長崎の光と影

16世紀のキリスト教伝来以来、鎖国時代においても世界に開かれた日本の窓であった長崎。近代化の中心地であり、原子爆弾の悲劇の地ともなった。中世の終わりから現代にかけての日本の歴史が凝縮した場所である。

長崎「信徒発見」から150年、待ち望むローマ法王来日原野 城治

日本のキリスト教信者は人口の1%にも満たないが、2015年は長崎で隠れキリシタンが発見された150年になる。特に長崎の街かどではこのカトリック歴史に触れることができる。「隠れキリシタン」発見の歴史と原爆に関連する大浦天主堂とカトリック浦上教会を訪ねた。
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聖フランシスコ・ザビエルの足跡と平戸でのキリスト教の芽生え

長崎県北西部に位置する平戸は、1550年にフランシスコ・ザビエルが訪れて以来、日本のキリスト教の歴史に関わって来た。現在、百年以上の歴史を誇るものなど多数の教会があり、ポルトガルやスペインの宣教師達の足跡をみることができる。ザビエル布教活動を振り返りながら、重要な教会群を訪ねた。
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永井隆博士が残した被爆の記録と生き様原野 城治

1945年8月9日11時2分、禁教令時代以来の長崎市のキリスト教徒集住地に立つ浦上天主堂の上空500メートルで、2発目の原子爆弾が爆発した。天主堂で祈りをささげていた司祭と信者数十名は全員即死、天主堂は破壊された。近隣の長崎医科大学でも多数の犠牲者がでた。そしてそれは医科大学病院で被爆し重傷を負った医師、永井隆博士にとって、原爆の被害の記録を後世に残すための戦いの始まりだった。
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戦後70年目の原子爆弾被爆地「ナガサキ」を訪ねて原野 城治

被爆、「1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分」。長崎に原子爆弾が投下されてから70年を迎える。戦国時代から江戸時代初めまで、西欧、中国、朝鮮など海外に開かれた唯一の日本の“窓口”だった長崎。ポルトガル船の来航(1571年)からちょうど374年目の1945年8月9日、米軍爆撃機から投下された原子爆弾は、長崎駅から北西約2.5キロメートルの浦上盆地の上空で爆発、多くの死傷者を出した。8月6日の広島に次ぐ、2度目の原爆投下。今、「ヒロシマ」と「ナガサキ」という被爆地は、人類が被った“負の遺産”として厳然と存在し、「平和希求」の祈りの地となっている。戦後70年という節目の年に、長崎市の「長崎原爆資料館」や爆心地近くの「浦上天主堂」などを訪ねてみた。
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