シリーズ 長崎の光と影
長崎「信徒発見」から150年、待ち望むローマ法王来日

原野 城治【Profile】

[2015.08.27] 他の言語で読む : ESPAÑOL |

日本のキリスト教信者は人口の1%にも満たないが、2015年は長崎で隠れキリシタンが発見された150年になる。特に長崎の街かどではこのカトリック歴史に触れることができる。「隠れキリシタン」発見の歴史と原爆に関連する大浦天主堂とカトリック浦上教会を訪ねた。

日本のカトリック史上の“奇跡”

イスラム過激派による世界的なテロで、イスラム教に対する関心と警戒心は日本で高まっているが、日本人は20億人以上の信徒を抱える世界最大宗派のキリスト教について、意外に無頓着であまり知らない。しかし、2015年は日本のカトリック信者にとって、「信徒発見150年」という極めて重要な年にあたる。

イエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルが1549年に、初めてキリスト教を日本に伝えてから450年余。その後、江戸時代にはキリスト教が「禁教」とされ、長崎、大分、熊本など九州に広がったカトリック信徒は『隠れキリシタン』として、250年にわたり迫害されながら、司祭のいないまま密かに信仰を守り抜いてきた。

その長い“潜伏の時代”を経た、明治維新直前の1865年3月17日、フランス人のベルナール・プティジャン神父による長崎・大浦天主堂における「隠れキリシタン」の発見は、宗教史上の“奇跡”の1つといわれている。

大浦天主堂で仏人司祭に「告白」した女性信者

「信徒発見」の地・大浦天主堂は、日本最古のゴチック様式の教会で、国宝に指定されている。正式名称は「日本二十六殉教者天主堂」で、1597年に殉教した外国人宣教師や日本人の26聖人に捧げられたもの。豊臣秀吉のキリスト教「禁教令」(1587年)によって京都や大阪で捕まえられた26人のキリシタンは,信者の多い長崎に移送され「西坂の丘」で見せしめのため処刑された。今は、いずれも国際的な巡礼地となっている。

大浦天主堂の管理者・諸岡清美氏によると、「信徒発見」の経緯は次のようなことだ。

大浦天主堂の管理者・諸岡清美氏。

「キリシタン信徒が、禁教令による250年の迫害の中で、組織的にカトリックの信仰を守り続けたのは長崎だけだった。明治維新前の1858年に米、仏など5カ国との修好通商条約が締結され鎖国が終わると、フランスのプティジャン神父が、大浦天主堂建設のため来日し、1865年2月に天主堂の献堂式(完成式)を行った」

「浦上のキリシタン信徒がこの話を聞いて、天主堂をのぞきに行ったのは1か月後の3月17日。禁教令が続いていたので、信徒は徳川幕府の“罠”だと疑ったが、イザベリナ杉本さんら信徒10数人は『殺されてもいいから』と出かけ、プティジャン神父に会った。女性らは神父を質問攻めにし、最後はマリア様の御像を見て、本物の神父だと確信、自分たちが隠れキリシタンであることを告白した。好奇心と信仰心の強い女性たちが中心だったからできた」

ローマ法王が認めた隠れキリシタンの“規範”

この宗教上の奇跡は、直ちに「大事件」として欧州を駆け巡った。「欧州では司祭のいないまま信仰を守り通したことに尊敬が集まった」(諸岡氏)という。しかし、公然と広めれば江戸幕府に伝わりキリシタン信徒が迫害されるため、ローマ、パリの教会関係者らは秘密裏にその奇跡を喜び、伝え合ったという。

だが、長崎では1867~70年に「浦上四番崩れ」といわれる最後の迫害が起きた。信徒発見後、浦上のキリシタンは公然と信仰を表明する様になったため、幕府および明治政府は信徒らを捕縛し、流罪や拷問による迫害を行った。配流された者は3394人、うち662人が死亡したとの記録が残っている。明治政府が禁教令を廃止したのは1873年で、255年ぶりに迫害が終わった。

日本のマスコミはほとんど報じなかったが、フランシスコ・ローマ法王(教皇)(※1)は14年1月、バチカンの広場で、「日本のキリスト教徒は17世紀初めに厳しい迫害を受け、司祭は追放されたが、潜伏しながら信仰と祈りを守り生き延びた。この出来事から多くのことを学ぶことができる」と演説し、キリシタンの受難の歴史を“模範”とたたえた。

世界が注視するカトリックの新たな動向

ローマ法王といえば、最近ではベストセラー新書『ローマ法王に米を食べさせた男』(講談社)が話題になっている。これは石川県神子原町の“限界集落”再生のために、地名から「神の子キリスト」を連想し、地元産米を苦労してローマ法王へ献上した話。その結果、『ローマ法王献上米』に買い手が殺到し、集落再生の大きなきっかけになったという成功譚だ。

著者で当事者である高野誠鮮氏は、石川県羽咋市の“スーパー公務員”だが、日蓮宗僧侶で立正大学客員教授でもある。それだけに、ローマ法王への献上を着想したのはさすがだが、それ以上に「ローマ法王」という名が持つ重みを改めて浮き彫りにしたともいえる。

その第266代のフランシスコ法王が就任したのは2013年3月。イタリア系アルゼンチン人であり、アメリカ大陸出身の初めての法王で、欧州以外からの就任は実に1272年ぶり。しかも、「イエズス会」出身の法王も史上初だった。世界は、この異例尽くめの法王就任を、カトリック教会の“国際化”、新たな影響力拡大への強い表れだと受け止めた。

というのも、イエズス会(※2)は宗教改革以来、「法王(教皇)の精鋭部隊」と呼ばれ、カトリック教の世界布教活動の先兵役を担った。現在、110カ国以上に2万人の会員を擁するカトリック教会における男子修道会の最大組織で、教育活動、宣教事業、社会正義事業に力を入れている。

