なぜ日本ではストが激減したのか

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1970年代半ば以降、日本ではストライキの減少傾向が続き、国民の関心も大幅に薄れている。なぜストは減ったのか。経済的に困難な時代だからこそ、ストの意義を改めて見直す必要があるのではないだろうか。労働法の専門家が分析する。

「今日は、バス会社でストライキがあるから、途中まで歩かなくちゃならないよ」

1971年生まれの筆者には、小学生の時分、春になると、親がそのようなことを言いながら出勤していった日の記憶がある。春先には決まって、ストライキのために交通機関が止まるニュースが流れていたものだ。戦後の日本では、労働組合と経営側との労使交渉において、1955年に「春闘」と呼ばれる方式が開始され、1960年代以降に定着をみた。この「春闘」方式とは、日本で主流の企業別組合(特定の企業や事業所ごとに、その企業の従業員のみを組合員とする労働組合)によって行われる企業ごとの賃金交渉を、毎年春に足並みを揃えて短期集中的に行うもの。自動車や電機、鉄鋼といった製造業の有力な労組が交渉の口火を切って賃上げ相場のパターン・セッターとなり、そこで獲得された賃上げ相場を、他の産業の賃金交渉や、さらには労組に組織されていない中小企業の労働者の賃金水準にも波及させることを狙った戦術である。春闘を通じた賃上げは、日本の労働者全体の生活水準を向上させることに大きく寄与し、賃金交渉の妥結水準をめぐる攻防の中で実施される「春闘スト」は、1980年代初頭までは日本の春の風物詩の1つとなっていた。

しかし現在では、そうしたストライキのイメージは遠いものとなった。近年の日本ではストライキの件数が著しく減少し、2004年9月の日本プロ野球選手会によるストライキのような例外を除けば、社会的に話題となることも少なくなったからである。

減少を続けるストライキ

日本の労働争議は、経済の高度成長期にあたる1960年代から70年代にかけて、春闘の定着により賃上げ交渉が活性化したこともあり、顕著な増加傾向を示した。1960年には、半日以上のストライキ件数が年間1053件、行為参加人員数が91万7454人であったのに対し、1970年にはそれぞれ年間2256件、171万9551人に達している。その後、オイル・ショック後の不況から企業による人員整理が頻発したことを受け、ストライキの件数はさらに増加し、半日以上のストライキ件数が5197件、行為参加人員数が362万283人に達した1974年にピークを迎えた。その後、ストライキを伴う労働争議の件数は減少に転じ、特にバブル経済が過熱した1980年代半ば以降は減少傾向が顕著となっている。

問題は、バブル崩壊後の1990年代後半以降も、ストライキ件数に上昇はみられず、21世紀に入ってからも減少が続いていることである。この間、民間労働者の平均給与額もほぼ一貫して減少しているにもかかわらず、である。リーマン・ショック後の不況期に至っても、さらに労働争議は減少し、2010年には、半日以上のストライキ件数は年間38件、行為参加人員数は2480人に落ち込んだ。

ストライキ減少の原因

なぜ、現在の日本ではストライキが起こらなくなったのだろうか。その原因として、さまざまなものが考えられる。1つには、企業と労働組合との間で、対抗的な団体交渉よりも、相互が情報を共有し意思疎通と合意形成をはかることを目的とする労使協議が制度化され、定着してきたことが挙げられる。労使協議制が定着している企業では、経営側と労組との協議において、従業員の賃金のみならず、企業の経営方針全般や人事配置、社員教育、福利厚生など幅広い事項がテーマとされ、経営側からの情報提供も積極的に行われていることが窺われる(※1)。労使協議制のもとでは、企業の生産性を高めることなどを目的に、経営と労組の双方が正面からのぶつかり合いを避け、協調的で安定的な労使関係を構築することが了解されているのである。この背景には、日本で主流の企業別組合の組合員の高学歴化が進み、学歴や経歴の面で企業の経営者層と近い者が組合幹部となることから、経営側と労組との間の意思疎通が容易となっているという事情もあるだろう。いずれにしても、企業別組合をベースとする安定的な集団的労使関係が定着してきたことが、労組がストライキという強い実力行使に出ることを抑制する要因となっているのではないか、と考えられているのである(※2)

