北朝鮮をとりまく4月の「危機」とは何だったのか

礒﨑 敦仁【Profile】

[2017.06.14] 他の言語で読む : ENGLISH | Русский |

相次ぐ弾道ミサイルの発射や核開発を巡る動きなど、北朝鮮情勢は予断を許さない。だが、北朝鮮側の論調を冷静に分析すると、同国なりの「自制」が読み取れる。4月には必要以上に危機感があおられたのではないか。

限られた情報:難しい金正恩体制の分析

金正恩(キム・ジョンウン)政権の北朝鮮を読み解くことは、金正日(キム・ジョンイル)政権の時よりも難しい。なぜならば、まず金正恩政権発足から5年半しかたっておらず、政策をパターン化して読み解くほどの情報の蓄積がないからである。また金正日国防委員長については、長男・金正男(キム・ジョンナム)氏、叔母・成恵琅(ソン・ヘラン)氏といった“ロイヤルファミリー”のほか、黄長燁(ファン・ジャンヨプ)書記のような側近幹部たち、さらには「金正日の料理人」藤本健二氏などによる多様な証言があった。だが、このような第一級の証言は、金正恩国務委員長に関しては皆無だ。現地の事情を外部にもたらす脱北者の数自体も激減している。

このような状況で金正恩体制を検証するには、北朝鮮の一次文献を検証しつつ、実際の政策との整合性をつぶさに観察するという伝統的手法に立ち返るのが有益であろう。

数々あった「自制」のサイン

北朝鮮の論調を日々追う中で、4月の北朝鮮をとりまく、いわゆる戦争の「危機」に関する一部の日本の報道には相当な違和感があった。少なくとも4月中旬には必死に戦争を防ぐべく、北朝鮮なりに自制している側面が読み取れたからだ。

第1に、金正恩委員長自身に見られる「自制」が挙げられる。北朝鮮外務省報道官談話など『労働新聞』に掲載された多くの記事に、米国や在日米軍への攻撃も辞さないといった論調が見られ、それが日本ではそのまま大きく報道された。しかし、北朝鮮で最も重要とされる「最高領導者」はそのような発言を慎んでいたことに着目すべきであろう。

そもそも金正恩委員長は、日本のテレビメディアをはじめとする各国の記者を受け入れたにもかかわらず、5年前とは異なり4月15日の金日成生誕105周年記念閲兵式での演説を行わなかった。金委員長自らが演説する場合には、権威付けの観点から米国に対して極めて強硬な発言にならざるを得ない。北朝鮮国内で最高領導者の発言は絶対視されてしまうことから、それを避けたものと考えられる。

第2に、北朝鮮外務省報道官談話などは「在日米軍への攻撃も辞さない」といった激しい論調を続けたが、その一方で4月に演説を行った朴奉珠(パク・ポンジュ)内閣総理は、経済的成果こそ威力あるものだと誇示した。閲兵式の際に金正恩委員長の横で演説を行った崔龍海(チェ・リョンヘ)朝鮮人民軍総政治局長兼党中央委員会副委員長は、米国が攻撃してきたら北朝鮮もそれに反撃する、というトーンに抑えており、北朝鮮自ら攻撃するとは言っていない。北朝鮮の論調分析では、報道される媒体と同時に、発言者・執筆者が誰かを見るのが重要である。

第3に、4月11日には最高人民会議で外交委員会が復活した。1997年まで委員長を務めていた黄長燁の韓国亡命もあり、98年の憲法改正で一度は廃止された委員会の19年ぶりの復活である。社会主義体制への親和性が高い各国の野党や各種団体も視野に入れた、北朝鮮なりの多面的な「議員外交」を展開していく予兆と見てよい。

第4に、金正恩委員長は開催日程が事前に公表されていた4月11日の最高人民会議に出席したばかりか、前述の15日の閲兵式にも出席した。他にも養豚場や日用品工場を視察するなど、全く「雲隠れ」をしていない。米国からの攻撃は絶対にないとの自信を持っていたことが見受けられ、すぐに戦争に入るような態勢にはなっていなかったと言える。

「醸成」された危機

一方、米国本土がミサイルの射程圏内に入りつつあることから北朝鮮問題への関心を高め、「先制攻撃も辞さない」などとしてきた米国のトランプ政権も、4月中旬からは北朝鮮に体制転換を求めない旨を明確にするようになった。

それゆえ、北朝鮮を巡る「危機」は必要以上に大きく報じられたと言わざるを得ない。その理由は単純である。

第1に、一部のコメンテーターや研究者は簡単にアラート(警告)を発する傾向がある。例えば冷戦終結後から4半世紀の間に、どれだけ北朝鮮崩壊論が議論されたことか。「北朝鮮は危険だ」「暴発の可能性がある」「崩壊の可能性がある」といった発言は、マイナスイメージ一辺倒のわが国のメンタリティーに寄り添って“ウケる”ため、それが実態の分析以上に浸透してしまうことに注意すべきである。発言を求められた者にとっては、「北朝鮮体制は安定的だ」「北朝鮮のせいで戦争は起きない」と明言するほうが格段にリスクは大きい。

