シンポジウムリポート

「日中間に内在する二重性」 についての小倉・趙討論

政治・外交 社会

中国人民外交学会での「公共外交」に関するワークショップで、小倉和夫氏と趙啓正氏を中心に日中双方に内在する二重性の問題について活発な議論を行った。

日中共同の「公共外交」に関するワークショップで日本側代表の小倉和夫前国際交流基金理事長と中国側代表の中国人民政治協商会議常務委員の趙啓正(ちょう・けいせい)主任はそれぞれの基調講演の後、日中双方に内在する「二重性」の問題について活発な討論を行った。

小倉氏は中国の「国連安保理常任理事国と開発途上国」という立場の二重性を指摘する一方で、日本は歴史という垂直的な思考が苦手で、「過去を簡単に否定できない」という問題を抱えていると強調した。

趙主任は、経済大国と途上国という二つの側面を持つ中国の立場を認めた上で、「中国国民から政府に対する批判、不満がある」ことも考慮し、国際的な要求と世論の動向を踏まえ慎重に対処していると述べた。

また、趙氏は日中関係について、「盆栽のようなもの。水をかけなくてはだめだが、かけすぎてもだめ」と述べ、日中双方にまだ十分な相互理解がないがゆえに、ゆっくりと慎重に関係を構築していく必要性を強調した。

小倉氏もまた、戦後のドイツと比較して、日本の過去に対する捉え方には曖昧さがどうしても残ることを指摘し、それを含めて相互対話の重要性を強調した。

小倉:安保理常任理事国と途上国の二重性

中国は大国で、国連安全保障理事会の常任理事国だ。一方で中国は第三世界、開発途上国との立場を崩していない。安保理常任理事国は、国際秩序を基本的に守るために存在し、それに責任を有している。しかし、開発途上国は先進国が作った現在の世界の経済的秩序、政治的秩序には不満足であり、改革すべきであるという立場だ。

中国は世界で唯一その両方に足をかけている国だが、どのようなバランスをとっているのか。中国の公共外交とは一体どのようなものなのか。

趙:板挟みは事実、途上国から要求も

この問題の回答は難しいが、小倉氏のご指摘は的を射ている。

中国は人口も面積も大きく、GDPも世界第2位の大国だ。国連安保理の常任理事国で、政治大国でもある。しかし、一人当たりのGDPランキングは100位以下で、ジンバブエと変わらないレベルだ。

以前、中国の友人は第三世界にたくさんいた。お互い貧乏な国だからという連帯感からだ。しかし、今は第三世界の国々から「中国はお金持ちになったから、私たち(第三世界)の声を代弁できない。それより日本に学んで、私たちにもっとたくさんの援助をしてくれ」と言われる。日本のGDPと変わらないが、日本の人口は中国の10分の1で、日本の国力は中国よりずっと豊かだ。

中国には、国際貢献も含め発展途上国のような気持ちが残っており、「自身も貧しいのに、なんで世界を助けなければならないのか」との疑問が生じている。一方で、先進国から見れば、「中国はもう成長している。国際的な義務をもっと果たして欲しい」となる。国連分担金も含め、中国は国際社会からそうした要求を受けている。

気候変動問題も同様だ。中国は大量のCO2を排出しているのだから、資金を拠出するように要求されている。米国や欧州が100年前から排出してきたのと違い、中国はまだ排出し始めたばかりだ。「差異ある責任を」と私たちは主張するが、国際社会では、先進国と発展途上国の板挟み状態にある。中国の反応は鈍いかもしれない。なぜならば、さまざまなことを考慮に入れなければならないからだ。

軍事増強を指摘したキッシンジャー氏

私がキッシンジャー博士(元国務長官)と米国でトラックⅡ会談を行った際、中国の国防費が年々増加していると言われた。割合で言うと、二けたになっており、平和発展を唱えながら、軍事増強を図っているとの指摘だった。

米国の軍事力は、中国がはるかに及ばない水準にある。中国の今の軍事費は米国の10分の1でしかない。しかし米国にすれば、中国は不透明だから、本当はもっと多いはずだと言う。仮に疑われた部分を追加しても、なお米国には及ばない。現在は日本の軍事費と同じような規模になり、日本からも非常に不安に思われている。

しかし、米国と違い、中国は実に陸地で14か国、海域で15か国と隣接している。政治、軍事力の異なる国々と隣り合っており、インド、パキスタン、北朝鮮も含むなら核兵器を保持している国もいくつかある。状況は非常に複雑だ。

