シリーズ 日本の自然:破壊と再生の半世紀
野生に戻ったトキ(下)

石 弘之【Profile】

[2017.04.11] 他の言語で読む : 简体字 | Русский |

世界の鳥類保護の関係者の間で、絶滅の危機が心配されたトキ。環境庁は生き残ったトキを捕獲し、人工飼育に踏み切った。しかし次々と死んでいき、一羽だけが残った時に中国から朗報が届いた。野生のトキが見つかったというのだ。

トキの生態

トキの仲間は全世界に25種が生息する。このうちトキを含めて6 種が何らかのレベルの絶滅危惧種に指定されている。トキの全長70~80センチ、翼を広げると130~160センチ、くちばしは15~18センチある。オスは体重1.8~2キロ。メスはひとまわり小さい。顔と足首は皮膚が露出して赤い。

トキ。ペリカン目トキ科。朝鮮、中国、日本に分布していたが、その数は激減し絶滅のおそれがある。特別天然記念物、国際保護鳥に指定されている。

通常は数羽から十数羽の群れで行動する。直径60センチほどの巣をつくり、4月上旬に3~4個の卵を産む。繁殖期のトキは非常に神経質で、巣に人間や天敵が近づくとすぐに営巣を放棄してしまう。

初雪の頃のトキ色が最も美しい

「朱鷺(とき)色」ということばは死語になったが、少し黄色味がかかった淡くやさしい桃色のことだ。羽の色は非繁殖期には大部分が白色だが、風切り羽と尾羽は朱鷺色を帯びる。繁殖期の前の1月下旬ごろから顔の周辺の首の皮膚が黒色に変わり、そこから剥がれ落ちる黒い粉状の物質を体にこすりつけて、頭部や背面が灰黒色に変わる。鳥類の中でトキだけに見られる珍ししい変色方法だ。

佐渡島で生きていた

絶滅が心配されたトキは、佐渡の山中でひっそりと生きていた。1930年に佐渡の両津市で開かれた新聞社主催の会合の席上、新穂村 (現在の佐渡市) の後藤四三九(よさく)が「奥山にはまだトキが生きているのをこの目で見た」と証言した。

この目撃談が新聞に載り、鳥類学者や政府の役人らが駆けつけてきた。大々的に調査が行われた結果トキが見つかり、33年には新穂村で営巣も確認された。再発見のころは60~100羽ほど生息していたといわれる。34年には天然記念物に指定され、その後52 年には特別天然記念物に格上げされた。

第2次世界大戦の開戦とともにトキは顧みられなくなった。戦中・戦後にかけて、佐渡でも深刻なエネルギー不足のために、薪炭用に大量の木が山から切り出された。大戦が終わり、新穂村の農業・高野高治は、毎日のように水田にトキが餌をとりに来るのに気づいた。30年ごろには27羽が集まったこともあった。しかし、年々数が少なくなっていく。

山が丸坊主になったため冬に餌場になる沢が雪で埋まって、餌が取れなくなったためと考えた。見かねた高野はサワガニやカエルを集めて水田に放した。やがて、餌を持ち寄ってくれる人も増えてきた。50 年から75 年ころまでの25 年間、10~20 羽が維持されたのは、地域の人びとのおかげだ。

ついに野生が絶滅

一方、1920年代には島根県の隠岐諸島にも、多数のトキが生息していた。ここでも、狩猟や開発によって追い詰められ50年を最後に生存の情報は途絶えた。

もうひとつの生息地の能登半島では、29年に眉丈山(びじょうざん)でトキの生存が確認された。その10年後には17~18羽の群れが見つかった。しかし64年には「能里」(のり)と名づけられた1羽になり、70年に捕獲して佐渡トキ保護センターに移された。この時点でトキは飼育が1羽、野生が10羽にまで減っていた。

65年から、佐渡で保護された2羽の幼鳥の人工飼育が試みられた。だが、翌年に1羽が死に、解剖の結果体内から農薬が検出された。このため、67年に佐渡の清水平に安全な餌を供給できる「佐渡保護センター」が建設された。

