シリーズ よみがえる日本の環境
日本人の生命観(下)

石 弘之【Profile】

[2017.06.20]

日本には、人間と関係の深い動物を供養する墓などが各地に残っている。そこには、人と動物を区分けするのではなく、同じ自然の一部として考える生命観が宿っている。

肉食と日本人

天武天皇は仏教を信仰し、675年に「殺生肉食禁止の詔(みことのり)」を発令した。

ウシ・ウマ・イヌ・ニワトリ・サルの五畜の肉食を禁じた。これがその後の1200年近くもつづくことになった。

江戸時代末期になると殺生肉食禁止も緩んできた。最後の将軍である徳川慶喜は、豚肉がお気に入りだった。豚の特産地の薩摩藩から運ばせたほどだった。慶喜が一橋家の出身であることから「豚一様」(豚肉好きの一橋さま)と陰で呼ばれたという。

明治維新によって肉食禁止の習慣に終止符が打たれた。1872年、明治天皇は肉食解禁の令を発令され、自らも肉を食べた。天皇は「肉食は養生のためよりも、外国人との交際に必要だから」と、大久保利通に理由を語っていた。

これが思わぬ波紋を招いた。解禁から約1カ月後、白装束に身を固めた御嶽行者(おんたけぎょうじゃ、修験者)10人が「肉食は許しがたい行為である」と抗議のために皇居に乱入し、警備兵によって4人が射殺されて1人が重傷、5人が逮捕された。

肉食のすすめ

福沢諭吉は築地に設立された牛肉販売の「牛馬会社」の求めに応じて、「肉食之説(にくじきのせつ)」の一文を寄稿した。その一節に、「今我國民肉食を缺(かい)て不養生を爲し、其生力を落す者少なからず」、つまり「今の日本国民は肉食をしないので、不健康になって活力がないものが少なくない」という「肉食のすすめ」がある。自身が創立した慶應義塾の食堂のメニューにも、取り入れた。

肉食解禁後も、庶民の間では「牛肉はけがらわしい」という意識が強く、鼻をつまみ目を閉じて足早に牛鍋屋の前を通り過ぎる人が多かったという。しかし、1877年には東京だけで牛鍋屋は550軒を超えるほど、人気がでてきた。

明治初期の牛鍋屋の光景。仮名垣魯文の『安愚楽鍋』より(横浜開港資料館所蔵)

一挙に肉食が広まったのは、1923年の関東大震災がきっかけだ。多くの国々がさまざまな援助物資を送ってくれた。なかでも、米国は全国的な募金活動を展開して、海軍が駆逐艦で食料を送り込んだ。そのなかにコンビーフの缶詰が大量にあり、被災者が食べておいしかったことから肉食へのタブーが薄れた。

コンビーフは船員のための特殊な保存食とされ、現在でも船員以外が食べるのは日本だけといわれる。角張った缶の形は、少しでも多く船に詰めるように工夫した結果だ。

日本人のやさしい生命観

日本人の生命観には独特のやさしさに満ちていた。たとえば、人に関わったさまざまな生き物を供養する碑や石仏が各地に残っている。「虫塚」は農薬のなかった時代には、追い払うしかできなかった害虫を供養して建てたものだ。農民にとっては憎んでも余りある害虫だが、その命を奪ったということで慰霊したのだ。害虫を追い払う「虫追い」は、かつて集落単位で全国的に行われた共同祈願のひとつだった。

人に尽くした動物を供養や慰霊する石碑や石仏は、各地に数多くある。「馬頭観世音」「犬頭観世音」は人のために働いた動物だ。

「豚頭観世音」「鶏霊供跪塔(くきとう)」「猪頭観世音」「鳥獣魚供養塔」「鹿供養塔」などは食用に供された動物だ。「犬猫供養碑」には、皮を三味線に張った邦楽関係者が建てたものもある。栃木県那須町には、将軍が鷹の生き餌として農民に採集させた昆虫の「螻蛄(オケラ)供養塔」がある。

