シンポジウムリポート

未来志向の食糧支援:笹川アフリカ協会の25年

経済・ビジネス

笹川アフリカ協会(SAA)はサブサハラ・アフリカ諸国で食糧の安全保障をめざす「笹川グローバル2000」プロジェクトを実施している。2011年11月2~4日、笹川アフリカ協会の設立25周年を記念するシンポジウムがマリの首都バマコで開催され、マリのアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領や日本財団の笹川陽平会長が出席した。イギリス人ジャーナリストが現地の様子を取材した。

セリンゲ・ダムを車で超えながら北に目を向けると、水田が地平線まで広がっている。だが、肥沃なのは谷底だけで、周囲の丘陵は乾いている。

マリ南部は国内でもっとも豊かな地域だが、そこですら農業で生計を立てるのは難しい。地域の繁栄や住民の健康状態、開発の程度は、天候、穀物価格、生活必需品のコストに大きく左右される。農業による利幅は薄い。雨不足だった雨季が過ぎ去り、収穫がほぼ終わったところだ。大地は干上がって硬く、草地は色あせて緑色より砂の色に近い。

「住民たちは金儲けのために農作物を売っているのではありません」。セリンゲ村のブゥルヒマ・ドゥンビア村長はそう語る。「彼らは農業資材の仕入れや学校の授業料など、必要最低限の費用を賄わなくてはなりません。この辺りには中学校がないので、バマコなど離れた都市で中学校に通う子どもへの仕送りも必要です」

笹川アフリカ協会はこうした厳しい環境下で活動を続け、小規模農家の生産性向上や、農作物の加工・販売を支援している。具体的には、小規模農業の機械化や、少量の化学肥料で収穫量を増やすための助言などを進めている。

笹川アフリカ協会の誕生

25周年を迎えた笹川アフリカ協会にとって、マリはエチオピア、ナイジェリア、ウガンダと並ぶ4つの重点地域の1つだ。いずれの国でも地元のフィールドワーカーが協力先の村を定期的に訪れて、専門的なアドバイスを提供している。そうしたアドバイスの元となる知識と経験は、笹川アフリカ協会が数十年にわたり蓄積され、創立者自身による個人的貢献に根ざしたものだ。

笹川アフリカ協会25周年記念式典。笹川陽平日本財団会長、マリのアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領をはじめとする要人が出席した。

笹川アフリカ協会は慈善活動家の笹川良一氏、ジミー・カーター元米国大統領、1960年代に南アジアで「緑の革命」を主導してノーベル平和賞を受賞した農業学者のノーマン・ボーローグ博士との先駆的な試みから誕生した。

1980年代半ば、アフリカを襲った深刻な飢饉に衝撃を受けた笹川氏は、ボーローグ博士に連絡を取り、アフリカの食糧問題を解決して将来の危機を回避したいと協力を要請した。ボーローグ氏は高齢を理由に断ったが、笹川氏は自分の方が10歳あまり年上であることを告げ、年齢のために傍観することはできないと説得した。大統領退任以降、アフリカの開発問題に関心を注いできたカーター氏の支援も得て、笹川アフリカ協会はサブサハラ・アフリカの食糧増産を使命とする組織として発足した。

農業の重要性

笹川アフリカ協会は現在、故笹川良一氏の子息である笹川陽平氏が会長を務め、父と同様の情熱を注いでこの問題に取り組んでいる。

「人間は生まれたら、生まれ落ちたその瞬間から生きる権利を持っています。そして生きるためには、食べなければなりません」。笹川氏はマリの南の国境に近いメディナ村で催された25周年記念式典で、住民とスタッフに語りかけた。「アフリカには今も、腹を満たすだけの食糧が得られない人々がいます。ここアフリカでは何百万人もの人々が、空腹を抱えて眠らなければならないのです」

道義的責務を見極めることは最初の一歩だが、最大の試練は問題に取り組むための有効な方法を考案することにある。当面の食糧不足を解決するためにも、草の根経済を将来発展させる基礎を築くうえでも、農業の生産向上が鍵を握る――。笹川アフリカ協会の創立者らはやがてそう考えるにいたった。笹川氏はインタビューでこう説明する。

「アフリカの人々の約70~80%は農村地帯に住み、食糧の生産量は自分の家族がやっと食べられる程度で、何も残りません。現金収入もなく、栄養を考えるゆとりもない場合がほとんどです」

政治家はココアやコーヒーのような換金作物のことばかり考えすぎると、笹川氏は考えている。政治家は農家の大半が頼みの綱としている自給作物を無視しがちだ。そのため笹川アフリカ協会は、新品種を導入したり、化学肥料や殺虫剤を使用したりすることで、いかに収穫量を増やせるかを小規模農家に示すところからスタートした。

