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Love Forever: 草間彌生の素顔

建畠 晢【Profile】

[2017.02.16] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | Русский |

前衛芸術家、草間彌生の過去最大級の個展「草間彌生 わが永遠の魂」が2月22日から東京・六本木の国立新美術館で開催される。80歳を越えても第2の黄金期を迎えた活躍を見せる彼女の初期の絵画から、水玉や網目模様で知られる現在に至るまでの創作活動の全体像を発表する。

草間 彌生

草間 彌生KUSAMA Yayoi前衛芸術家、小説家。1929年長野県松本市生まれ。幼少より水玉と網目を用いた幻想的な絵画を制作。1957年単身渡米、前衛芸術家としての地位を築く。1973年活動拠点を東京に移す。1993年ヴェネチア・ビエンナーレで日本代表として日本館初の個展。1998~99年にかけて回顧展がニューヨーク近代美術館等を巡回。2009年「わが永遠の魂」シリーズ制作開始。2011年テート・モダン、ポンピドゥ・センターなどを回顧展が巡回。2016年文化勲章受章。

苦難の道を歩んだ天才

昨年、草間彌生は日本のアーティストに与えられる最高の栄誉である文化勲章を受章した。草間は長野県松本市の名門の家に生まれ、若くして画家としての才能を認められ、ニューヨーク時代にはネット・ペインティングのシリーズなどで脚光を浴び、90年代以降はヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展、ニューヨーク近代美術館、ロンドンのテート・モダンから今春の国立新美術館(東京・六本木)に至るまで、世界各地の主要な国際展や美術館で相次いで回顧展が開催されてきた。外形的に見ればまさに順風満帆の天才アーティストと思われてしまうかもしれないが、実際には彼女の人生は順境であるどころか、幼い頃から精神的な病理に苦しめられ、また周囲の無理解や偏見とも戦わなければならないという、壮絶なるいばらの道を歩むことを強いられてきたのである。しかしその苦難に満ちた道のりこそが、愛による世界の救済を願う彼女のアーティストとしての大いなる思想をもたらし、誰の心にも深い感銘を与えることになったとも言い得るのではなかろうか。

「わが永遠の魂」シリーズより≪しのびがたい愛の行方≫(2014)  ©YAYOI KUSAMA

私が彼女に最初に出会った(というか見た)のは、米国からの帰国後の1976年、銀座の小さな画廊で開かれた小品のコラージュ展であった。小柄な彼女は片隅の椅子にちょこんと座っていたような記憶があるが、こちらは無名の若者であるし、またパプニングなどを繰り広げたニューヨークのスキャンダルの女王という噂を耳にしてもいたので、話し掛ける勇気もないままに画廊を出てしまった。しかし作品から受けた衝撃はあまりにも大きかったと言わなければならない。画面がたたえるポエジーの深さ、戦慄(せんりつ)的といってもよい官能性に、妙な先入見は一挙に吹き飛んでしまったのである。

巨大なネット・ペインティングの前にて(1961) ©YAYOI KUSAMA

その後、ほどなくして私は美術館に勤めることになったが、キュレーターとして常に念頭にあったのは、この法外な天才を国際的に再評価させなければならない、それもいわゆるアウトサイダーとしてではなくPost-war Artの展開における中軸的な存在として位置付けなければならないという、傍目には滑稽(こっけい)なくらいの使命感であった。彼女のユニークな資質を評価する人は当時にあっても少なくはなかったが、それはもっぱらinterestingな(興味深い)異端としての才能に向けられていたからだ。

幸いにしていま、草間はgreat (偉大)でありsublime(卓越した)でもあるアーティストとして広く認められるようになっている。それは80歳を越えてからの制作が衰えを知らないどころか、第2の黄金期ともいうべき展開を見せているからだが、それと同時に彼女が久しく掲げて続けてきたLove foreverというメッセージが、不寛容なイデオロギーが蔓延する時代にあってより真摯な意味を帯びて伝わってくるからでもあろう。