世界的な危機感の高まり

このころ、トキの保護は国際問題になった。日本にだけで生息が確認されているトキが、このままでは地球上から消え去るのではないか。危機感が世界の鳥類保護の関係者の間で高まった。

国際鳥類保護会議(ICBP、現在のバードライフ-インターナショナル)のディロン・レプリー会長は、1979年に当時の大平正芳首相に手紙を送り、その中で「できるだけ早くトキの成鳥を捕獲し、人工飼育のもとで増殖をはかるべきだ」と提案した。

さらに、国際自然保護連合(IUCN)からも、環境庁あてに同様の手紙が送られてきた。

捕獲するか自然状態で保護するか激しい議論の末、環境庁は人工飼育に踏み切った。81年には佐渡に残された野生のトキ5羽 (オス 1 羽、メス 4 羽) すべてが捕獲され、センターで人工飼育されることになった。ついに野生のトキは絶滅した。捕獲したものの、センターでは次々と死んでいき、ついにキンだけになった。

中国からの朗報

1981年6月29日、中国の国営通信「新華社」が、暗い空気を吹き払うようなニュースを送ってきた。「陝西省(せんせいしょう)洋県の山中で幼鳥を含む7羽のトキが見つかった」というのだ。中国科学院動物研究所が「絶滅」の確認のために調査を行っていたところ、5月23日に野生のトキを発見したという記事だ。7羽は2組のペアに3羽のヒナだった。彼らがトキの絶滅を間一髪で防ぐという重責を果たした。

その7羽を捕獲して、北京動物園では世界初の人工繁殖に成功した。その後は陝西省の3ヵ所、河南省、浙江省の各1ヵ所の計5ヵ所にも飼育研究センターが設けられ、繁殖は順調に進められていった。

中国と日本のトキは、遺伝的に同種であることが確かめられた。かつて、トキの一部は日本と大陸間を渡っていたとする説が、証明されることにもなった。85年、そのうちの1羽のオスの「華花」(ホアホア)を借りて佐渡に運び、メスのキンとの人工増殖をはかったがうまくいかなかった。2003年のキンの死亡によって、 日本生まれのトキは絶滅した。

中国で繁殖に成功した陰には政府の努力もあった。陝西省洋県のトキ自然保護区は380平方キロもある広大なものだ。同県政府は、保護区内で化学肥料と農薬の使用、鉱山での爆破作業を禁止するなど相次いで法令を広布した。

今では人工繁殖と自然繁殖を含めて中国のトキは2000羽を超え、その半数は野生化している。放鳥したものやその子孫は、すでに陝西省各地の1万5000平方キロメートルに分散し生息しているという。

中国産トキの活躍

中国の国家主席の江沢民は1998年に来日して天皇陛下に謁見したとき、日中友好の証として中国産トキのつがいを陛下に贈呈することを表明した。翌99年1月にオスの「友友」(ヨウヨウ)とメスの「洋洋」(ヤンヤン)が新潟空港に到着した。2羽は佐渡トキ保護センターで飼育され、人工繁殖が試みられた。この時点でキンは生きていたが、高齢のため繁殖はできなかった。

このほかに3羽が日本に貸与された。この3羽から生まれた子どもの半数は中国に戻すという約束だった。2016年までに7回にわたって47羽が中国に返された。

1999年5月には最初のヒナが誕生し、公募で「優優」(ユウユウ)と名づけられた。これが佐渡トキ保護センターではじめての誕生になった。大ニュースになり、地方自治法施行60周年の 千円記念銀貨のデザインにもなった。

2000年にはユウユウのお相手として、中国からさらにメスの「美美」(メイメイ)を借りた。「友友と洋洋」「優優と美美」は、パイオニアの役割を果たした。この2つのペアをもとに多くの子孫が誕生した。07 年には 100 羽に達した。

自然繁殖に成功したトキ親子。2004年5月25日にふ化したひな(中央)。左は優優(ユウユウ)、右は美美(メイメイ)。新潟県佐渡郡新穂村。(時事、佐渡トキ保護センター提供)

16年10月現在、佐渡トキ保護センターと佐渡トキ野生復帰ステーションを合わせて173羽にまで増えた。環境省は、20年度までに佐渡島で220羽まで増やすことを目指している。

