シリーズ 国際結婚の肖像
日本とエジプトのカップル・祐隆(ユースフ) &シリーンの歩む “道”
[2017.05.19] 他の言語で読む : ENGLISH | العربية |

結婚15周年を迎える日本人とエジプト人の30代のカップル。イラク戦争を契機に日本に移り住んだ2人は、4人の子供たちを育てながら、イスラム教徒としてどんな思いで今を生きているのだろうか。

鈴木祐隆(ユースフ) &シリーン・アブドエルサラーム

鈴木祐隆(ユースフ) &シリーン・アブドエルサラームSUZUKI Hirotaka Yusuf and Sherin Abdelsalam祐隆(ひろたか)さんは1978年千葉県生まれ。拓殖大学在学中に留学したカイロ大学で、日本語学科2年生のシリーンさんと出会う。2001年6月、シリーンさんの大学卒業と同時にカイロで結婚式を挙げ、在エジプト日本大使館に婚姻届を提出した。祐隆さんは留学中にイスラム教に改宗。帰国後10年余りのサラリーマン生活を経て、15~17年東京のアラブ・イスラーム学院でアラビア語を学び直す。現在はフリーランス翻訳家。シリーンさんは1981年エジプト・カイロ生まれ。翻訳や通訳のフリーランス、日本語学校勤務を経て、現在は東京のアラブ系機関に勤務。2人は03年に勃発したイラク戦争を機にカイロを離れ、現在は6人家族(14歳を筆頭に3男1女)で千葉県に住む。

「神様がこういう道を与えてくださるのだから、私は身を任せるしかない、頑張るしかない」—インタビュー中、シリーン・アブドエルサラームさんは何度もそう口にした。

思ってもみなかった「道」を歩み始めたのは、1999年9月、鈴木祐隆さんとの出会いがきっかけだった。カイロ大学文学部日本語学科の廊下で、友人に拓殖大学からの交換留学生としてエジプトへ到着したばかりの祐隆さんを紹介された。

いつの間にか「付き合って」いた

父に英語以外の語学を身につけるようにと日本語を薦められて専攻したものの、日本語学習に熱が入らなかったシリーンさんだが、祐隆さんと知り合ってから猛勉強を始めた。英語が得意でなく、アラビア語の勉強を始めたばかりだった祐隆さんと意思の疎通を図るためだ。とはいえ動機は「話が通じないのが悔しかったから」であり、特別な好意を抱いたからではないそうだ。

「彼に母のエジプト料理をごちそうしたかったので、自宅に招待しました。同居していた祖母や伯父一家からは、男の人を家に招いたということは、きっとこの2人は付き合っているのだと思われた。でも、私は全然そんなつもりはなく、ただ日本人にエジプトのことを知ってもらおうと思っただけです」

どちらかが「付き合ってください」とはっきり申し込んだわけではない。いつの間にか周囲公認となっていて、「流されるように」出会いから10カ月ほどで婚約式を挙げた。「エジプトでの婚約は、(書類上では未婚であっても、社会的には)結婚と同じだということを当時は知らなかった」と祐隆さんは言うが、「1年間のエジプト留学を終えていよいよ帰国するときに、(日本の大学を卒業してエジプトに)戻ってきたら結婚しよう、と伝えました」

「流されるように」婚約、結婚と進んだ2人。今はケンカもよくするが、お互いへの強い信頼で結ばれている

2人の人生設計を変えたイラク戦争

当初シリーンさんの母親、親戚は国際結婚には反対だったが、初対面から祐隆さんを気に入った父親は賛成してくれた。最終的には、2人がエジプトに住むことを条件に、母も結婚(婚約)を許してくれた。寮住まいだった祐隆さんが、同じ寮生のムスリムに勧められてラマダン月に断食や礼拝を体験した後、イスラムに帰依していたことが、結婚承認のハードルを下げる一助となったのかもしれない。

帰国した祐隆さんは、勉学の傍ら、アルバイトに精を出した。結婚式までにお金を貯めなくてはならなかった。「エジプトでは結婚に際していろいろなルールがあって、男性側が住居を用意し、家具や電化製品など、女性が用意する台所周り以外の全てをそろえるのがしきたりです」