中国の国境は、大陸が1万キロ以上、海洋はもっと長い。日本と比べても非常に複雑で、例えばアルカイダの基地も近くにあり、麻薬の密売組織、北東アジアからもさまざまな影響を受ける。さらに兵器の世代交代による出費、軍事関係者の賃金上昇がある。

中国国民が政府への多くの不満と批判

中国はアパレルを中心に、衣服や靴などを輸出している。一方、先進国のアパレル企業は中国に移転しなければ倒産してしまう。しかし、移転すれば産業の空洞化が問題になる。発展途上国からも同様に反対される。中国産の価格が安く、彼らのビジネスチャンスがなくなってしまうからで、中国はまたもや板挟みの状況になる。

中国政府は、なぜロシアのように威張らないのか、なぜ日本の首相のように「価値観外交」を言わないのか、なぜ日本にもっと強硬な姿勢で臨まないのかなど、国民から多くの不満や批判にさらされる。中国政府は、国際的な要請と世論を考慮に入れつつ、慎重に対応しなければならない。

在中のドイツ大使は、「中国は発展途上国だと言うが、納得がいかない」と言う。それについて私はたとえとして「中国には二つの背広しかない」と言っている。上海、北京の2着、オリンピックと万博の二つの背広しかないと。中身は何もない、皆さんに見せているのは上着だけだ。中国の内陸地に行くと、またたく間にボロが出る。

左より王敏氏、小倉和夫氏、趙啓正氏

中日関係は「盆栽」のようなもの

傾向として、中国の知識人は日本人に好感を持っているが、一般の国民はそうではない。政界、学会ともに中日関係は重要だと主張するが、評論家の田原総一朗氏が、東京からのテレビ生中継で私にインタビューした際、「趙さん、中日関係に問題があるから中日友好を唱えるのではないか」と言われた。そのまま認めるわけにはいかなかったが、まさに中日友好に比べ、米日友好、欧日友好はあまり言われない。

河村たかし名古屋市長の事件があった。戦後中国に残った日本の残留孤児に対して、中国人は非常によくしたと思う。しかし、南京大虐殺は30万人だろうが、20万人だろうが、数が違っていても存在を否定してはならない。日本の政治家が日本政府全体の見方を考慮せず、絶えずさまざまな暴言によって、関係が悪化した。私は、中日関係とは盆栽のようなものだとさまざまな場面で言っている。水をかけなくてはいけないが、あまり水をかけすぎてもだめだ。

それに比べ、中米関係は、多少風雨にさらされても問題はない。第二次世界大戦で、多くの中国人を殺害した日本に不満を持つことは自然なことだと思うが、なぜ日本人が中国人に不満を持つのか中国人は理解できない。そういう部分でも、中国の公共外交が直面する課題は存在する。

小倉:歴史という垂直思考に欠ける日本

中国は一つの大きな変化の段階に差しかかっている。そのような中、二重性という言葉を趙啓正主任は用いたが、日本もこれをよく理解する必要性がある。日本の今の世代は、日中、日米、日韓の比較のような水平的な思考には慣れているが、垂直的な思考、歴史の中でものを見るということをしない。

これは日本人にとって非常に大きな問題。歴史の中で日本の在り方を考えることがあまり行われていない。インターネットを使えば何でも見られるが、ネットの最大の欠点は、現在のことはたくさん出てきても、昔の経験は出てこないことだ。

ところが、中国の場合はすべての事柄を長い歴史の中に位置付けて考えていく。歴史認識という言葉は、日本には無い。もちろん人為的に作った言葉としてはあるが、日本人の普通の言葉には無い。知識人は歴史の中で日本の在り方を考えるが、最近の日本国民はあまりしない。第二次大戦の影響もあってそういうことになってしまった。

しかし、中国人は歴史の中で中国を位置付けながら考える。日本の政治家が、なぜ中国に対する理解のない発言や間違った認識の発言をしてしまうのか。歴史の中でものを見ること自体が、今の日本で非常に少なくなっているからだ。

過去否定が容易な中国、簡単でない日本

日本人は、これからは中国人ともっと付き合うことによって、過去の良し悪しではなく、歴史の中でものを見ていく考え方を学ぶことが必要ではないだろうか。

中国は王朝がたびたび変わってきた。そのため、政治の制度が激変し、連続性を否定する考え方が生まれた。例えば、「清朝は悪い、革命は正しい」ということを比較的容易に言える。しかし、日本の場合は天皇制が1500年近く続いている。鎌倉幕府や徳川幕府があった時代はあるが、天皇制という日本のシンボルが1500年にわたって続いている。従って、過去を否定することは、そう簡単なことではない。