予測不能な収穫量に対応する

トウモロコシ畑を訪問。地元農家は従来農法と比較した新技術の効果を自らの目で確認できる。

笹川アフリカ協会は1996年、マリ国内の4つの地域でプログラムを開始し、最終的に416カ所の村で試験区画に作物を植えつけた。地元の人々は従来の農法で耕作された畑と比較して、新しい技法がいかに効果的かを自らの目で確認した。

しかし、生産量を増やすことは最初の一歩にすぎない。笹川アフリカ協会が他のNGOと異なっているのは、地元農家が協同組合の仕組みを発達させ、収穫の余剰分を販売できるように支援している点だ。気候変動のために食糧供給の不安定度が増すとみられる時代にあって、貯蔵施設の改善も優先課題とされている。

セリンゲ村のドゥンビア村長によると、これまでは、村でもっとも収穫量の多い農家が穀物の1割を村の備蓄のために提供していたという。村の家々の間には昔ながらの穀物庫が点在している。泥壁の上に円錐形のわら葺き屋根を乗せた小さな丸い建物だ。

笹川アフリカ協会が導入したトウモロコシの皮むき機の実演をする女性。

村ではこの非公式の仕組みを一種の「ザカート」(イスラム教の伝統である救貧のための施し)と捉えている。地元農家のアダマ・ドゥンビアは、マリ国内でさらに環境が不安定な地域には組織的な穀物貯蔵システムがあるが、セリンゲではこれまでその必要がなかったと説明する。だが2011年は雨量が少なかったため、住民は初めて、ザカートの蓄えだけで全員の分を確保できるかどうか不安を感じている。笹川アフリカ協会が提供する改良型の貯蔵技術がセリンゲでも不可欠な状況になりつつあるのだ。

農家に対する財政支援

笹川アフリカ協会は財政支援も行っている。農家は昔から穀物価格の季節変動に悩まされてきた。収穫前に貯金を使い果たした農家には、農作物が供給増で値下がりする時期に売りに出さざるを得ないことがよくあった。さらに収穫期は新学期と重なり、教科書代や親元を離れて中学校に入学する子どもの生活費など、支出のかさむ時期にあたっている。数ヵ月後にはまた、家族の食料を確保するために穀物を買い戻さなければならない。その頃には穀物が品不足になって価格が大幅に値上がりするため、農家の多くは赤字を出すことになる。

この問題を克服するために、笹川アフリカ協会は農家が作物を早めに売っても、数ヵ月後に必要が生じた場合に同じ価格で買い戻す権利を保証するスキームを進めている。

笹川アフリカ協会のマリ・チームは現地の人材や技能を大いに活かしている。地域責任者のアブゥ・ベルテ博士は、バマコ近郊にある国立地域経済研究所の所長も務めたことのある動物学者だ。博士のチームには、毎週数百キロも移動して僻地の村を訪ね歩くボカール・シソコ氏など、熟練した農学者もいる。

シソコ氏はだいたい2カ月毎にセリンゲ地域を訪問している。現在、村にインターネット回線を導入する可能性を探っているところだ。インターネットがあれば村の事務官は農産物価格をチェックできるし、町から必需品を仕入れるタイミングも判断できる。

この数十年間に実施された開発計画で、村にはすでに大きな影響がもたらされている。村の年長者の多くはマリの行政・ビジネス言語であるフランス語をほとんど使えないが、若い世代では識字率は遥かに高く、近代的な商業経済で不自由はない。

マリの現状

降水量が少なかった2011年、マリは厳しい試練に見舞われた。とくに当初予想で西アフリカ諸国の穀物生産量が大幅に増加すると見られていただけに、失望は大きい。収穫高の詳細なデータがまとまった現在、政府の専門家は以前より悲観的な判断を迫られている。

マリ、セリンゲの風景

北部地域がサハラ砂漠に突き出たマリは、砂漠化が進むサヘル気候帯に位置している。だが周辺諸国に比べれば、それでも厳しい気象条件に対応する態勢が整っている。

マリには食糧供給の安定化をめざすうえで、3つの強いプラス要因がある。第1に、マリでは20年にわたって民主政権が続き、2012年には5回目となる大統領の自由選挙が実施される予定だ。このため安定した政策立案が可能となり、政府や政治家に対して一般市民のニーズを重視する必要性が圧力となっている。

第2に、国土を貫いて流れるニジェール川によって巨大な内陸デルタが形成されていることだ。そこには広大な農地が作り出され、サハラ砂漠の南縁にある古都ティンブクトゥの周辺でも灌漑が可能となっている。マリは西アフリカの穀倉地帯となることをめざしている。