祐隆さんが婚約したことを両親に告げたのは、帰国してからだ。特に反対はなかった。本人同士が良いならとすんなり認めてくれた。2001年4月にはシリーンさんが初めて来日し、祐隆さんの家族・親族に「お披露目」した。同年6月11日、シリーンさんが大学4年生の最後の試験を受けた日の夜に、エジプトで結婚式を挙げた。23歳と20歳の若いカップルの誕生だった。

カイロに新居を構え、祐隆さんは観光会社で働き始めた。03 年4月には最初の子供を授かった。しかし、中東情勢を一変させる出来事が、2人が思い描いた人生設計に影を落とすことになる。01年9月の米国同時多発テロ事件の発生、そして長男誕生の1カ月前に勃発したイラク戦争である。エジプトの観光産業は外国人観光客が激減して打撃を受け、祐隆さんも職を失ってしまった。

「望んで日本に来たわけではない」

エジプトに住むことが結婚の条件だったが、2人は生活を立て直すために日本へ拠点を移すことにした。当初は祐隆さんの千葉県の実家で親と同居したが、21歳で母親になったシリーンさんにとって、初めての外国生活での子育てはストレスの連続だった。また、日本語を習得していたとはいえ、夫の親とのコミュニケーションは気苦労が多かった。しばらくしてから県内で、実家から電車で1時間ほどの町に移り住み、子供たちの誕生日などの機会に行き来をするようになった。今は義理の両親ととても良い関係を築いている。

シリーンさんは、2011年のエジプト革命以後、治安が悪く社会も不安定な母国で再び暮らすのは困難だと感じている。その一方で、複雑な心情も吐露する。「望んで日本へ来たわけではない。家族を思う気持ちが強いので、妹の結婚式やお産、母の病気のときに一緒にいられないことがつらい」

「国際結婚では、どちらかが母国を離れることになる。必要とされるときに両親の面倒を見てあげられないという点では、マイナスだと思う」と祐隆さんも言う。

子供たちとアラビア語

昨年末、一家はシリーンさんの母親のお見舞いのため、数年ぶりにエジプトへ里帰りし、2週間余り滞在した。子供たちは、アラビア語はおぼつかないながらも、従兄弟(いとこ)や親戚とサッカーやゲームをして遊んだそうだ。子供たちにエジプトの印象を聞いてみると、「ゴミがある」「猫や野良犬が多い」「人が優しいのは、家族が多いからかな」などと答えた。

普段は日本語で会話しているので、子供たちは両親がアラビア語で話している内容はあまり理解できない。シリーンさんは、「アラビア語を教えたいけれど、言葉は親からだけ学ぶものではない。それに毎日満員電車に揺られて通勤し、仕事を終えて帰ったら、3歳の末っ子も含め4人の子供たちの面倒を見て、疲れてコタツで寝てしまうような毎日では、子供たちにアラビア語を教える時間的・精神的余裕はない」と話す。

だが、中学生の次男は「一応エジプト人だし、生まれた国の言葉だから覚えておいた方がいいんじゃないかと思う」とアラビア語習得に関心を示している。

子供たちは地域の一員として、のびのびと育っている。アラビア語はまだ話せない

地域コミュニティーと子育て

千葉県の現在の町に住んで10年余りになる。地域の人々にとっては、ヒジャーブ姿のシリーンさんも、目鼻立ちのはっきりした子供たちも、見慣れた隣人だ。異邦人、外国人としてではなく、「鈴木家の人たち」と認識していて、特別視しない。

子供たちが通う中学校、小学校にはとても助けられている。イスラム教徒の子供が入学したのは初めてだったが、さまざまな相談にきちんと対応してくれた。シリーンさんは言う。「次男が礼拝をしたいと言った時には、礼拝の場所を用意してくれた。お泊まり会の時はイスラム教徒の食事内容の確認をしてくれたし、キャンプで出すカレーには豚の代わりに鶏肉を用意してくれました。給食にはお弁当を持っていって、ラマダン月の給食時間には断食中の子供を空き教室へ移動させてくれた。学校によって対応は異なるのかもしれないけど、宗教面で大変だと感じたことはありません」

