国際社会とともに

アジアで社会貢献する3人の日本人

社会

グローバル化に伴う経済格差などの問題を解消するため、開発途上国や地域の人々を支援する国際協力の重要性が増している。日本も政府開発援助(ODA)をはじめ、さまざまな民間組織が開発途上国・地域を支援している。2017年6月30日に発表された第48回社会貢献者表彰(主催:公益財団法人 社会貢献支援財団)の受賞者の中から、アジア各地の最前線で国際協力に汗を流す3人の日本人を紹介する。

医療の届かないところに医療を届ける

認定特定非営利活動法人ジャパンハート 吉岡春菜さん

ミャンマー、カンボジア、ラオスなど東南アジア地域で、貧困層を対象にボランティアでの医療活動、現地のニーズに合わせた子ども養育施設の運営、視覚障害者の自立支援、東南アジア諸国連合(ASEAN)圏内の大規模災害に対する国際緊急救援のほか、医師・看護師の人材育成など幅広く活動しているのが、認定特定非営利活動法人ジャパンハート。2004年に小児外科医の吉岡秀人(よしおか・ひでと)さんが中心となり、設立された。吉岡代表とともに設立当初からミャンマーでの医療活動に従事する妻で小児科医の吉岡春菜(はるな)さんは、最初に現地を訪れた時の衝撃をこう振り返る。

「日本では考えられませんが、ミャンマーでは患者の経済状態によって受けられる治療に差が出てしまいます。医療者は患者の所得に見合った治療をしなければならないのです」

治療に必要な薬や医療器具は病院側が用意する日本に対し、ミャンマーは医師が必要とするものを患者が全て薬局で購入しなければならない。用意できないと診察は受けられても、治療はしてもらえない。「貧富の差が医療格差を招いているのです」と指摘する。しかし、ジャパンハートは子どもであれば誰でも無料で治療する。入院した場合の費用は患者側が一時的に負担するが、その後、ジャパンハートから戻る仕組みになっている。こうした取り組みが口コミで広がり、ジャパンハートの医療施設には遠方から貧しい小児患者たちが次々と救いを求めて訪れる。手術は大小合わせて年間2000件にも及ぶ。

とはいえ、いくら技術があっても現地で手に入らない薬や医療器具があると、患者の治療はできない。数多くの命を救ってきた半面、救えなかった命もある。少しずつ改善されてはいるものの、小児がんの場合、認可されている薬剤が日本と異なるため、現地での治療を諦めざるを得ないこともあった。それでも治る見込みのある患者は、日本で治療が受けられるよう手を尽くしている。

「貧しい人たちにとって医療機関にかかれるのは、一生のうちで1回あるかどうか。貧富の差に関係なく、治療を受けられる環境を整えたいと思います」と吉岡さん。現在、カンボジアで準備を進めている病院が完成すれば、小児医療全体がカバーでき、救命率が上げられるという。

ジャパンハートが活動するミャンマーのサガイン地区ワッチェ慈善病院 (上) 吉岡さんの夫で、代表の秀人さん(下左) ジャパンハードのうわさを聞き、遠方からやってきた親子(下右)

こうした海外での活動とともに、日本では小児がんと闘う子どもを対象に家族旅行をサポートする「すまいるスマイルプロジェクト」を展開する。医療機器を外せない子どもと家族の旅行にジャパンハートの医療スタッフが同行し、思い出づくりを支援。子どもや家族の心の中にある医療の届かない領域もケアする取り組みだ。

吉岡さんは「東京ディズニーランドに行きたいという子どもの夢をかなえてあげるためにも、私たちは医療というすべを持って、医療の届かないところへの活動を続けたいと思います」と力を込める。自身も二児の母。それだけに双方の気持ちがよく分かる。

「医療の届かないところに医療を届ける」。こうした理念を掲げるジャパンハートの取り組みは、実際の医療行為にとどまらず、その活動領域を拡大していくに違いない。

人生の復活を子どもたちに

イースタービレッジ・ミンダナオを支える会 祐川郁生さん

フィリピンのミンダナオ島にある児童養護施設「イースタービレッジ・ミンダナオ」は、1996年からフィリピンに滞在していた、神父の祐川郁生(すけがわ・ふみお)さんによる呼び掛けで2002年に誕生した。カトリック札幌司教区と現地のカトリック・キダパワン司教区が協力し、設立から運営を援助している。紛争や貧困などで親を亡くしたり、虐待を受けたりして、親と暮らすことができない0歳からの子どもたちを受け入れ、スタッフと共に生活する。資金は主に札幌市を中心とする「イースタービレッジ・ミンダナオを支える会」や全国の支援者が支える。現在、45人前後の子どもたちや青少年がここでケアを受けている。

戦争の傷痕や貧困で苦しむ子どもたちの姿を目の当たりにした祐川さんは、フィリピンで人々の役に立ちたいと児童養護施設の設立を思い立った。雄大で自然豊かなミンダナオ島がふるさとの北海道に似ていたことが、場所選びの決め手となった。島の中心部に位置する小さな町で、庭付きの一軒家を借りて運営を始めた。施設名にある「イースター」は復活祭の意。「子どもたちが悲惨な状況から復活していく時と場にしたい」という願いが込められている。

「施設に来たばかりの子どもは、心を閉ざしているので表情がありません。でも、衣食住が満足に与えられ、他の子どもたちと一緒にいつでも遊べる環境にいると、時間はかかりますが、表情がだんだん良くなっていきます。子どもの回復力にわれわれが救われている感じです」と目を細める。