野生下のトキの推定個体数(2016年8月23日現在)

放鳥トキ 野生生まれ(足環なし) 2013年生まれ 2014年生まれ 2015年生まれ 2016年生まれ
合計羽数 233 42 4 16 9 28
生存扱い 118 32 4 10 7 28 199
行方不明扱い 12 4 2 18
死亡扱い 83 5 5 93
死亡(死体確認) 17 1 1 19
保護・収容 3 3

注)「行方不明扱い」=6ヶ月以上1年未満未確認/「死亡扱い」=1年以上未確認
注)野生生まれ(足輪なし)の生存扱い羽数は推定値

野生復帰をめざした放鳥開始

2007年から野生に復帰させるための訓練をする「順化ケージ」での飼育がはじまった。08 年9月25日、佐渡市小佐渡山地で足輪をつけられた最初の10 羽が放たれた。自然界で番(つがい)ができ巣づくりして産卵まで進んだが、無精卵だったり天敵のカラスに襲われたりして子づくりは成功しなかった。

10年3月には順化ケージにテンが忍び込んで、10羽中9羽が殺され1羽がケガをする事件もあった。しかし、12 年に放鳥された番から次々にヒナが生れて、合計 8 羽のヒナが巣立った。16年には17羽が放鳥された。

放鳥後に数羽が佐渡島を離れて、本州の長野、富山、石川、福井、山形、秋田、宮城、福島の各県にも飛来した。いずれは、以前のように全国各地でトキが見られる日がくるかもしれない。

韓国でも中国生まれががんばる

中国は日本以外にも韓国にトキを贈り、パンダとともに動物外交の一翼を担っている。中国の胡錦濤国家主席は2008年10月、韓国にトキの1ペアを寄贈した。チャーター機で慶尚南道の「牛浦沼トキ復元センター」に運ばれた。翌年には4羽のヒナが孵化し、16年は約171羽まで増えた。17年には一部を自然に返す予定だ。

トキのいる風景

佐渡島の形はアルファベットの「Z」に似ていて、南と北に並行してそびえる1000メートル級の山地、その間にはさまれた国仲平野からなる。この平野が水田地帯でトキの餌場だ。来島する前に、「野生のトキが見られますか」と「佐渡とき保護会」の土屋正起副会長に電話で尋ねたら「そこいらにいくらでもいるよ」という返事。実際に水田地帯を1時間ほど車で回っただけで20羽ものトキを目撃した。

この当たり前になった風景は、島の人々の並々ならぬトキにかける愛情に支えられている。トキが島のどこにいて何をしているか、目撃した人が随時、環境省のトキ・モニタリングチームに連絡する。島外ナンバーの車がカメラでトキを追うと、すぐに誰かが飛んできて注意する。島の人は「無関心の関心」とか「見守り」という言葉をよく使う。

トキを驚かさないようにして見回る

刈り取りの終わった田んぼはトラクターで幾筋もの溝が掘られ、そこに溜まった水に餌になる生き物が集まってくる。水田に農薬や肥料を極力散布しない、巣に近づかない、追い回さないなどのルールを決めて見守っている。土屋は「トキがいない佐渡なんて誰も関心がないでしょう。私たちはトキを助けたけれど今ではトキに助けられている」と語る。

(文中敬称略)

撮影=土屋 正起

バナー写真:8月、繁殖が終わって群れになりだした頃のトキたち。ダイサギが1羽だけ同じ木に止まっている

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  • [2017.04.11]

環境ジャーナリスト・環境学者。朝日新聞社編集委員を経て、国連環境計画(UNEP)上級顧問(ナイロビ、バンコク)、東京大学大学院教授、ザンビア特命全権大使、北海道大学大学院教授などを歴任。この間、国際協力機構(JICA)参与、東中欧環境センター理事(ブタペスト)、日本野鳥の会理事などを兼務。主著に『地球環境報告』『キリマンジャロの雪が消えていく』『名作の中の地球環境史』(岩波書店)、『私の地球遍歴―環境破壊の現場を求めて』(講談社)、『鉄条網の歴史』『感染症の世界史』(洋泉社)など。

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