エジプトより日本の方が子育てはしやすいと感じているそうだ。「日本の学校には“型”があります。どこの小学校も大体同じ年間スケジュールだし、行事や給食の献立のお知らせが届くので、流れさえ知っていれば外国人でも (子供の学校生活が) 理解できます」

エジプトへの里帰りで、日本ではなかなか手に入らない食材を買ってきた

将来の計画は立てず「今を生きる」

エジプトに留学した祐隆さんには夢があった。アラビア語を学び、その語学力を生かして働くという夢だった。しかし、日本ではアラビア語と関係のない仕事に就き、10年間家族を養ってきた。だが、数年前にその仕事を辞める選択をした。

「今まで10年以上も頑張ってきたのだから、これからは自分の夢のために生きればいい。ぜいたくをしなくても家族が食べていけるなら、それで十分です」とシリーンさんは言う。

現在はシリーンさんがフルタイムで働き、祐隆さんは東京・広尾のアラブ・イスラーム学院でアラビア語を学び直して、語学力を磨いている。「アラビア語を駆使して日本と中東の架け橋になるという夢は、結局かなえられていない。でも、今は新たに第二の人生に踏み出したような気持ちです」

「私たちは計画を立てずに生きています。一度だけ計画したのはエジプトで暮らすと決めたこと。でも、うまくいかなかった。神様がどこで生きろとおっしゃるのか分からない。人間の計画はうまくいかない。朝から晩まで忙しすぎて考える暇もないし、今を生きるしかない」。シリーンさんはそう言って、最後にきっぱりとこう付け加えた。「でも、今、幸せです」

取材・文=加藤 恵実、ムハンマド・ハッサン(ニッポンドットコム編集局多言語部)
撮影=山田 愼二

祐隆・シリーン夫妻へのQ&A

Q. プロポーズの言葉は?

祐隆さんが「(日本の大学を卒業してエジプトに)戻ってきたら、結婚しよう」とプロポーズ。

Q. コミュニケーションする言語?

2人で話す時は、日本語かアラビア語。アラブ・イスラーム学院で勉強し、祐隆さんの語学力が上がったので、アラビア語で会話ができるようになった。子供たちとは日本語。

Q. 家事分担は?

現在はシリーンさんが仕事をしていることもあり、祐隆さんが主に家事をしている。子供たちは、祐隆さんが作る味のしっかりした料理の方が好きだ。シリーンさんは引き出しの中の服の整理など細かい作業が得意。

Q. お互いをどう呼ぶ?

「シリーン」「ひろ」。子供に向かって話す時には、ママ、パパ。

Q. 里帰りの頻度は?

数年に1度。この年末年始は、家族そろってシリーンさんの母のお見舞いに行った。

Q. 夫婦で決めた約束は?

最近のルールは、家族で夢中になったドラマ “逃げ恥”(『逃げるは恥だが役に立つ』)の影響で、「1日1回ハグ」。

Q. 記念日のお祝いは?

結婚記念日は特にお祝いしない。

Q. 誕生日のプレゼントは?

シリーンさんは祐隆さんにプレゼントを渡すが、祐隆さんは「シリーンがいらないと言うから」。シリーンさんは「いらないと口では言うけどもらったらうれしい」とのこと。

Q. ケンカは?

よくケンカする。「別れる」「こっちこそ別れてやる!」と言い争っていると、子供たちは「またか」とあきれている。

Q. 夫の好きなところと直してほしいところ

自分を犠牲にしても家族を優先するところ。態度や言葉ではなく、行動で愛情を示している。直して欲しいところは、マイナス思考。「天国に行ったら、もっといい天国はないかな」と言うのでは。

Q. 妻の好きなところと直してほしいところ

どんなに最悪な状況でもプラスに考えるところ。優しくて、よく理解してくれていると感じる。直して欲しいところは、何をするにも、(手順など) いろいろ細か過ぎて時間がかかること。

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