第3の要因は、マリは多量の金埋蔵量を誇るにもかかわらず、歴代政権が農業を重視し、小規模農家の生産性向上と大規模な食糧備蓄の構築を優先していることだ。

笹川アフリカ協会25周年記念シンポジウム。左からニセフォール・デュードンネ・ソグロ元ベナン大統領、笹川陽平氏、マリのシセ・マリアム・カイダマ・シディベ首相、オルセグン・オバサンジョ元ナイジェリア大統領。

マリのアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領はnippon.comの取材に対し、「人間にとってまず必要なのは自らの食糧を確保することだ。我々は食糧安全保障を超えて、食糧主権をめざしている」と話した。大統領によると、マリは輸出用作物として綿花も生産しているが、穀物の収穫を優先している。綿花の価格は制御できないが、食糧生産は貧困と戦ううえで国の強力な基盤となり得るからだ。「わが国は食糧生産に多額の助成金を支給している」とトゥーレ大統領は言う。

笹川アフリカ協会による安価な肥料を草の根レベルで農家に供給する計画はまだ道半ばであり、彼らが肥料を入手できるかは、補助が適用された資材を扱う業者と取引しているかに左右される。だが、この作業は著しい成果をあげつつある。

子どもの飢餓を根絶する

2015年までに飢餓または栄養不良によるアフリカの子どもの死を根絶する――。これは2010年に国連食糧農業機関(FAO)のジャック・ディウフ事務局長と当時アフリカ連合の委員長だったマラウィのビング・ワ・ムタリカ大統領が掲げた意欲的な目標だ。

2009年から2010年の間に、サブサハラ・アフリカで推定2億6,500万人が栄養不良に陥った。FAOは、2010年にサブサハラ・アフリカの人口の30%が飢えに苦しんだと見ている。これらの数字を考慮すると、2015年の目標は非現実的に思えるかもしれない。だがそれは、部外者が考えるほど不可能な目標ではない。

ディウフ事務局長は、アフリカが広大な耕作地と水に恵まれている点を指摘する。適切な方策さえ取れば、農業生産を押し上げ、収入と食糧安全保障を大幅に改善できるだろう。アフリカでは2008年だけで穀物生産が12%増加している。

この課題にはアフリカ各国政府が自力で取り組むべき面も大きいが、場合によっては外部からの支援や緊急援助も必要だ。2003年、アフリカ各国政府は国家予算の少なくとも10%を農業に配分すると約束した。だが、これまでにこの目標を達成できたのは9カ国にとどまる。一方、外国からの農業向けの資金支援は、他の開発項目に比べて減少している。ディウフ事務局長は、農業に対する過少投資がアフリカの飢餓と栄養不足の主な原因とみている。農業への投資拡大による潜在的効果が大きいことは明らかだ。

笹川アフリカ協会の具体的な実績

笹川アフリカ協会はマリの南東の端にあるメディナ村で10年にわたり活動してきた。地元の女性農業グループのディアワラ・ジェネバ・ディアナネとディアワラ・ファンタ・バガヨヨは、笹川アフリカ協会による新技術で地域の農業に劇的な効果がもたらされたと報告している。

ピーナツの皮むき機を実演する住民。この機械で時間と労働力が大幅に節約されている。

以前は、1軒の農家が0.5ヘクタールの農地から収穫できる穀物は5袋以下だった。だが現在では、遥かに狭い20×25メートルの土地からでも5袋の収穫をあげられる。こうした具体的な成果こそ、まさに笹川アフリカ協会が新たな農業技術の促進を通じて達成しようとしているものだ。そのねらいは、化学肥料と新品種を導入すれば、たとえ小規模農家でも農業生産高が飛躍的に向上させられ、農家の食糧と収入がいかに安定するかを示すことにある。

笹川アフリカ協会の本部はアディス・アベバにあり、ケニアの栄養学者ルース・オニアンゴ教授が会長を務める。日常業務の責任者はタンザニアの農業経済学者ジュリアナ・ルウェラミラ常務理事だ。笹川アフリカ協会の課題は、25年前にノーマン・ボーローグ博士、笹川良一氏、ジミー・カーター元大統領が始めた仕事を前に進めることだ。当初の目的は農業生産の向上と農家に技術習得、品種改良、自信獲得を促すことだったが、近年では農産物を効果的に販売することへと重点が移行している。

プロジェクトのスタッフは、実用性を重視し、現実に手に入る資源を使って動くことの大切さを強く認識している。ボーローグ博士が最後にアフリカを訪問したのは2006年。すでに90代になっていた博士は、笹川アフリカ協会の同僚たちに率直にこうアドバイスした。「完璧な条件や完璧な品種が手に入るまで待っていてはいけない。使えるものは何でも使い、それで前に進んでいくことだ」

農業 笹川陽平 アフリカ 日本財団