子どもたちに聖書の教えを伝える祐川さん(上左) 音楽で施設の結束を高める(上右) 芝生が気持ち良い施設の庭で子どもたちと (下)

2004年には「支える会」の援助を受けて、2700平方メートルの土地に施設を新築。敷地内には広い芝生と南国の花々、マンゴスティンやランブータンなど熱帯果樹の木々を植えるなど、子どもたちが伸び伸びと育つ環境を整えた。

しかし、ここに至るまでにいくつも壁にぶつかった。最初は運営資金など財政面の壁。フィリピン政府からは適正認証は受けているが、財政面での補助がない。そのため、支援者の善意に頼ったり、チャリティーコンサートを開いたりして、資金を集めた。それよりも大きな壁は、ソーシャルワーカーで副施設長のチェチェさんとの文化、考え方の違いによる運営方針をめぐる衝突だった。子どもたちを施設で長く預かることを是とする祐川さんに対し、チェチェさんは「施設の役割は少しでも早く里親を探すこと」と主張した。

「最初の3年くらいはけんかばかりしていましたが、今は私が間違っていたと思います。血がつながっていなくても子どもには、お父さん、お母さんと呼べる人の元で暮らすのが大切であることに気付いたのです。子どもたちと一緒に暮らして、父親になったつもりでいた自分が恥ずかしくなりました」。それ以降、国内外の養子縁組にも前向きに取り組むようになったという。

施設では青年の自立を目的にした訓練プログラムや奨学生制度も設け、教育の機会を保障している。「小さな養護施設ですが、子供たちには大きな夢を持ち、それに向かって行動していってほしいです。大人になって、イースタービレッジの出身であることを誇りに思ってもらえたらうれしいですね」

学校建設を足掛かりに自助努力を説く

認定NPO法人「れんげ国際ボランティア会」ヤンゴン事務所代表・平野喜幸さん

熊本県出身の平野喜幸(ひらの・のぶゆき)さんは20年以上にわたってタイ、ミャンマーなどで国際協力活動に携わってきた。2004年には熊本にある認定NPO法人「れんげ国際ボランティア会」のメンバーとして、ミャンマー難民支援活動に注力。13年からは同会ヤンゴン事務所代表として、少数民族地域や貧困地帯での学校建設に汗を流す。

ミャンマーには小中高の計11年制の教育制度がある。しかし、義務教育ではないので、地方では学校が遠くにあるために通学が困難だったり、貧しい家庭では学校へ通うことすらかなわなかったりするという。平野さんはこうした地域での学校建設を手助けする立役者だ。

この学校建設プロジェクトは、建設資金の4分の1を地域住民が自ら集めることから始まる。村の全世帯から集められなければ、ルールで学校は建てられない。

「村の全世帯からお金を集めるには理由があります。村の団結を強めるためです。子どもたちの将来のために地域をどう変えていくのか、村人が全員で考えなければなりません。軍政時代の苦労を次世代の子どもたちに背負わせていいのか、問い掛けます。ミャンマーが民主化して国際社会の一員になるには、今が絶好のチャンスです。親が変わらずして子どもが変わることはありません」と力説する。学校建設を考える村には何度も通い、膝を突き合わせて議論を重ねる。時には怒号が飛び交うこともあるが、平野さんはこうして村人の自助努力を引き出していく。

集まった資金は学校建設後も、共同水田やもみ殻発電などに使われる。その収益で教員の確保や、教科書・文具の提供、校舎の修繕といった学校の運営費用を賄うという資金循環も生み出している。村人の熱意と努力で学校建設が実現し、それにより地域が活性化したという成功体験は、民主主義を学ぶきっかけにもなる。

新設した学校で訓示を述べる平野さん(上左) 学校の遊具で遊ぶ子供たち(上右) 学校落成の記念撮影。真ん中赤い服が平野さん(下)

学校建設と並行して自主型奨学金制度の運用も進める。ある地区で教師1400人が毎月500チャット(約50円)ずつを奨学金として積み立てた。1カ月で70万チャット(約7万円)、1年で840万チャット(84万円)になる。そこから、高校生1人に月2万チャットが支給される制度だ。ここでも自立する教育の仕組みづくりをサポートする。

さらに平野さんは、建設された学校のソフトを充実させようと、英語の「Hardworking(勤勉な)」「Humble(控えめな)」「Honest(正直な)」「Hospitable(手厚い)」の頭文字をとった4Hスピリッツと呼ぶ指針を実践。平野さんが師と仰ぐタイ人の社会福祉活動家で故ジャナロン・メキンタランクンさんの教えを伝え、4Hを心掛けた行動が幸せを招くと説いている。

「人間は自分の経験と知識でしか物事を測ることができません。だから経験を重ねることが非常に大切なのです。これからは物質面だけでなく、精神面での支援にも重きを置いていきたいと思います」

平野さんの次の目標は、教師を対象にした研修所を作ること。政府に打診し、書類を提出するところまで進んでいる。ミャンマーの民主化に欠かせない教育の質を向上させるため、アクセルを踏み続ける。

新しい教室で真剣に授業を受ける子どもたち

取材・文=片岡 優佳
インタビュー動画撮影・編集=野田 亮介
写真・動画協力=公益財団法人 社会貢献支援財団

バナー写真=ミャンマーで新校舎完成を喜ぶ子どもたち(写真提供=平野 喜幸)

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