日中の懸け橋

高齢化社会対応システムで日中をつなぐ中国人女性実業家—聶梅さん

社会 文化

日中の政治関係は「戦後最悪」と言われながら、中国人観光客は2014年、83.3%も増えて240万9200人(※1)を記録するなど、日中の民間交流はさまざまな分野で拡大を続けている。この中で、中国のソフト開発力と日本の金融ノウハウを結びつけ、日本と中国の高齢化社会を支えていこうとしている中国人女性実業家がいる。株式会社ファン・ジャパンの代表取締役社長で、中国のソフト開発会社、帆揚高新技術産業(武漢)有限公司(通称ファン・チャイナ)総経理の聶梅(にえ・めい)さんだ。

聶梅 NIE Mei

1960年北京市生まれ。文化大革命で母親と新疆のウルムチに移り、その後、両親と共に湖北省農村部の「五七幹部学校」に移住。小、中、高校を地方都市で過ごし、78年武漢大学に入学。コンピューター・サイエンスを専攻し、82年卒業。大学の研究所に入り、85年に初来日。日本で1年間研修。90年再来日し東京理科大学の大学院で学び、92年日本企業に就職。97年には武漢にソフト開発会社を設立した。現在は、中国に対する高齢化社会向けの日本のシステムと仕組みの売り込み準備を進めている。

日本以上のペースで進む中国の高齢化

お気に入りの「徳は孤ならず必ず隣あり」の書と聶さん

日本の高齢者(65歳以上)人口は2013年10月1日現在、3190万人。総人口に占める割合、即ち、高齢化率は25.1%と過去最高を記録した。が、中国は、“一人っ子政策”などの影響もあって、日本以上のスピードで高齢化社会に向かって突き進んでいる。中国の高齢者(60歳以上)人口は2013年末、2億人の大台を突破して2億0243万人(65歳以上は1億3161万人)となり、老齢化率は14.9%まで上がってきた。また、中国の高齢者人口は2025年に3億人、2033年前後に4億人を突破すると推計されている。

この結果、中国でも高齢者(60歳以上)を支える現役世代(15~59歳)の負担は増すばかりで、現在は現役世代5人で1人の高齢者を支える計算になっているが、2040年ごろまでには2人で1人を支えていかなければならなくなるという。しかも、中国では高齢者のための施設が大幅に不足。年金制度や介護保険制度もしっかりとできておらず、「中国の高齢化社会の問題は日本以上に深刻だ」と、聶さんは指摘する。

中国で「日本版401k」の定着目指す

訪中したビジネスパートナーの久保国泰氏

このため、聶さんは、高齢化社会で一歩先を行く日本の、失敗を含めた経験を中国でいかしていこうと決意。ビジネスパートナーである久保国泰氏(公認会計士)が日本の年金制度崩壊の危機に備えて立ち上げた「選択制退職準備給付制度」と「電磁生活信託」を中国に持ち込む計画を進めている。

この制度は、危機的状況にある日本の公的年金、疲弊が露呈し始めた企業年金の補完のために始まった日本版401k(確定拠出年金)をベースに組み立てられたもので、税法上の優遇措置を受けながら老後の資金をうまく蓄えることができるようになっている。日本では、ファン・ジャパンが既に大手保険会社などと組んで、中小企業を主なターゲットとし売り始めている。中小企業には、一般的に、大企業のような手厚い独自の企業年金制度をもつ余裕がないからだ。

「社会の高齢化が一段と進み、公的年金だけで生きていけなくなるのは目に見えています。これは日本だけの問題ではありません。日本のように(年金)問題が大きくなる前に、この制度を中国に導入したいと考えています」

コンピューター人材の海外流出

実は、この選択制退職準備給付制度のコンピューター対応システムは聶さんが中心となって中国で開発し、久保氏のアドバイスを受けながら完成させたものだ。聶さんは、プロフィールにもあるように、中国のコンピューターの草創期からずっとソフト開発にかかわってきた人物で、東京理科大学の大学院でソフト開発の技術を磨いた超一流のコンピューター技術者でもある。

「大学でコンピューターを学び始めたころは、磁気テープやフロッピーディスクはなく、紙テープの時代で、ハサミと糊が道具でした」

聶さんが大学でコンピューター・サイエンスを専攻したのは消去法。理系で入学したが、「物理、数学、化学を専攻すると、(研究者ではなく)教師にされる可能性があった」からだそうだが、そのコンピューターが“一生の仕事”になった。聶さんに1985年に初来日したときの日本の印象を聞いてみた。

「(日本に初めてきたとき)何か、なつかしい感じがしました。子供のころから日本のテレビドラマや本が大好きで、『おしん』や『姿三四郎』などをみていたからかもしれませんね」

聶さんは研修中、中国で日本語をしっかりと勉強してきたこともあって、日本企業などでコンピューターのソフト開発について徹底的に学びながら、スキーや茶道、生け花も楽しんだそうだ。そして、日本がますます好きになり、聶さんは90年に再来日し東京理科大学の大学院に入学した。

この時、聶さんは金銭的に恵まれた「公費留学生」ではなく、生活に余裕のない「私費留学生」で、親戚から学費の一部を借りて日本にやってきたという。ただ、聶さんの突然の日本行きは、武漢大学からすれば、貴重なコンピューター人材の海外流出という大事件であったらしい。

祖国中国への熱い思いは変わらず

聶さんは、東京理科大学の大学院を中退したあと、武漢大学の研究所に戻らず、金融専門のコンサルティング会社PFPS研究会に入社した。ファン・ジャパンはその関連会社で、久保氏が中国向けソフトの開発のためスカウトしたからである。聶さんを久保氏に推薦したのは同氏と知り合いの東京大学関係者だった。

久保氏の恩師、有沢広巳氏が中国に寄贈した『資本論』(初版本)

久保氏は三菱銀行で本社情報開発室長や神保町支店長などを務めた元銀行マンで、金融問題のスペシャリスト。久保氏の恩師がかの有名な経済学者の有沢広巳氏(故人)。久保氏は「学生時代、有沢先生から『日本の復興は中国が戦争賠償を放棄してくれたからだ』とよく聞かされました。そして、有沢先生は世界的にも貴重なマルクスの『資本論』(初版本)を中国に寄贈したのです。中国との関係の大切さを教えられました」と語る。以来、久保氏は銀行に入っても中国への関心を持ち続け、PFPS研究会を設立してからは、中国との関係を一段と強めていった。

「日本人と中国人はそれぞれ異なったよいところをもっています。ソフト開発でも、それがいえます。中国人の個々のソフト開発力はすばらしい。が、それを皆で共有し、システマチックに応用していくということになると、日本人はうまい。お互い、協力していくのが一番いい」

久保氏は1997年、聶さんの仕事ぶりを高く評価し、ファン・ジャパンの社長に抜擢する一方、聶さんに中国でソフト開発企業「帆揚高新技術産業(武漢)有限公司(通称ファン・チャイナ)」を設立させた。

「PFPSの『選択制退職準備給付制度』対応ソフトは中国のソフト開発力と日本の金融ノウハウの結晶のような企画商品です。これで中国の高齢化社会問題が少しでもいい方向に向かえばいいですね」

聶さんの日中友好への思いは消えることはない。

(※1)^ 日本政府観光局(JNTO)の最新データで、推計値。

(写真・聶梅さん提供)

バナー写真=聶さんが卒業した国立武漢大学