「アラブの春」と日本外交

政治・外交

中東・北アフリカにおける民主化の動き「アラブの春」に際し、欧米諸国は、外交的な働きかけから軍事介入に至るまで、様々な関与を示した。地中海地域の硬軟交えた政治的コミットメントから、日本外交の在り方を再考する。

2011年の地中海(中東・北アフリカ)地域は、「アラブの春」と呼ばれる民主化の波に飲み込まれた。チュニジア、エジプト、リビアへと波及する形で民主化を求める民衆運動が高揚し、多くの国で独裁・権威主義体制が崩れていった。発端となったのはチュニジアの「ジャスミン革命」である。2010年12月に政府に抗議する青年が焼身自殺し、この情報がインターネットを介して配信されると、ベン・アリ大統領の下、一党独裁による権威主義体制への強い反発がくすぶっていた民衆を束ねた反体制蜂起につながった。2011年1月にはベン・アリ大統領が亡命し、暫定政府の発足という結果に結びついた。

「アラブの春」に対しては、仏米英を主力とするNATO軍が、リビアのカダフィ政権に対する軍事介入を行った(2011年3月~10月)ほか、エジプトやチュニジアでは、体制側に政権移譲を外交的に働きかけるなど、欧米諸国は様々な形で関与した。しかし、冷戦後の地中海世界では、これに限らず、欧米諸国による硬軟交えた政治的なコミットメントが幅広くなされている。とりわけ、EU及び欧州諸国による行動は、経済支援と政治的コンディショナリティの提示を使い分けながら、巧みにこの地域の政治社会の変革に影響力を行使してきている。

日本にとっても、この地域の安定化は、エネルギー安全保障の観点から死活的な重要性を有する。また、こうした大変革が進展する状況の下で、民主化と経済の安定化に向けたプロセスに的確な支援・関与を行ってプレゼンスを示すことは、国際社会全体でのプレゼンスの向上に直結する点においても有意義である。

地中海地域への日本の関与

大きな変革の波に乗ってきた地中海地域であるが、日本は、こうした国々に対してどのようなプレゼンスを示しているのだろうか。

日本の外交政策は、この地域の政治・経済の安定化、グッド・ガバナンスの実現を大きな目的に据えつつ、公正な政治・行政運営の実現、人づくり、雇用促進・産業育成に重点を置いている。さらに、経済外交の推進にも力を入れ、その進展によって日本と当該国との双方にとっての経済利益を高めるとともに、政治・経済システムの平和的変革へも貢献することを視野に入れている。そして多くの国が石油など豊富な資源を有していることを背景に、エネルギー分野での協力、さらには政治、科学技術、教育などの分野での協力も促進して、重層的な協力関係・信頼関係を構築する方向で関与を強めてきている。

外務省によると、公正な政治・行政の実現に向けては、「アラブの春」の結果として体制移行期に入ったチュニジアやエジプトに対する選挙支援(専門家の派遣など)が行われる。行政の側面においては、ガバナンス支援が挙げられ、政府は、JICAによる行政官研修への当該国からの受け入れの推進と、日本からの専門家の当該国行政組織への派遣を進める。また、チュニジアでは、国営テレビ放送センターへの機材供与や職員の研修という形での支援を行い、市民社会・メディア形成という面でも関与を強めている。人づくりの面では、エジプトのエジプト日本科学技術大学やチュニジアのテクノパークの整備・運営を進めている。雇用促進・産業育成においては、まずはインフラ整備を軸に展開されており、直近の5年間の円借款実績は年平均1,220億円にのぼり、さらなる拠出が予定されている。また、経済産業省所管のNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)として、モロッコやチュニジアでの太陽光発電の事業を推進している。

イスラエルとの対立・紛争の続くパレスチナに目をやると、日本は、1993年以降10億米ドルを超える支援を実施してきた。ジェリコでの病院建設や、母子保健手帳の導入など形になった成果も出ている。2003年から2009年の期間で見ると、日本の対パレスチナ支援は全体の8%を占める(EUの21%、アメリカの18%に次ぐ規模)。こうした中、パレスチナの経済自立化に寄与すべく、中長期的な日本独自の取り組みとして進められているのが「平和の繁栄の回廊」構想で、その一環として、ジェリコ農産業団地の土地造成事業の着工式が2010年10月に行われ、整備が進んでいる(『外交青書』2011年版)。日本としては、米・EU・露・国連の「カルテット」主導で策定された「中東和平ロードマップ」に沿った二国家解決の実現に向け、関係者への政治対話の働きかけや信頼醸成促進に加え、こうしたパレスチナへの支援を進めることで、中長期的な地域の平和・安定への貢献を図っている。