無限の鏡の間-南瓜へのつきることのない愛のすべて(2016) ©YAYOI KUSAMA

みんなのアバンギャルド

しかし先に述べたようにこの豊かなる愛のメッセージは、彼女が幼き日から抱えざるを得なかった特異なオブセッション(強迫観念)と深く関わっている。彼女はしばしば花柄の模様が空間を埋め尽くし、自らもその中に消滅させられてしまうというような幻覚に襲われたのだが、すでに小学校の頃のドローイングにも登場してくるネット/ドットのパターンは、その恐怖のイメージを描くことによって逆に心的な負荷を解消しようとする、本能的な芸術療法であったのかもしれない。ニューヨーク時代の絵画の無数の網目が連なる“単純にして複雑な”大画面は、見方次第では幼少期以来の空間恐怖的なオブセッションの産物でもあったのだ。しかしそのオール・オヴァー(※1)な絵画空間のありようが、実のところダイナミックなストロークを際立たせたアクション・ペインングから禁欲的なミニマリズムへと向かうニューヨーク・スクール(※2)の転換点をなしたという事実は、草間が単に自らの殻に閉じこもった異端ではなく、むしろ歴史を推進させる弁証法的な力学の正当なる体現者であったことを証していよう。

ナルシスの庭(1966) 第33回ヴェネチア・ビエンナーレ、1500個のミラーボールを芝生の上に敷き詰めた。美術界の商業主義を批判し、ボールを観客に販売するパフォーマンスを行った ©YAYOI KUSAMA

ニューヨークでの草間は絵画に並行してペニス状のクッションで覆われた家具やボードなどのソフト・スカルプチャーをも制作していた。日常生活の中のオブジェがそのまま流用されている点ではポップアートの嚆矢(こうし)とも見なし得るシリーズだが、不穏な性的イメージで埋め尽くされていることは、やはり彼女ならではの心的オブセッションを強く印象づけずにはおかない。

ソフト・スカルプチャーと草間(1963)©YAYOI KUSAMA

草間の制作は確かに心理的な抑圧からの解放を願う行為ではあるが、彼女の真の偉大さは、その願いが自己と世界との同時的な救済の祈りへと昇華し得ているところにあるに違いない。ニューヨークでの反戦ハプニングを見ても分かるように、草間はいかに孤立しているように見えようとも、社会とは断絶したアウトサイダーではなく、愛のメッセージを掲げ続けてきた“みんなのアヴァンギャルド”なのである。

反戦ハプニング/ブルックリン橋でのネイキッド・ハプニングと米国旗焼却(1968) 「人の身体はこんなにも美しいのになぜ戦争へ行って死なせるのか?戦争とフリー・セックスとどちらがいいと思いますか?」草間の主張はあくまで反戦、平和と愛。既成概念に縛られた人々を解放しようとした。 ©YAYOI KUSAMA

(※1)^ オール・オヴァー:絵画空間の中に一定の中心を持たせないで、全体性や単一性、均質性を保ちながら、絵画からイリュージョンを廃して、平面性を重視する構造の作品

(※2)^ ニューヨーク・スクール:1950年代および1960年代のニューヨーク市で活動していた詩人、画家、ダンサー、およびミュージシャンの非公式のグループ

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  • [2017.02.16]

京都府生まれ。早稲田大学文学部仏文学科卒業。詩人、美術評論家。専門は現代美術。「芸術新潮」編集者、国立国際美術館主任研究官を経て、2015年より多摩美術大学学長。2011年より京都市立芸術大学学長、埼玉県立近代美術館館長。コロンビア大学客員研究員(2000-2003年)、東京藝術大学客員教授(2008-2010年)。1993年、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナーとして草間彌生展を開催。2013年に詩集『死語のレッスン』で第21回萩原朔太郎賞を受賞。

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