鯨の供養

山口県長門市の青海島にある鯨塚(アフロ)

かつて捕鯨を生業にしていた漁村には、鯨を供養した墓が寺院に残されている。鯨墓(くじらばか)と呼ばれる日本独特の慣わしだ。最近、詩人の金子みすゞの足跡をたずねて山口県長門市の「長門くじら資料館」を訪れたとき、その近くの向岸寺にある鯨墓に心を打たれた。

鯨墓は漁師が母鯨を捕獲したときに、小鯨や胎児まで死なせてしまった憐みから建てられたといわれる。長門市の鯨墓には七十数頭が葬られた。捕鯨が世界的に停止された現在でも、お参りとお供えが絶えることがないという。

向岸寺には鯨墓だけでなく、鯨の位牌や鯨鯢(げいげい、雄雌の鯨のこと)の過去帖が保存されていて、242頭の鯨の戒名が捕獲年月日、場所、鯨組(捕鯨の漁民組織)などとともに記されている。鯨を人と同じように祀(まつ)っていた。

長門市仙崎は、かつて捕鯨の町であり日本の沿岸捕鯨を担った時代もあった。金子みすゞ(1903~30年)はこの町で生まれ26年の短い生涯の間に、数多くの詩を残した。代表的な詩に『鯨法会』(くじらほうえ)がある。鯨に感謝しながら生きていた日本人の気持が伝わってくる。法会とは供養のための僧侶や檀信徒の集まりである。

鯨法会は春のくれ / 海に飛魚採れるころ
浜のお寺で鳴る鐘が / ゆれて水面をわたるとき
村の漁師が羽織着て / 浜のお寺へいそぐとき
沖で鯨の子がひとり / その鳴る鐘をききながら
死んだ父さま、母さまを / こいし、こいしと泣いてます
海のおもてを鐘の音は / 海のどこまで、ひびくやら

日本各地に鯨を慰霊する碑がある。東京都の品川利田神社にある鯨塚の碑(アフロ)

人と自然の一体化

故中村禎里(ていり)・立正大学名誉教授は、『グリム童話集』では、人間が動物に変身するエピソードは67例あるのに対して、逆に動物が人間に変身するのはわずか6例しかない。他方、『日本昔話』では、人間が動物に変身するのは42例あるのに対し、動物から人間へは92例もあるという。

グリム童話では、変身には魔法の力が必要だが、日本の昔話では必要としない。こうした事実から分析して、日本では人間と動物の連続性があるのに対し、西洋の場合では人間と動物との関係性はなく、境界がはっきり区別されていると結論付けた。

日本では、タヌキが人に化けたり、ヤマトタケルが死後白鳥になったり、「ツルの恩返し」の民話のように、人と動物の間に優劣なく変身が行われる。ここには、自然との「一体感」「同一視」「統合観」といったものを大切にしてきた日本人の思想的な背景があるのかもしれない。

カラフト犬と動物観

日本人と動物の関わりを再認識する上で大きな事件が持ち上がった。第1次南極観測隊は1956年、タロ、ジロを含む22頭のカラフト犬とともに観測船「宗谷」で南極へ出発した。翌年、第2次越冬隊と入れ替わるはずが悪天候に阻まれて越冬を断念。15頭の犬を昭和基地に置き去りにせざるを得なくなった。

59年1月、第3次越冬隊のヘリコプターが、昭和基地に2頭の犬の生存を上空から確認した。発見した隊員から直接聞いた話では、野生化していて襲われるのではないかとはじめは怖くて近づけなかったという。

しかし、「タロ」と「ジロ」の兄弟と確認され、2頭だけが生き残っていたことも判明した。この生存のニュースは日本列島を感動の渦に包み込んだ。各地にカラフト犬の記念像が設置され、2頭をたたえる歌までつくられた。

「タロ」と「ジロ」が主人公の映画『南極物語』(蔵原惟繕監督)が83年に公開され、観客動員数は1200万人を超えて当時の日本の歴代興行成績の第1位を記録した。米国でもリメイクされた。