EUの近隣諸国政策

他方、地中海地域の政治・経済の安定化に寄与するもっとも重要なアクターとも言えるEUは、どのように関与しているのだろうか。

EUのこの地域への関与は、主として、欧州近隣諸国政策(ENP)と地中海連合(Union for the Mediterranean)という枠組みを通してなされている。

ENPは、EUと近隣諸国との間で個別の協定を結ぶことにより、EUがその枠組みの中で政治・経済・社会にまたがる様々な分野における支援を行い、近隣諸国の政治的経済的安定を促すものである。対象国には、ウクライナやベラルーシといった旧ソ連諸国のほか、地中海の南岸・東岸を形成するモロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン、シリアといった中東・北アフリカ諸国が主に含まれる。ENPにおいては、EUと個別の国との間で行動計画を結び、EUはそれに基づいて支援を行う。行動計画は対象国の情勢を踏まえてオーダーメイドに策定されるが、民主主義と法の支配の強化、人権擁護の推進、テロや紛争を回避するための政治対話や相互理解の推進、経済活性化・交易の強化等は、いずれの行動計画においても強調されている。対象国が経済支援を得るために、EUからのコンディショナリティが課されている構図となっているが、民主主義体制でないアラブ諸国との間において、こうした内容を盛り込む行動計画が締結されること自体が、EUの対外政策の成果として意味を持っていると言える。


EU加盟27か国(青色)以外の加盟国(オレンジ色):
アルジェリア、アルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、エジプト、グルジア、イスラエル、ヨルダン、レバノン、リビア、モルドバ、モロッコ、パレスチナ自治区、シリアチュニジア、ウクライナ

 

一方、地中海連合は、2008年に発足した枠組みで、1995年に始まった「欧州地中海パートナーシップ」(通称「バルセロナ・プロセス」)を引き継ぐものである。EU27カ国と、チュニジアやモロッコなど北アフリカの国々、イスラエルやパレスチナなど東地中海の国々、それにトルコやバルカン半島のEU未加盟国なども加わり、地中海沿岸を包括する地域的国際機構となっている。事務局がバルセロナに置かれ、地中海の「北」(=EU)と「南」(=EU以外)から、おのおの議長国を選出する共同議長制度を導入した(初代議長にフランスとエジプトが選出されている)。その目的は、南北間の相互理解・協調の促進を様々な分野で行うものであり、「南」のキャパシティ・ビルディングを促すことを念頭に、文化や教育における交流、産業、エネルギー、環境という分野での協力が進められる。また、参加国が一堂に会する場を提供することを通じて、「南」の中での対立・摩擦を予防・緩和するという機能も内在している。

EU加盟27か国(青色)以外の加盟国(オレンジ色):
アルジェリア、エジプト、モロッコ、パレスチナ自治区、チュニジア、イスラエル、ヨルダン、レバノン、シリア、モーリタニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、モナコ、アルバニア、モンテネグロ、トルコ

 

このように、EUは、中東・北アフリカ諸国との間で、ENPによる「EUと個別の国」というバイラテラルな枠組みと、地中海連合を用いた「多国間での協議・協調の場」というマルチラテラルな枠組みとを併用し、地中海地域において重層的な関与を深めているのである。政治・経済・社会、そして安全保障までの広い分野において、中東・北アフリカ諸国への関与を深めつつ、経済支援における政治的コンディショナリティを課すことで民主化へ向けた政治的変革を促し、それによって中長期的に政治的安定のソフトランディングを図る、というのがEUの戦略だ。この戦略の核には、地中海連合が特に象徴的に示すような、多国間の枠組みによる対話の制度化がある。EU自身が紆余曲折を経ながらたどってきた地域の安定と発展の道筋は、まさに、そうした対話の制度化である。地中海地域の中東・北アフリカは、ヨーロッパと地政学的、経済的、そして歴史・文化的にもつながりが深く、それでいて紛争が絶えない脆弱な政治構造を有する地域である。EUは、その歴史的経験とノウハウに基づいた国際政治戦略を、地中海沿岸の中東・北アフリカに投影することにより、ヨーロッパから地中海に広がる広域圏での政治・経済の安定・発展を目指しているといえる。