中国の場合、過去を否定しないと新しい王朝は成立しないので、否定することは大事だ。しかし日本の場合、過去を100%否定はできない。そこに日本の二重性の問題があり、中国とは違う意味での二重性、「連続と変革、変化と連続」の両方を持っている。それが、日本の歴史認識を非常に複雑にしており、二重性をお互いに理解し合うことが非常に大事なポイントだと思う。

戦後ドイツと日本の違い

最後に一つだけエピソードを。第二次大戦が終わった後に、降伏文書、instrument of surrenderに誰がサインしたかという問題がある。この問題は非常に重要で、多くの人が忘れている。

よく日本と比較されるドイツは、降伏文書においてドイツ政府は連合国に対してサインしていない。なぜなら、連合国はドイツ政府を認めなかったからだ。降伏文書はドイツ軍がサインした。つまり、ヒットラーの第三帝国は第二次世界大戦で完全に消滅した。法律的には、新生ドイツは、過去のドイツとは関係がない。そのため、現在のドイツでは過去を清算することは非常に意味がある。

一方、日本の場合、降伏文書に軍だけでなく、日本政府もサインした。つまり連合国は、日本国政府という存在を認めていた。国家は崩壊しなかった。ここに連続性がある。これが、ドイツと日本で根本的に違う事情で、日本政府はいまだに過去を引きずっている。

中国が現在、二つの中国の二重性に悩んでいるのと同じように、日本も連続と変革の中で悩んでいる。日本は1945年8月15日に国家が崩壊したわけではない。ずっと続いている。だから、戦争責任の問題が継続することによって、必然的にその責任の所在を曖昧にせざるを得ない。例えば、天皇の戦争責任はどうなのか、一部の軍国主義者だけに戦争責任を押しつけていいのか、軍事に関連した一般人はどうなのかなど、曖昧さがどうしても残る。

この曖昧さによって、いろいろな人の発言が、さまざまなところで、さまざまなかたちで現出する。連続性は大事にするが、しっかりと過去を見つめ、反省すべきところは反省する態度を持つことは非常に大事だと思う。これらを含めた日中間の対話は、今後非常に重要だ。

黄星原(こう・せいげん)中国人民外交学会副会長の発言要旨

中国政府は3月15日、唐家璇(とう・かせん)氏を中日友好協会会長に任命した。これが意味することは、中国政府は両国関係を依然として最重要関係であると認識しているということだ。中日関係における問題は、主に二つある。一つは歴史認識問題。これは変えることができない問題だ。もう一つは領土問題。これもなかなか変えることができない。これらの問題は、一部の友好関係構築について、こころよく思わない人々からさまざまなかたちによる罠をしかけられ、悪循環のスパイラルから抜け出せないでいる。私たちはこの問題を解決するに当たり、二つの側面を考慮に入れなければならない。一つは政府による外交。これは最も重要で、グローバル戦略の中で両国関係をどのように位置付けるかということだ。また、それに付随する周辺の外交活動についてもどう位置付けるか。大きな方向さえ決まれば、小さなことはそれほど重要ではない。これは政府が責任を持って行う外交だ。では、民間外交は何をすればいいのか。両国間の信頼が損なわれ、民間の友好活動が脆弱になった時、いかに関係を改善するか。それこそが公共外交が果たすべき任務だと思う。

 

周秉徳(しゅう・へいとく)前中国人民政治協商会議委員の発言要旨

趙氏の発言の通り、中国の知識人は日本人に好感を持っているが、一般の国民はそうではない。特にインターネットでは、匿名による無責任な発言を繰り返す若者が多い。しかしこれら若者は、あの14年の戦争を体験した方から戦争について聞いていることが多く、そのため印象もより深いのだろう。そこでよく考えてしまうのは、ドイツの首相が戦争被害者の墓標の前で反省を行えるのに、なぜ日本の当局者は同じことができないのか。このような態度を示すだけで若者が受ける印象も少なからず違うはずだ。しかし現実には靖国神社への参拝や教科書問題などがあるため、一般人や若者の態度をただちに変えることは難しいと思う。それでも私は中日間の友好は絶対に必要で、友好な関係でありたいと思う。情は通わせてこそ育まれるもの。中日友好の目的のために、双方が歩み寄る必要があると思う。

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