米・キューバ国交回復を仲介したローマ法王

それを象徴したのが、15年7月20日の米国とキューバ両国の54年ぶりの国交回復だ。両国は14年12月に国交正常化交渉の開始を発表したが、その際、キューバのラウル・カストロ国家評議会議長議長は、「ローマ法王庁、特にフランシスコ法王(教皇)の力添えに感謝する」と演説した。長い歴史を持つカトリック教会の影響力の大きさを改めて印象付けた。

ローマ法王フランシスコ教皇、サン・ピエトロ広場。

さらに、フランシスコ法王は9月下旬に米上下両院合同会議で演説する予定だ。安倍晋三首相が5月に歴史的な演説をしたその場所で、法王は何を言うのか。民主主義の機能不全の背景の1つに、「西欧(キリスト教)VSイスラム世界」という宗派対立が大きく横たわっているだけに、ローマ法王が戦後70年目の節目にどんなメッセージを発するか世界が注目している。

史上初の「イエズス会法王」への熱い期待

日本にとっても、フランシスコ法王がザビエルと同じ「イエズス会」出身であることに期待を寄せている。2015年は「信徒発見150年」だけでなく、江戸時代に仙台藩主伊達政宗が派遣した「慶長遣欧使節団」が当時のローマ法王、パウロ5世と謁見してから400年を迎える年でもある。

カトリック浦上教会・教会管理である荒木和彦さん。

長崎のカトリック浦上教会・教会管理である荒木和彦さんは、「日本はフィリピンや韓国のようにカトリック教徒が多くないので簡単ではない」としながらも「是非、ローマ法王には長崎を訪問していただきたい」と強い期待を表明した。ヨハネ・パウロ2世法王が史上初めて来日(1981年2月)して以来34年間、法王の来日は実現していない。

安倍首相は14年6月にバチカンを訪れ、ローマ法王の訪日を正式に招請しており、長崎市も訪日招請の親書を送り、前向きな回答を得ている。実は、ローマ法王は14年11月の記者会見で「人類はヒロシマ、ナガサキから何も学んでこなかった。(中略)我々はまさにヒロシマとナガサキのようにゼロからスタートしなければならない」と発言している。さらに法王は、東日本大震災の被災地を訪れたいとの希望を持っているという。

キリスト教信者は漸減、「人口比1%」を超えたことない現実

しかし、日本のカトリック信者は漸減している。諸岡氏によると「カトリック信者は45万人程度」で、長崎については「150年前の信者が5千人で、現在が約7万人。長崎では20人に1人が信者だが、日本全国だと4~5千人に1人」という。また、大浦天主堂の訪問客数も現在は年間約65万人だが、1980年代のバブル経済時代には年間152万人に上っていたという。

『宗教年鑑』(2013年版)によると、日本国内のキリスト信徒数は190万8000人で、日本の全宗教信者数に対するキリスト教系信者の割合は1%。実は明治維新以降、人口比で1%を超えたことがない。また、総人口に占めるキリスト教カトリック信徒の比率は0.3%程度となっている。(※3)

ヨハネ・パウロ2世の像とカトリック浦上教会。

浦上教会を訪れる敬虔な韓国人カトリック信者

一方、1945年の原子爆弾被ばくで全壊した浦上天主堂の荒木氏は、「韓国はカトリック信者が500万人といわれ、熱心な信者が団体で来ることが多く、浦上で1日何組もミサをして帰る。中には、数日滞在して、何回もミサをしに来る韓国人団体もいる」という。アジア地域最大のキリスト教国はフィリピンで、信者の割合は80%を超え、大統領の就任式も教会で行われる。韓国も30%以上がキリスト教信者で、金大中元大統領はカトリック信者であった。

荒木氏は、日本のカトリック教の課題について「若者が減り、教会離れが進んでいる。祈りを中心とした新たな信者の獲得をしていかなければならない」としている。長崎県や長崎市が進めている「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(13の遺産で構成)のユネスコの世界遺産への登録運動についても、「実は、カトリック教会としては消極的。観光ではなく、統治者と宗教との関わりや、キリシタンが困難な状況をどう乗り越えてきたかを考える場所にしてほしい」と語った。

それだけに、長崎のカトリック教会関係者は、ローマ法王の来日を強く願望している。「行動する法王」として冷戦終結や他宗教との和解に貢献したヨハネ・パウロ2世のように、フランシスコ法王の来日実現によって、アジアや日本における新たな風が吹くことを期待している。

カバー写真=日本のカトリック史上の“奇跡”として知られている長崎の大浦天主堂。

(※1)^ カトリック教会では「ローマ教皇」を使う。司教団は1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一した。しかし、メディアでは「ローマ法王」という表記が使われている。また、東京都千代田区にある駐日バチカン大使館は「ローマ法王庁大使館」が正式名。日本では、「教皇」と「法王」が混用されている。

(※2)^ キリスト教の最大の信者数を持つのは「カトリック」で、以下「プロテスタント」、「正教会」、「その他教派」の順となっている。

(※3)^ イエズス会は1534年8月 15日,イグナチウス・デ・ロヨラら6人の同志がパリのモンマルトルの丘で誓約を立て,1540年に教皇の認可を受けて創立した司祭修道会。

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  • [2015.08.27]

政治ジャーナリスト。1972年時事通信社入社。同社政治部記者、パリ特派員、解説委員、秘書部長、編集局次長、ジャパンエコー社代表取締役を経て、2011年から16年3月までニッポンドットコム代表理事。2006年より日本国際問題研究所評議員。2008年「イタリア連帯の星」カヴァリエーレ章受章。2009年TBS番組コメンテーター。

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