日EUの比較と地中海地域から得られる示唆

以上に見た日本とEUの地中海外交を比較すると、何が見えてくるだろうか。

日本の関与の内訳を見ると、選挙支援、インフラ支援、人的交流の強化などからなっている。一方、EUの関与は、グッド・ガバナンスの実現、経済支援、教育制度のノウハウ支援などが主体となっている。双方ともに、政治・経済・社会の広い領域にわたる支援・関与を展開していることでは共通している。

日本の場合は、憲法の制約もあって、軍事的な形での貢献でなく、文民型の貢献・支援による関与となっている。特に、日本は「人間の安全保障」を外交政策の柱として重視しているが、地中海外交においても、現地の人々の「エンパワーメント」(能力強化)に力点を置いた関与や支援の手法にその方向性が色濃く表れている。この点はEUにおいても共有されており、「人間の安全保障」は、2003年12月に出された「欧州安全保障戦略」によって、共通外交・安全保障の軸に据えられている。つまり、軍事力の行使による貢献は最小限にとどめ、EU諸国が多くのノウハウを有する文民支援が柱とされているのである。

他方、日本とEUの違いとして、EUが、その主要加盟国である仏英などが中東・北アフリカのいくつかの国に対して植民地統治を通じた歴史的つながりを持つが故に、ときに関係の深さと背中合わせに不信感も与え得る存在であることがあげられる。「アラブの春」では、カダフィ政権を倒すために、仏英など一部EU加盟国によるリビア空爆への参加という軍事行動を行ったが、これは、短期的には民主化に向けた貢献となり得るものの、中長期的には反感・憎悪を引きずってしまう可能性も小さくない。

EU(あるいはその主要加盟国)による微妙なさじ加減が求められる動きに対し、日本はこの地域でニュートラルな存在で、信頼感は非常に高い。その意味で、何らかの対立・紛争が起こる場合に、仲介者としての役割を担う高いポテンシャルを持っていることは、貴重なアドバンテージであると言える。日本にとって、このアドバンテージをゆめゆめ失うことは許されない。

EUにはまた、予防外交という戦略がある。紛争を未然に防ぐことこそ地域の安定につながるという観点であり、政府間の外交ルートから草の根レベルの民間交流に至るまで、幅広い間口で相互作用を深めることにより、将来の紛争の要因が芽生えるのを排除していこうとするものである。日本の地中海での関与からは、こうした要素が散見はされるものの、明示的な軸とはなっていない。この地域での活動の輪郭をくっきりとさせ、日本のプレゼンスを高める意味でも、こうした軸を打ち出していくことは望ましい。

「東アジア共同体」の参照モデルとしての地中海

ところで、EUと地中海地域との関係の構図は、日本と近隣アジア諸国との関係に酷似している。

政治的・経済的な安定・繁栄を手に入れた先進国がある一方で、政治的には民主化以前の状況が支配的であり、かつ経済発展も一部の特権階層に限られ、市民全体がその恩恵に浴せるほど水準に十分には達していない国々(例えば中国)がある。しかも、そのような国々が近隣と対立を抱え、極めて不安定な(ときに一触即発な)関係を持っている場合がある、という構図には、EUと地中海地域との関係と、日本と近隣アジア諸国との関係の類似性が浮き彫りにされている。つまり、EUが地中海で進めている対外政策は、日本にとっての東アジア政策と多分に重なる点が多いのである。「アラブの春」が意味していることとして、地中海の「南」の国々での民主化が続き、アジアでも民主化の進みつつあるケースがあることを考えると、日本が近隣アジア諸国とのより深い関係を構築していく過程において、地中海の事例を一つのモデルに得られる知見は多い。

地中海連合という地域的国際機構は、日本の考えるべきアジアの地域協力に、一つの参考例を示しているとも言えよう。「東アジア共同体」の議論が、しばしば、EU統合との比較の観点で語られることがあるが、実は比較考量すべき対象はEUそのものではなく、EUとその近隣との関係にこそあるのではないか。すなわち、ヨーロッパが国際関係の軸に据えている多国間の枠組みによる対話の制度化とその有効性について、東アジアの文脈で検討することに意義があるということである。

(2011年11月30日記)

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