シリーズ サイエンス・フロンティア
【生体材料工学研究所】バイオセンシングが医療の未来を変える
[2012.08.30] 他の言語で読む : ESPAÑOL |

医学、工学、歯学、薬学といった領域の横断研究で、生体材料などを作ってきた東京医科歯科大学の生体材料工学研究所。コンタクトレンズで血糖値をチェックするといったセンシング技術の開発に力を入れている。

涙で血糖値をモニタリング

一見すると普通のソフトコンタクトレンズだが、このコンタクトレンズは視力矯正のためのものではない。つけているだけで血糖値を計測できる、生体システムを利用したバイオセンサーだ。コンタクトレンズ上にはブドウ糖を認識する素子(グルコース酸化酵素)が固定されており、涙の中のグルコース(血糖)を計測する。従来の血糖値測定のように採血する必要がない。

ソフトコンタクトレンズ型グルコースセンサー。計測時は電極部分にリード線を繋いでデータをとる。(生材研提供)

「採血のように痛い思いをせずに生体情報を得られる非侵襲(※1)な方法として、汗や唾液、涙などを利用できないかと思ったのがきっかけです。涙はただの水ではなく、血液成分が少し含まれた液体で、涙液中のグルコースと血糖値に相関があることが分かっています。現時点ではモニターしたデータをどのように処理するかなど、検討を進めています。もちろん、今回の研究によって非侵襲なバイオセンサーとしての涙の可能性が広がり、目でのセンシングが可能になればその他の感覚器でのセンシングにも応用できるはずです」と、生体を利用したセンシング研究を行う生体材料工学研究所(生材研)の三林浩二教授は強調する。

そもそも歯科器材の品質向上を目的に、東京医科歯科大学の研究機関として設立された生材研。しかし、研究分野は歯科器材にとどまらず、生体機能分子、生体材料、生体システムの各分野で世界をリードする研究を行っている。骨や歯の材料であるハイドロキシアパタイトや歯科治療に使われるチタン合金は、生材研から世界へ広がった研究成果の代表格である。革新的な人工臓器への社会ニーズの高まりなどを受け、さらに生材研の研究領域も広がっている。

人間と眼球の大きさが近いウサギで試験を行う

コンタクトレンズ型センサーの研究もその一つ。これは、つけている本人が気づかない状態のまま(無意識のうちに)、継続的に血糖値を計測できるメリットがある。血糖値の上昇をチェックし、糖尿病の早期発見や、急上昇時のインスリン投与の治療につなげられるからだ。現状ではコンタクトレンズ上の電極に繋がったリード線を介して、有線で測定・データ収集を行うしかないが、スマートフォンやPCなどのデジタルデバイスに無線でデータを送信できれば、完全に本人は知らぬ間に連続計測と分析ができるようになる。

健康な人なら、食事で血糖が上がれば自然に膵臓(すいぞう)からインスリンが分泌され、血糖が下がる。ところが、糖尿病の人は、血糖値を下げる働きのあるインスリンの分泌が悪くなるために血糖値が上昇する。コンタクトレンズ型センサーは、本来、人間に備わっている高度なセンシング機能と内分泌機能を担って、糖尿病の予防や早期治療に役立てようというものだ。

体が本来持つ血糖管理システムを再現

生材研でセンサ医工学を担当する三林浩二教授。

三林教授は血糖値をモニターして終わりとするのではなく、治療に役立てるところまで視野に入れている。生体システムを使ったセンシング技術を発展させ、インスリンの分泌を行う「人工膵臓」も開発。現時点で人工膵臓と呼ばれるものは、電気エネルギーによって駆動する人工心臓に似たポンプタイプのものだが、三林教授が研究している人工臓器はグルコースの化学エネルギーを運動エネルギーに変換するもの。グルコースのエネルギーでインスリン分泌をコントロールする。

血液中のグルコース濃度に応じてインスリン分泌を制御できれば、生体内で行われている血糖コントロールと同じ仕組みを人工的に再現できることになる。

「私たちは、非侵襲に加えて、生体適合性が高く生体に近い材料であること、さらに生体システムに組み込まれた化学エネルギーを使うことをポイントに研究を進めています。人工臓器などでは電気エネルギーを使うことも多いのですが、人は電気仕掛けで動いているわけではありません。体内で起こる化学的変化を、健康状態を知るシグナルとして利用する。同時に、モノを動かすエネルギーとして使いたいと考えています」(三林教授)

グルコースエネルギーで駆動する人工膵臓モデル

ポイントの一つである生体適合性の高い素材作りは、生材研が最も得意とする分野である。コンタクトレンズ上に固定したセンサーも、生材研で開発されたMPCポリマーという極めて生体適合性の高い素材でコーティングされている。人工血管のコーティング材として開発されたMPCポリマーは、タンパク質を吸着させないため血液凝固反応が起こらず、表面をツルツルに保つことができる。この素材をコーティングすることで、涙に含まれる汚れからセンサーを守り、劣化や故障を防ぐことができる。

ヒトの脱臭システムをガス感知に応用

バイオセンシングから始まる未来の医療デバイス研究はさらなる広がりを見せている。例えば、現在進めている研究の一つが、「生体が発するガス=臭い」のセンシング。体内で発生したガスや排泄物の臭気が体外に放出されないのは、肝臓の代謝酵素が臭気成分を分解するためで、肝臓での代謝酵素のはたらきが弱まれば体臭にも影響する。いわゆる加齢臭も、加齢による代謝システムの劣化だと見ることができるという。

匂い成分をリアルタイムで計測・可視化する研究も進んでいる

このすぐれた脱臭・消臭システムを応用して高感度なガスセンサーを開発。臭いをキャッチするのに「嗅覚」には頼らないのが特徴で、肝臓の薬物代謝酵素を利用して臭気成分を高感度に計測する。このセンサーを使って、疾病や代謝異常によって発せられる低濃度の揮発性成分を測定し、健康状態をチェック。匂(にお)い情報を光学情報に変換し、空間的な動画像としてとらえる「匂いの可視化技術」も可能にした。さらに、有害なホルムアルデヒドを高感度でセンシングする環境技術へと発展させた。

「高度なセンサーでも感知できないようなシグナルをキャッチできる素晴らしいシステムが人体には備わっています。しかも、電気を使わずに化学エネルギーの変換によって行うことができる。このシステムは個別の人の健康管理や医療に役立つだけでなく、社会や環境にとって役立つ技術になり得る。いつか、生体エネルギーが電気に代わる未来のエネルギーになる日が来るかもしれません」(三林教授)

生体エネルギーを電気エネルギーに置き換えて機能させる従来型の生体工学から、生体エネルギーや生体システムそのものを活用する“超生体工学”へ。問題解決のカギは、すでに人間の中に備わっているのかもしれない。

取材・文=牛島 美笛
撮影=ハンス・サウテル

(※1)^ メスや注射などで皮膚を傷つけない治療法や手技のこと。わずかな傷口で治療ができ、患者さんの負担が少ない腹腔鏡手術などは「低侵襲」と呼ばれる。

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