国際結婚の肖像

コーリーと椋の新たな門出

社会

シリーズ第1回は、今秋カナダのトロントで家族として新たな1歩を踏み出した20代のカップルを紹介する。結婚までのエピソード、子育て、将来の展望について聞いた。

コーリー&椋・プロコピオ Corey and Ryō PROCOPIO

コーリーは1987年7月カナダ・トロント生まれ。父はイタリア人、母は日系2世のカナダ人。両親はトロントでカフェベーカリーを営む。妹2人に弟3人。オンタリオ州労災補償局に勤務。 椋(旧姓・加藤椋)は1992年11月東京生まれ。父は整体師、母は看護師で共に北海道出身。弟が1人。コーリーさんと出会った2015年当時はワーキングホリデーを利用してトロントの美容サロンに勤務。現在、カナダの永住権申請中。 2人の初デートは2015 年7月7日。プロポーズは10月、16年3月16日に東京で結婚式を挙げ、婚姻届は日本で出し、婚姻証明書の英訳をカナダ側に提出、受理された。6月24日東京の病院で長男(大輔)誕生。

コーリー・プロコピオさんと椋(りょう)さんが初めて会ったのは2015年6月。それから1年もたたないうちに結婚、息子誕生というスピーディーな展開で、16年秋からカナダのトロントで親子3人の新たな生活が始まった。

最初はほとんど「無視」

トロントでの運命の出会いは、ワーキングホリデーで美容師として働いていた椋さんの以前のシェアハウス仲間がコーリーさんの知り合いだったことがきっかけ。「久しぶりにその友達と会うことにしたら、知らない外人が一緒にいた」と言う椋さんは、最初、特にときめかなかったらしい。一方、コーリーさんは「美しい彼女に一目ぼれ」。椋さんにはほとんど無視されたが、単に“shy”(恥ずかしがりや)だと思っていた。ところが、付き合いだしてから間もなく、唐突に “Are you gay?” (ゲイですか?)と聞かれてびっくり。「トロントではそんな個人的なことは聞かないから、日本との文化の違いかと思った」

椋さんによれば、前に付き合っていたボーイフレンドが、別れてからゲイだったと判明したので、「念のため、はっきりさせておきたかった」とのこと。デートを重ねるうちに、椋さんも、優しくて、多少の言葉の壁をものともしない理解力のある彼に急速に引かれていった。

“デキちゃった婚”先輩の母に報告

2人の「国際結婚」を、当初、家族はどう受け止めたのだろうか。

「僕の両親はとても喜んでくれた。それまで、仕事一筋だったし、リョウが初めての恋人だったから」とコーリーさん。彼には3人の弟と2人の妹がいるが、「妹2人は最初リョウを気に入らなかったみたいだけど…。ちょっと嫉妬もしていたかもしれない」

トロント育ちで、カナダ国内と米国以外は旅行もしたことがなかったというコーリーさんだが、日本とは縁がある。母親は日系2世で、親類のいる滋賀県彦根市を何度か訪れているそうだ。父親はカナダで永住権を取得したイタリア人。

「以前、韓国人の女性と結婚した友人から、僕の子ども時代はどうだったか聞かれた。彼は “白人” だから、子どもが生まれれば “mixed child” になるわけだけど、子育てに少し不安があったらしい。でも、トロントでは中国人、韓国人、日本人、黒人とさまざまな文化的背景を持った人たちが生活して英語で意志疎通をしている。“ミックス”とか“ハーフ”とかって、全然問題じゃない。日本では違うのかもしれないけど」

椋さんがコーリーさんと結婚すると日本にいる母親にLINEで報告したのは、赤ちゃんができたと分かった11月頃。「あ、そうなんだ、良かったね…という感じ」だったそうだ。「私の母も“デキちゃった婚”だったし」と椋さんはけろりと言う。

大輔君はカナダで市民権を取得。コーリーさんは、男の子が3人欲しいと言うが、椋さんは女の子が欲しいそうだ

トロントと東京、どちらに住むか

9月に椋さんの実家で2人を取材した際には、コーリーさんは育児休暇中で、6月に生まれた息子、大輔君と椋さんとの親密な時間を楽しんでいた。今のところ、おむつの交換も含め、育児も家事も2人で “half and half” でこなしているそうだ。「今は3時間ごとにお乳をあげているけれど、彼も夜中、私と一緒に起きてくれる」と椋さん。

