シリーズ シンポジウムリポート
パブリック・ディプロマシーの時代 シンポジウムを終えて

渡辺 靖【Profile】

[2013.12.09] 他の言語で読む : Русский |

パブリック・ディプロマシーについて考えるシンポジウム「好かれる国の条件」で、企画段階から参画した渡辺靖氏。今回のシンポジウムを踏まえ、今後何が重要なのかを語った。

文化イベントが目白押しの秋。平日の、しかも丸一日を費やしたシンポジウムだったにも関わらず、会場の日本プレスセンタービルのホールには200人以上もの出席者が集まり、大盛況のうちに幕を閉じることができた。

痛感した人材育成の大切さ

各セッションの主な論点については別途紹介されているが、今回、改めて痛感させられたのは人材育成の大切さである。

ケント・カルダー氏が指摘した「トラック2」のアジェンダ・セッティング・フォーラム、ナジーブ・エルカシュ氏が挙げたダマスカスのフレンチ・インスティチュート・オブ・アラブ・スタディーズ、ホルガ―・フィンケン氏が詳述したドイツ学術交流会などの例を聞くたびに、こうしたプラットフォームを通じて育まれてゆく人脈や、信頼、相互理解、そして知恵が二国間・多国間関係での課題設定や規範形成の鍵を握ることを再確認できた。

人材育成には「クール・ジャパン」のような華やかさはない。地味で、すぐ目に見える成果にも乏しい営為ではある。しかし、今、種をまくことを怠ってしまえば、将来、必ずボディ・ブローのように身にこたえてくる営為でもある。その意味において、例えば、日本がさらなる関係深化を目指しているASEAN10カ国のうち、半数の国々にしか国際交流基金の拠点がないことは残念なことである。

多様な声に応えるプラットフォームの構築を

プラットフォームの拡充は相手国に対する「受信力」(小倉和夫氏)を高めることでもある。政府間の緊張が続く中国や韓国との関係だが、ややもすると、私たちは扇動的な情報やイメージに引きずられ、実際以上に自らを絶対視し、相手を蔑視する負のスパイラルに陥りがちだ。「自己中心的、一方的に自分の国の文化を発信することから、相手の文化を学ぶ、相手が好きだと伝えるという方向への発想の転換が必要」と述べたクォン・ヨンソク氏の言葉は重い。

同氏は、分かりやすい例として、韓国の市民には「私は〇〇〇なので日本が好きです」、日本の市民には「私は〇〇〇なので韓国が好きです」とそれぞれビデオ・メッセージを寄せてもらい、互いの国で放映することを挙げていたが、今、求められているのは、そうした負のスパイラルを反転させる試みではないか。同じことは中国との間についても言える。毛丹青氏が発行する月刊誌『知日』が中国で人気を博しているのはその何よりの証左である。

「“国民感情”という名の伝染病」(小倉和夫氏)が政治空間を覆う昨今だが、政治指導者には、是非、リリー・ガードナー・フェルドマン氏が戦後ドイツの例を引きながら力説した「ビジョンと勇気」に期待したい。

“国家ビジョン”という物語の必要性

もう一点、今回のシンポジウムで考えさせられたのは「好かれる国の条件」の根幹に関わる、日本という国家のビジョンそのものである。

日本はお手本(ロール・モデル)とする国を失いつつあるのかもしれない。長年、欧米の先進国がその役割を担ってきたが、それらの国々の近年の情勢(政治対立、格差拡大、経済危機等)を目の当たりにするにつれ、かつての輝きを見出すことは難しい。かといって、アジアの新興国をモデルにすべきという声も今ひとつ聞こえてこない。「近代(西洋)と伝統(東洋)を両立している国」、「アジアで唯一の民主的な近代国家」、「日露戦争で大国ロシアを破ったアジアの国」といった好意的なイメージも確かに存在したが、今日ではやや古びて聞こえるのもまた確かだ。少なくともそれだけでは十分ではなかろう。

そして、それは「物語(story)」の欠如と言い換えても良いのかもしれない。

世界の好感度ランキングで首位になることが日本の「物語」なのか。それとも小倉和夫氏が指摘したように「日本文化とは日本人だけのものではなく、世界中の人のもの」という視点をも内包した「物語」であるべきなのか。日本が世界に伝えるべき「物語」は何か。

こうした問いへの思索を欠くとき、パブリック・ディプロマシー(広報文化外交)は状況主義的な小手先の戦略論や戦術論に矮小化(わいしょうか)してしまうことになる。そして、独善的な「物語」にしないためにも国内外からの多様な声に耳を傾けるプラットフォームが不可欠となる。

その意味で、今回、nippon.comがこのように国際的で、自由な意見交換のプラットフォームを提供してくれたことは実に有益だった。このWebサイトは7つもの言語でアクセス可能で、世界各地からさまざまなフィードバックが寄せられている。それらの声を参考にしながら、今回のような国際シンポジウムを定期的に続けることで、私たちは真摯(しんし)な国際対話を積み上げてゆくことができる。

そのとき「受信力」と「発信力」、あるいは「国益」と「国際益」といった、私たちがよく連想してしまいがちな二項対立を昇華できるのではないか。

(2013年12月6日 記)

  • [2013.12.09]

1967年生まれ。97年ハーバード大学Ph.D.(社会人類学)、2005年より教授。ハーバード大学国際問題研究所アソシエート、ケンブリッジ大学フェローなどを歴任。著書に、『アメリカン・センター』(岩波書店)、『文化と外交』(中央公論新社)などがある。

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