第2に、日本はミサイル発射実験のたびに、防衛相ではなく安倍晋三首相自ら「世界に対する挑戦だ。北朝鮮に断固として抗議する」などと発言してきた。政府が危機意識を持って万全を尽くすという姿勢は不可欠であるものの、首相自らがそれを繰り返し強調すると、本当に戦争の危機が高まったときに日本国民が危機の度合いを認識しづらくなる。意図的にあおったのではないのかもしれないが、4月の「危機」醸成が憲法改正に向けた動きの追い風となったことは間違いない。

核ミサイル開発は体制護持のため

金正恩政権5年半の特徴を一言で表すならば、政策の振れ幅が大きく、変化のスピードが速いことであろう。冒頭に言及した情報不足に加え、そのことも予測不可能性を高めている。2013年3月、朝鮮戦争休戦協定の「白紙化」を宣言するなど、北朝鮮が一方的に危機感を高めたことがあった。当時、韓国に対して何らかの挑発行為を行うというのが大方の見方であったが、実際には大きな事件は発生しないまま対話モードに入っていった。14年、15年の元旦に発表された金委員長による「新年の辞」では、韓国に対して大胆な対話を呼びかけている。

希望的観測は避けるべきであるし、核開発を深化させた形で継続すると言っている以上、核実験が再開される可能性は否定できないが、少なくとも昨年9月以降9カ月間は実験を行っていない。トランプ政権の強硬な発言に警戒しつつ、自制してきたと見るべきである。

金正恩政権と金正日政権では、核ミサイル開発の位置付けが少し異なることにも注意すべきであろう。金正恩委員長は、13年3月に自ら核開発の意義を説いたことがある。それは「バルカン半島と中東諸国の教訓」であるとされるが、ここでは『労働新聞』で何度も解説がなされたリビアを例に挙げよう。核開発計画を持っていたリビアのカダフィ体制は、米英の説得に応じてそれを放棄した。その結果、体制は崩壊してしまった。だから核ミサイルは体制護持に欠かせない、というのが金正恩委員長の認識なのである。

また、核ミサイル開発の第2の理由としては、若くて実績が足りない最高領導者が、米国からの攻撃を防いだ、米国をやり込めたと北朝鮮国内で宣伝に使うための材料となっていることが挙げられる。

外交日程、記念日に絡めた「分析」は疑問

いずれにせよ、金正恩政権にとっての核ミサイル開発は体制護持のために進められているものであり、それを外交カードと断じてしまうのは、6カ国協議が動いていた金正日時代における北朝鮮分析の名残ではなかろうか。ミサイル発射実験のたびに日米韓の外交日程や北朝鮮の記念日に引っ掛けて「分析」するのも、あまりに後付け的で必ずしも適切なものではない。これまでの核・ミサイル実験の経過を見れば分かることだ。

リビアの例のみならず、北朝鮮は長年にわたって国際情勢を注視し、例えば他の権威主義的体制の崩壊から教訓を得て、自らの体制の永続化に役立ててきた。

金日成主席はソ連のスターリン批判、中国の林彪事件という後継者問題での失敗から教訓を得て、自ら健在のうちに子息を後継者に指名するという、社会主義体制初の世襲を選択した。

金正日国防委員長は、いずれも1989年に発生したルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻処刑や中国の天安門事件から教訓を得て、軍・秘密警察・警察を重視する「先軍政治」を明確に掲げた危機管理体制を確立した。

「国際的孤立」や国連による経済制裁にもかかわらず、160カ国と国交を有する北朝鮮は、国際情勢を分析しながらしたたかに自らの道を歩んできた。北朝鮮の核ミサイル開発は、わが国にとっては迷惑この上ないが、かの国からすれば「挑発」というよりも、三代続く “金王朝” を永続化させるために不可欠な手段なのであろう。

(2017年6月12日 記)

バナー写真:新型対空迎撃誘導兵器システムの発射実験を視察する北朝鮮の金正恩国務委員長【2017年5月28日付の朝鮮労働党機関紙・労働新聞(電子版)より】(時事)

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  • [2017.06.14]

慶應義塾大学准教授。1975年生まれ。慶應義塾大学商学部中退。在学中、上海師範大学で中国語を学ぶ。慶應義塾大学大学院修士課程修了後、ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本大使館専門調査員、外務省第三国際情報官室専門分析員、ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロウ・ウィルソンセンター客員研究員などを歴任。専門は北朝鮮政治。共著に『新版 北朝鮮入門』(東洋経済新報社、2017年)など。

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