シリーズ 国際社会とともに
想い出のランドセルをアフガニスタンに:紛争の地で学ぶ子どもにリレー
[2017.08.28] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | العربية |

「6年間を共に過ごし使わなくなった小学生のランドセル。まだ役に立つのならアフガニスタンの子どもに使ってほしい。」――化学大手のクラレと東京のNGOジョイセフが、2004年からこんなキャンペーンを続けている。これまで18万個を超えるランドセルが海を渡った。

海を越え、新たな持ち主へ

赤や黒、水色にピンク——。6月のある日、日本の小学生が6年間生活をともにし、役割を終えた6000個のランドセルが横浜市の倉庫に山積みになっていた。まだまだ十分使える頑丈なランドセルはアフガニスタンに送られ、学校に通う子どもたちに手渡される予定だ。キャンペーンが始まって今年で14年。これまでに海を越えたランドセルは18万個を超えた。

集まったランドセルを検品するボランティア=2017年6月10日(撮影:石川 武志)

50人を超えるボランティアがベルトや金具の具合を一つ一つチェックし、ランドセルとともにプレゼントされる未使用の文房具を一緒に梱包(こんぽう)した。イスラム圏のアフガニスタンには、宗教上の理由で豚皮を使ったランドセルは送ることができない。そこでランドセル製造メーカーの職人さんらが、これもボランティアとしてその識別に一役かっている。

全国各地から寄せられたランドセルとボランティアの人々(撮影:石川 武志)

一つ一つ学校で手渡す

写真集『ランドセルは海を越えて(ポプラ社)』を手にする内堀タケシさん。(撮影:石川 武志)

写真家の内堀タケシさん(62)は10年以上毎年アフガニスタンに行き、地元のNGOアフガン医療連合センターのスタッフとともにランドセルを現地で一つ一つ子どもたちに手渡し、その様子を写真集にまとめた。アフガニスタンでは勉強したくても誰もが学校へ行けたり、カバンや文房具をそろえられたりするわけではない。そこへ未使用のノートや鉛筆、消しゴムや色鉛筆などの文房具、日本の子どもたちからの手紙や写真の入ったランドセルが贈られる。必ずその学年の児童全員に行きわたるように、現地NGOが行政と連携して数を調整しているという。

アフガニスタンでは内戦が終結して20年以上たっても、いまだに紛争が続く。反政府武装勢力のタリバン、過激派組織「イスラム国」(IS)によるテロが頻発している。内堀さんの滞在中にも、米軍のものとみられる無人機が数多く空を飛び、装甲車が生活道路を走っていたという。

上空を無人攻撃機が飛ぶ中、日本から届いたランドセルにノートや文具を入れる現地スタッフ=2011年10月(内堀 タケシ氏提供)

初めて触れるボール

ランドセルは、パキスタンから陸路を通ってトラックでアフガニスタンに運ばれる。「危険な地域を通り、無事に届く保証はない危険な作業だけれど、ランドセルを受け取る子どもたちを見るとぼくは本当にうれしくなる」と内堀さんは言う。そして、出会った子どもたちのほとんどが、カバンもノートも持たず手ぶらで学校に通っていることに内堀さんは気づいた。校舎が破壊され、青空教室で授業を行う地域では、ランドセルは勉強机の代わりにもなるのだ。

校舎が壊された学校跡。黒板一つで授業を受ける=2011年(内堀タケシ氏提供)

内堀さんにとって忘れられないシーンがある。ある学校でのこと。キャラクターの絵がプリントされた日本の鉛筆をもらった子が、その六角形の1面1面を食い入るように見つめていたのだ。

ランドセルを受け取る子どもたち=2011年(内堀タケシ氏提供)

中古のサッカーボールを受け取った子どもたちは「ボールがこんなに弾むとは思わなかった!」と歓声を上げる。聞いてみると、大半の子はこれまでボールの実物を見たことがないと言う。「ボールというものに触れずに一生を終わるかもしれないほど、現地には物資がないのです」と内堀さんは言う。

日本から贈られた使用済みサッカーボールで遊ぶ子どもたち=2007年11月(内堀 タケシ氏提供)

ナンガハール州の校門前。ランドセルを受け取り喜ぶ子どもたち=2011年10月(内堀 タケシ氏提供)

支援を通し、日本の子供も成長

このプロジェクトを発案したのは、当時クラレで繊維・マーケティング担当だった山本恵一さん(69)だ。教育ツールのランドセルを通じて何か社会貢献はできないかと考えた。そして思いついたのが、まだ使用できるランドセルを海外に送る企画だった。自分たちだけで直接配るのは難しい。そこで、母子保健・医療活動を支援するNGOジョイセフに協力を仰いだ。山本さんの思いと現地にネットワークを持つジョイセフの出会いが実を結んだのがこの企画だ。

全国から送られてくるランドセルのほとんどに、持ち主の子どもの手紙や写真が入っている。ジョイセフの甲斐和歌子さんは「日本語で書かれた手紙も、そのままランドセルに入れて現地に届けます」と話す。受け取った子がたとえ読めないとしても、送り主が誠意を込めて書いたメッセージだということは伝わるからだ。

写真家の内堀さんは、日本各地の小学校で『ランドセルは海を越えて』の出張写真展を開催している。子どもたちには毎回、気に入った写真とその理由を話してもらうことにしている。ある学校でのこと。アフガニスタンの難民の子どもが餓死する話をしたら「今日は給食を残さない」と涙ぐんだ子どもがいたという。

自分のランドセルを受け取る子どもに思いをはせ、アフガニスタンという遠い国と関わることで、世界を身近に考えるようになる子どももいる。ジョイセフによると、成長してから倉庫の検品ボランティアに参加したり、大学生としてジョイセフでインターン研修に参加したり…。日本の子どもたちも、キャンペーンを通じて成長していく。

ランドセルを受け取った子どもたち。2011年12月(内堀 タケシ氏提供)

ランドセルが「教育」の象徴に

アフガニスタンの山岳地帯=2007年11月(内堀 タケシ氏提供)

ジョイセフの甲斐さんは、ランドセルの効果の一つとして「村々で、通学する子供たちが『目に見える形』ではっきりと分かるようになった」ことを挙げる。今までは子どもたちの姿を見ても、一見しただけでは「羊を追うのか、遊びに行くのか、学校に行くのか分からなかった」

ランドセルが就学の象徴になると、「隣の子がランドセルで学校に行くのならうちの子も行かせよう」と就学率が上がっていく。教育に人々の関心が及ぶと、村全体で校舎を整備しようという話しも出てくるという。

アフガニスタンには今も、女子が教育を受けることを認めない勢力が多く残っている。旧政権のタリバンは、徹底的に女子教育を禁じた。アフガニスタン女性の識字率(2015年)は24%(※1)と、世界でも最低レベルだ。

最近、日本のジョイセフ事務所に思ってもみなかった報告が届いた。以前キャンペーンでランドセルを受け取った女の子の1人が、大学の医学部に進学したという。彼女の育った地域は、特に女性が勉強を続けることの難しい地域。甲斐さんは「たとえ1人でも、2人でもいい。このような子が増えてくれれば、それだけでうれしい」と言葉に力を込めた。


アフガニスタンからのメッセージ(53秒) 提供=ジョイセフ

関連サイト(日本語)

取材・文=土井 恵美子(ニッポンドットコム編集部)

バナー写真 ランドセルを背負い学校に通うアフガニスタンの少女=2012年(内堀 タケシ氏提供)

(※1)^ CIA、World factbook (2015) LITERACY

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