シリーズ シンポジウムリポート
国際会議「フォーラム2000」(パート1):故・ハベル元大統領の精神的遺産
[2012.03.02] 他の言語で読む : ENGLISH |

2011年10月9日から11日まで、チェコ・プラハで国際会議「フォーラム2000」が開催された。現代世界の課題を明らかにし、世界的な対話を広げるプラットフォームとして、2011年で15回目を迎えたが、発案者の1人であるハベル元チェコ大統領(同年12月死去)にとっては最後のフォーラムとなった。

チェコの首都、プラハ。14世紀には神聖ローマ帝国の首都となり、20世紀には「プラハの春」(1968年)や「ビロード革命」(89年)で注目を浴びた。この世界史の舞台の1つであるプラハで、国際会議「フォーラム2000」が2011年10月9日から11日まで開催された。

開会式で挨拶するバツラフ・ハベル元チェコ大統領(写真=フォーラム2000財団)

フォーラム2000の発案者は3人。元チェコ大統領のバツラフ・ハベル氏、アウシュビッツ強制収容所での自らの体験を綴った小説『夜』で知られる作家で86年にノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼル氏と笹川陽平日本財団会長のイニシアティブで、97年に始まった。きっかけは、95年12月に広島で開催された国際会議「希望の未来」において、現代世界の課題と人類の将来を語るフォーラムをつくることでハベル、ヴィーゼル両氏の意見が一致したことだった。

フォーラム2000は、文明が直面する主要課題を明らかにすることや、宗教・文化・民族間の緊張による紛争の激化防止、非民主主義諸国における民主主義の推進、民主化されて間もない諸国における人権の尊重、宗教・文化・民族間の寛容の促進を目的としている。世界的な対話を広げるためのプラットフォームとして、各界の指導者や知識人が参加。これまでの参加者の中には、クリントン元米大統領、ヴァイツゼッカー元独大統領、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ、南アフリカのアパルトヘイト撤廃に尽力したデズモンド・ツツ元大主教など、多くの著名な人物の名が並ぶ。

ジョセフ・スティグリッツ氏(写真=フォーラム2000財団)

昨年で15回目となったフォーラムは、「民主主義と法の支配」をテーマに、ヨルダンのハッサン王子、グルジアのサーカシビリ大統領、ナイジェリアのオバサンジョ元大統領、米国の経済学者ジョセフ・スティグリッツ氏、日本からは経済学者の伊藤元重氏、国際政治学者の藤原帰一氏(ともに東京大学教授)らが参加した。

「スピリチュアル・ダボス」

フォーラム2000では経済や政治を含めて幅広い議論が行われているが、人類がどのような価値観に基づいて社会を作っていくべきかを長期的な視野で議論することを主眼としている。ハベル氏は、現代社会はあらゆる面で歯止めがなくなり、人々や社会、国家のモラルが崩壊する中で、人類の知の代表者たちが「モラルミニマム」(最低限守るべきモラル)を明らかにすることを訴えてきた。

ハベル氏は、フォーラム2000をスイス・ダボスで開催される世界経済フォーラム(ダボス会議)になぞらえて、「スピリチュアル・ダボス」と呼ぶこともあった。経済、政治が中心のダボス会議に対して、精神の問題を話す会議という意味だ。フォーラムでは、異なる宗教の指導者らが、宗教の違いを超えて人類が持つべき共通の価値観について話し合う場も設けられている。

伊藤元重氏(写真=加藤タケ美)

昨年初めて参加した伊藤元重氏は、フォーラム2000にはダボス会議などでは感じられないような雰囲気があったと印象を語った。「スティグリッツ氏がウォール街の反格差デモ“オキュパイ・ウォール・ストリート”に参加したことを語ると、一般の聴衆の中から歓声があがる。このことからしても、ダボス会議とはかなり性質が異なる会議だということがよく分かりました」

ハベル氏からスーチー氏への最後の手紙

ハベル氏は、反体制派知識人として旧チェコスロバキアの共産政権によって長年投獄された後に、無血のビロード革命によって民主化を成功させた人物。このため、政治的、社会的に圧力を受け、自分の意思に反して活動を妨げられている指導者や知識人に自由や民主主義についての議論の場を提供することを重視してきた。

フォーラム2000で披露されたアウンサン・スーチー氏のビデオメッセージ(写真=フォーラム2000財団)

ミャンマー軍事政権によって自宅軟禁下に置かれていたアウンサン・スーチー氏に対しても、フォーラム2000は招待状を毎年送っている。これまで実際の参加はできていないスーチー氏だが、一昨年自宅軟禁を解かれたことから、昨年のフォーラム2000に初めてビデオメッセージを寄せ、2日目に披露された。これを見たハベル氏は、15年にわたってフォーラム2000をともに支えてきた笹川氏にスーチー氏への手紙を託した。スーチー氏をノーベル平和賞(1989年)に推薦した後、同氏との手紙のやり取りを重ねたハベル氏にとって、これがスーチー氏への最後の手紙となった。

ハベル氏は昨年12月18日、75年の生涯を終えた。亡くなったまさにその日、笹川氏はミャンマーのヤンゴンを訪問していた。ハベル氏から託された手紙を、笹川氏自身の古い友人であるスーチー氏に届けるためだった。数日後、笹川氏はスーチー氏に面会し、ハベル氏の手紙を手渡した。

スーチー氏にハベル氏からの手紙を渡す笹川陽平・日本財団会長(写真=日本財団)

スーチー氏は、今年1月の毎日新聞への寄稿(1月30日朝刊「ビルマからの手紙2012」)の中で、ハベル氏からの手紙の内容の一部を明らかにした。手紙の冒頭には「長年にわたり、私は主宰するさまざまな国際会議やイベントへの招待状を数多く差し上げてきました。あなたが出席できるはずがないことは分かっていました。けれども、私は自分の主義として、そして私からの招待状を没収する当局者たちに、私たちがあなたをずっと思い、支持しているのだと思い知らせるために、招待状を送り続けたのです」と書かれていた。

人々を結びつけるシンボル

藤原帰一氏(写真=加藤タケ美)

ハベル氏亡き今、フォーラム2000はどうなるのだろうか。昨年のフォーラムに参加した藤原帰一氏は次のように語った。「ハベル氏が亡くなったことは、やはり大きな衝撃だと思います。チェコの皆さんがハベル氏の考えとは別の路線でやっていこうと考えれば、おそらくこのフォーラムはなくなるでしょう。しかし、私がプラハで拝見したのは、ハベル氏の存在が人々を結びつけるシンボルになっていたことです。ハベル氏が亡くなったからといって、このフォーラムが終わることにはならないでしょう」

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