カナダで暮らすことにしたのは、コーリーさんの今の仕事が待遇面、福利厚生面で理想的だからだ。オンタリオ州の労災保険を扱う組織で勤務は8時半から4時半、残業はほとんどない。

「お金が欲しければ残業するけれど、今はその必要はない。日本では残業は普通みたいですね。でもカナダはもっとゆったりしています」

東京の椋さんの家族と一緒に。加藤家の「家訓」は学校を出たら2年以内に家を出て独立すること。弟(左端)もすでに独立している。父(左から2人目)は整体師、母(右端)は看護師。2人とも北海道出身だ

椋さんの出産に立ち会うため、4週間有休を取り、育休は15週間申請した。ほぼ5カ月間仕事を休み、10月末に職場に復帰。育休中は、会社から給与の75%が支給される。「日本で住むこともリョウと相談したけど、僕がトロントでの仕事よりいい仕事を見つけるのは難しい」

一方椋さんは、「カナダに住むことをオーケーはしたけど、いつか日本に帰ってきてもいいんじゃないかとは思っている。トロントはいい所だけど、東京の方が清潔だし、シャワーの出具合もいいし…。ずっと日本育ちだから、東京での生活の方が楽」

コーリーさんは、将来椋さんがどうしても日本で暮らしたいと思うのなら、「真剣に検討する」と言う。「日本で英語を教えて生計を立てるEnglish speakersも多いから、僕も最初はそうしてもいい。でも、給料のいい安定した仕事に就くためには、もっと日本語を勉強する必要がある」

「仲が良すぎる」家族

カナダでの生活で椋さんが少し気掛かりなのは、「家族問題」だ。「彼の家族は仲が良すぎる」。新居はコーリーさんの両親の家から歩いて10分程度。毎日でも親や妹、弟と会いたいという彼に対して、微妙な心境のようだ。

コーリーさんの27歳の妹は椋さんより1カ月前に男の子を出産。妊娠中でイライラしていたのか、椋さんに対してとげとげしかった。ただ、今後はお互いに幼い息子を育てる母親として良き相談相手にもなるはずだ。もう1人の妹は椋さんと同じ24歳。妹2人ともっと仲良くなれば椋さんのトロントでの生活の最強の味方になると、コーリーさんは期待している。

椋さんは4月にカナダで永住権を申請した。大勢の人が申請しているので、受理されるまでに1年以上かかると言われている。永住権を取得するまでは、トロントで就職することはできない。

「お義母さんからはちゃんと働きなさいと言われている。でも、美容師をするにはオンタリオ州の試験を通らなくてはならないし…」

もちろん、コーリーさんの両親が30年間営んでいるカフェベーカリーを手伝う選択肢もある。コーリーさんと妹、弟たちも小さい時からカフェで働いた。ただ、「僕の両親は仕事では容赦ないボスだよ」とコーリーさん。だから、椋さんはカフェで働かない方がいいかもしれないと思っている。「リョウが美容師の試験を受けるなら、僕も勉強をサポートするし、仕事を探すなら、カフェや美容師以外にも選択肢はあると思う」

椋さん「日本語、もっとうまくなってほしい。多分今は日本語よりイタリア語の方ができる」。コーリーさん「僕に日本語を教えようとしてくれるけど、僕はダメな生徒だし、彼女もダメな先生だから」

息子には多くの選択肢を

息子の大輔君の名前は元メジャーリーガーの松坂大輔にちなむ。プロコピオ一家にとって、野球はとても重要だ。コーリーさんはリトルリーグからずっと野球を続け、大学も野球の奨学金での入学だったが、負傷で野球を断念。18歳の弟は、ニューヨーク・メッツにドラフト指名されたほどの実力の持ち主だ。

もちろん、息子もリトルリーグに入れたい。とはいうものの、大輔君を育てるときはできるだけ多くの選択肢を与えたいそうだ。「僕自身、もっと日本語を勉強しておけばと悔やんでいるから、大チャンはバイリンガルに育てたいし、日本の文化についてもっと学んでほしい。野球はもちろん一緒にやりたいけれど、サッカーもいいし、ピアノとか音楽もやってほしい。自分で何が好きか分かったら、やりたいことをすればいい」

カナダでは二重国籍が承認されているが、日本の法律の下では、22歳までにどちらかを選ばなくてはならない。大輔君はそれまでに、日本に住みたいかカナダに住みたいか、自分で選べばいいとコーリーさんは言う。「大チャンが幸せなら、どちらでも構わないさ」

取材・文=ニッポンドットコム編集部
撮影=山田 愼二

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