何が残虐か

当事者の隊員のひとり菊池徹が書いた『犬たちの南極』(中公文庫) には苦衷の叫びが記されている。置き去りが決まったとき、「宗谷」には多くの電報が届いた。「物言わぬ隊員を絶対に殺すな。万難を排して連れて帰れ」「犬の恩を忘れたのか。もし犬を残すなら隊員全員は帰るな」など犬の救助を訴えるものだった。

「置き去りにするくらいなら、安楽死させるべきだった」という批判もあった。とくに、欧米や、日本人でも海外生活が長かった人は、安楽死を支持した。実際には、最後まで安楽死を模索したが時間の制約でできなかったようだ。

しかし日本では安楽死に反対意見も多く、動物を「殺すこと」には抵抗感が強い。沖縄や小笠原諸島などで、島に取り残されて野生化したウサギやヤギ、ネコが爆発的に増えて、希少な動植物の生態系を侵すという問題が生じている。野性化した家畜などを駆除する際、「殺害」ではなく、「捕獲」して飼いつづけること要求する声が起きることが多い。

一方、欧米では死より苦痛を与えつづけることの方が罪、と考えられる。犬を置き去りにして餓死させるぐらいなら、安楽死させるべきだと考えるのだ。ガラパゴス諸島で繁殖していた外来動物のロバなどの駆除に立ち会ったことがあるが、情け容赦なく射殺していたのには、正直抵抗感があった。

動物愛護と殺処分

英国では1822年以降、動物虐待防止法をはじめとして、一連の動物保護法が成立した。ドイツでは1933年にナチスドイツが制定した動物保護法を今でも引き継いでいる。日本では73年に動物保護管理法(後の改正で動物愛護管理法)が議員立法で制定された。

日本と欧米諸国の動物愛護法の比較では、日本が後進国で欧米は先進国という図式が定着している。確かに、法制度や収容した動物の施設、ペットの管理能力、公共の交通機関への同乗などは、欧米の方が進んでいる。しかし、日本でも急速に改善されてきた。

たとえば、日本で保健所に持ち込まれて殺処分される犬猫の多さが、批判の的だった。しかし環境省によると、殺処分数は、74年には122万頭もあったのが、2015年には8万3000頭にまで急減した。引き取った犬猫が新たな飼い主に譲渡される割合も、この間に2パーセントから39パーセントに急増した。各国の殺処分数は、ドイツのゼロから英国の約7000頭、米国の約200万頭まで大きな差がある。

空前のペットブームだという。その背景には、少子高齢化やそれに伴う核家族化や独居化で、孤独や孤立、隔絶を深める人が増えていることがある。飼育の目的を「いやし」と答える人が過半数を超える。ペットはもはや愛玩動物ではなく、家族の一員、パートナーとして捉えられている。

しかし、飼い主もペットも高齢化して、だれが面倒をみるかという“老老介護”が問題になっている。2016年、動物愛護管理法の改正で最後まで責任をもつ「終生飼養」が努力義務として明文化された。老犬ホームも登場した一方で、飼いきれなくなった老飼い主が、密かに「解放」してしまう事例も増えている。「人と動物」の関係を考える上で、新たな難題が浮上している。

バナー写真=名古屋港ガーデンふ頭に永久係留されている南極観測船ふじの前に建てられた南極犬タロとジロの銅像(アフロ)

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  • [2017.06.20]

環境ジャーナリスト・環境学者。朝日新聞社編集委員を経て、国連環境計画(UNEP)上級顧問(ナイロビ、バンコク)、東京大学大学院教授、ザンビア特命全権大使、北海道大学大学院教授などを歴任。この間、国際協力機構(JICA)参与、東中欧環境センター理事(ブタペスト)、日本野鳥の会理事などを兼務。主著に『地球環境報告』『キリマンジャロの雪が消えていく』『名作の中の地球環境史』(岩波書店)、『私の地球遍歴―環境破壊の現場を求めて』(講談社)、『鉄条網の歴史』『感染症の世界史』(洋泉社)など。

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