられるかわからないという不安がつきまとう。そのため、「私たちって友達だよね」というふうに、互いに親密であることを確認し続けなければならない。

最近、取材する中高校生が「心友」や「信友」「神友」という言葉を使う。いずれも「しんゆう」と読むのだが、心を許せる相手か、信じるに値する人物か、神様のように頼れる友達なのかを互いに探り合い、確認し続ける故だろう。楽しく盛り上がれる関係性が、別の面ではもろく壊れやすい。いつでも誰かを選べる一方で、誰からも選んでもらえないリスクも抱える。それを痛感しているからこそ、彼らは「今あるつながり」に執着せざるを得ない。

一目置かれるための「ウリ」が重要

さらに、友達の数が自身の評価に直結する。前述のように「誰とでもつながれる自由」がありながら友達がいないとしたら、それは誰からも選んでもらえない人、その人に魅力がないからだと見なされる。「ぼっち(ひとりぼっちの略)=価値がない人」と思われないために、無理をして周囲に合わせたり、たくさんの人から選ばれるような自己アピールをしなくてはならない。かわいい、かっこいい、面白い、勉強ができる、スポーツが得意、親切、優しい、お金がある、そういう「ウリ」が大切なのだ。

特にかわいい、かっこいい、面白い、そしてお金があることは一目置かれる。SNSでは写真や動画が瞬時に共有され、面白い話題ほど拡散していく。要は「見た目」や「ノリ」、外見の印象と人を楽しませるネタが重要視される。例えば「かわいい」なら単に顔がかわいいということではなく、服のコーデ (コーディネートの略) や持ち物、行動などが話題にされる。「スマホケースがかわいい」「かわいいお店で買い物した」など、さまざまな「かわいい」を共通認識にして仲間との一体感を保とうとするのだ。一方で、こうしたアピールをするためには相応のお金が必要だ。新しい服を買ったり、流行の場所に出かけたりするために、「お金がある」ことも求められる。

では、「ウリ」がない、あったとしてもアピールが苦手な場合はどうしたらいいだろう。そういう子どもは学校の人間関係から「ハブられ」やすいが、だからこそネット上で居場所を探そうとする。自分が活躍できる、自分の価値が認められる、そんな場所の一つが「ソシャゲ」と呼ばれるソーシャルゲームだ。

ゲームを苦しみに変える「ノルマ」

「ソシャゲ」では、ゲームアプリの中にSNS機能が組み込まれ、参加者同士が一緒に遊んだり対戦したりする。ゲームの進行状況や対戦成績、勝敗の結果などを参加者同士が共有し、チャットやメッセージで「会話」をしながら楽しむこともできる。

勝てばランキングが上がり、仲間に称賛される。外見の印象などは関係なく、「強い」ことがそのまま評価される明快な世界だ。ゲームスキルの高い中学生が社会人のメンバーを率いることもあるし、「神」「マスター」などと呼ばれて羨望(せんぼう)を集めることもある。そのため、ソシャゲのつながりを通して自己評価や自己肯定感を得る子どもも増えている。

とはいえ、そのつながりがいつも楽しいとは限らない。ゲーム会社間の競争やユーザーの要求が高まっていることを背景に、最近ではハイレベルのソシャゲが続々と提供されている。難易度が増したゲームでは、スキルの高い参加者が集まってチームを組み、いわば団体戦で進行するものも多い。そうしたチームの一部では、参加メンバーに「ノルマ」を課すことがある。各自が獲得するゲームポイントの目標数値が設定され、チーム力を強化するための努力が求められるのだ。

ノルマを達成するためには、大きく二つの方法がある。一つは時間。とにかく長時間ゲームを続けて目標数値へ到達する。もう一つは課金。ゲーム内で使うアイテム(道具や装備品)などを有料で購入し、それによって進行を早めたりキャラクターを強化したりする。どちらにしても負担を強いられ、大切な時間やお金をどんどん費やすケースもある。特に10代の場合、ゲームスキルは高くても判断力や社会経験は未熟だ。「仲間」と信じる大人から体よく利用されたり、一方的にノルマを押しつけられたりして自分の生活を破たんさせてしまう。

スマホがもたらす世界は、さまざまな面で子どもの世界を変えている。多大な恩恵の一方で、思わぬ苦しみを抱え、心身を壊していく子どもも少なくない。いつの間にか飲み込まれ、抜け出せなくなっている現状を、私たち大人は注視すべきだ。彼らにスマホを買い与え、あおるように使わせ、夢中で遊ばせる—それによって利益を得ているのは私たち大人の社会なのだから。

(2017年2月6日 記)

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  • [2017.02.13]

ジャーナリスト。家族・教育問題、児童虐待、青少年のインターネット利用などをテーマに取材。豊富な取材実績から、現代家族が抱える問題を浮き彫りにしている。主な著書は『子どもとスマホ:おとなの知らない子どもの現実』(花伝社、2016年)、『ルポ 居所不明児童: 消えた子どもたち』(ちくま新書、2015年) 、『ルポ 子どもの無縁社会』(中公新書ラクレ、2011年)等。

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