組合における労働者の「分断」

もっとも、上記の事情は、主に、比較的大規模な企業における正規雇用の従業員を主な組合員とする企業別組合にあてはまるものであって、近年、労働者人口の中で比率を高めている非正規雇用の従業員や、中小企業の従業員については様相が異なる。それらの人々は、多くが労組に組織されていないか、あるいは、地域一般労組(一定地域で働く労働者を、企業や産業にかかわりなく組合員として組織する労働組合)に加入している。地域一般労組は、個々の組合員の雇用関係上の問題を使用者と交渉して解決する、という個々の労働者の代理人的な役割を果たす点では積極的な活動を展開しているものの(※3)、産業や企業のレベルで多くの労働者を組織するには至っていない。そのため、地域一般労組が一定の労働者集団の賃金水準を上げるためにストライキを実施することは現実的に困難である。このように、日本では、雇用される企業の規模や雇用形態の違いによって労働組合における組織の面で労働者の「分断」状況がみられ、そのことが労働者の連帯による団体行動を抑制する一因となっていると考えられるのである。リーマン・ショック後、企業の減産に伴う派遣労働者の失職が社会的に問題となった際に、1970年代の不況期とは異なりストライキがほとんど行われなかったことは、そうした事情を象徴しているといえるだろう。

公務員のストライキ禁止

さらに付け加えれば、日本では、公務員の争議行為が禁止されていることも、ストライキ件数が抑制されてきた一因であるといえるだろう。敗戦後、1946年に制定された日本国憲法では勤労者に労働基本権(団結権、団体交渉権、団体行動権)が保障された一方で、公務員に対しては占領政策の中で争議権が制限され、以降、現在に至るまで、非現業・現業を問わず国家公務員と地方公務員のいずれに対しても、ストライキを含む争議行為が法律で禁じられている。これに対して、かつては、争議行為を公務員が決行し、司法の場でも公務員の争議権制限が憲法違反にあたるかどうかが度々争われたが、裁判所による合憲判断が定着したこともあり、近年、特に21世紀に入ってからは公務員による争議行為はみられない。また、現在、日本政府が検討している国家公務員制度改革では、国家公務員の勤務条件法定主義(人事院勧告に基づき法律で公務員の給与等の勤務条件を定める原則)を一部見直し、集団的な労使交渉に基づく労働条件決定のしくみを導入する案が打ち出されているが(※4)、そこでも公務員の争議権回復についてははっきりとした方向性が示されないままになっている。

このような経緯から、昨今の日本では、東日本大震災の復興財源確保などを理由に国家公務員給与の大幅な引き下げ方針が打ち出されている現状でも、公務労働者によるストライキの声は聞こえてこないのである。

ストライキの意義を見直すとき

以上、概観してきたように、日本でのストライキをめぐる事情は、近年では非常に静かなものとなっている。厳しい経済状況や財政状況の下、さらには震災からの復興のために、多くの人々が「一丸となって」堪え忍んでいる状況では、一部の労組がストライキをして待遇改善を求めることには憚りがあるようにも見受けられる。しかし、今ここで改めて思い起こすべきは、そもそも春闘において、ある分野の企業の労働者たちがストライキを通じて獲得した成果を他の労働者にできる限り幅広く波及させることが目的とされ、それがある時期までは機能していた点である。つまり、ストライキを行うのは一部の労働組合であるとしても、それが他の多くの労働者の暮らしを支える労働条件の向上へとつながる回路があったわけである。現状では、高度成長期のような賃上げを目標とすることは困難であるかもしれない。しかし、そうした困難な時代であるからこそ、その時代に見合った労働者の連帯を、正規・非正規の労働者、あるいは民間・公務の労働者の間に構築することが労働運動には必要であり、その中で改めてストライキの意義を見いだすことが求められるのではないかと思うのである。

(※1) ^ 梅崎修・南雲智映「交渉内容別に見た労使協議制度の運用とその効果─『問題探索型』労使協議制の分析」日本労働研究雑誌591号(2009年)25頁以下を参照。

(※2) ^ 伊藤実「日本における安定的労使関係構築の背景」では,労働組合員数・組織率,労働争議件数,労使協議機関に関するデータを基に,労使関係の推移が検討されている。

(※3) ^ 呉学殊『労使関係のフロンティア─労働組合の羅針盤』(労働政策研究・研修機構,2011年)264頁以下に,事例に基づく詳細な研究がある。

(※4) ^ 2011年6月3日に閣議決定された「国家公務員の労働関係に関する法律案」の内容。

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