シリーズ よみがえる日本の環境
野生動物の反乱(上)

石 弘之【Profile】

[2017.05.23]

このシリーズでは、絶滅の危機に瀕した野鳥の復活劇を伝えてきた。しかしその一方で、保護を優先するあまりに、増えすぎた野生動物が問題となっている。今回はシカに焦点を当てる。

シカへの恨み節

北海道の大学で教鞭(きょうべん)を執っていたときのことだ。同僚らと一杯やりながら「うまいソバが食べたい」という話題で盛り上がった。それなら、自分たちでソバをつくってとれたてを食べるのに限る、と衆議一決した。同僚のひとりが山小屋に空いた土地があるというので、そこを開墾することになった。

酒の席の勢いはどこへやら。口は動くが手は動かない先生方を叱咤激励(しったげきれい)して、手にマメをつくりながらやっと30坪ほどの畑を耕し、見よう見まねでタネをまいた。ときどき、「芽が出た」「花が咲いた」という報告があり、胸を膨らませていた。ついに、刈り取りの日がきた。ホームセンターで鎌を買い、張り切って現場に集合した。だが、畑を見ても何もない。きれいさっぱり消えている。

山小屋の見回りを頼んでいる近くの農家のご隠居さんがやってきて、「2、3日前の夜に数頭のシカがやってきて、うまそうに食ってたぞ」と、うれしそうだ。表情には「農家の苦労がわかっただろう」という「ザマミロ感」が浮かんでいる。正直言って悔しい。

農作物への被害

野生動物による農林業の被害が止まらない。農水省によると、2015年度の農作物の鳥獣被害は全都道府にわたっている。被害総額は176億円で前年度に比べると8パーセントほど減少したものの、依然として被害額は大きい。無申告の被害を含めれば、この何倍かになるという専門家もいる。

調査対象の17種の鳥獣のなかでも、被害額が飛び抜けて多いのは、シカの59億6100万円とイノシシの51億3300万円だ。次いでカラス、サルの順になる。過去10年間、イノシシの被害額はほとんど変わらないが、シカは5割も増えて依然として猛威を振るっている。

林野庁の15年度の「野生鳥獣による森林被害面積調査」では、野生動物による森林被害は全国で8000ヘクタールにおよぶ。そのうち77パーセントまでがシカによるものだ。人工林の場合は、大径木の樹皮が食べられ経済的な損失が大きい。栽培キノコ、タケノコなどの山菜にまで被害がおよんでいる。

生態系への影響

シカはほぼ全国に分布している。地域よって違いがあり、エゾシカ、ホンシュウジカ、ヤクシカなど7つの亜種に分類される。なかでも最大のものは北海道のエゾジカ。体重が140キロのエゾジカともなると、毎日2.5キロもの植物を食べる

春から夏にかけてのシカ(左)、秋から冬にかけてのシカ

シカの食害によって、森林景観や植物群落がすっかり変わった地域が全国に広がっている。北海道の知床半島、岩手県の五葉山、宮城県の金華山、栃木県の日光山系や尾瀬、神奈川県の丹沢山系、長野県の南アルプス、近畿地方の鈴鹿山脈・台高山脈・大峰山脈、奈良県の春日山、兵庫県の中央部や鹿児島県の屋久島など、挙げ出したらきりがない。環境省の調査では、全国の31の国立公園のうち20カ所が、シカの被害を受けている。

数年前に孫たちを連れて、尾瀬沼にニッコウキスゲを見にでかけたが、いつもは湿原をオレンジ色に染める花は一本残らずシカの餌食になっていた。最近ではミズバショウの茎や花までもシカのメニューに加わった。尾瀬に通いはじめて半世紀にもなるが、こんな光景に出くわすとは思ってもみなかった。

シカが高密度に生息している森林では、植生や落ち葉の層を食べつくすことで土壌がむき出しになり、雨が直接土壌を打ちつけることによって、急傾斜地では崖崩れ(山抜け)を引き起す。「日本の秘境100選」にも選ばれた吉野熊野国立公園の大台ヶ原でも、シカの食害で一面に枯れ木が広がり、土壌崩壊の跡があちこちで見られるようになった。

日本では、長崎県の対馬にのみ生息するシジミチョウの1種ツシマウラボシシジミは、食草のヌスビトハギがシカに食べられて幼虫が生息できなくなり、激減して17年に新たに「絶滅危惧種」に指定された。

一時は絶滅寸前

江戸時代には殺生肉食の禁止によってシカは守られたが、実際には食用にとどまらず、皮や角は武具、衣服、鹿革細工などの材料になった。それでもシカの生息数が大きく減るような事態にはならなかった。

エゾシカは明治初期には狩猟の標的にされ、1873〜78年に57万頭もが殺された。大量捕獲は明治政府が開拓の資金を稼ぐためで、皮とともに缶詰にされた肉も輸出された。さらに、79年の記録的な豪雪によって絶滅寸前まで追い込まれ、90年から1910年まで禁猟になった。その後も乱獲と禁猟が繰り返された。

人口増や開発の圧力で、野生動物はしだいに山奥へ追い詰められて、姿を見かけることも少なくなった。とくに、第二次世界大戦中から戦後にかけて乱獲が著しく、50年からオスのみが狩猟対象になった。北海道、岩手、長野など7道県では全面的に禁猟になった。

それでも生息数は回復せず、78年にはオスジカの捕獲数は1日1頭にまで制限された。1970〜80年代に北海道や東北の山を歩いていてシカを見かけると、当分の間は仲間内で自慢できたほど出会うことは稀だった。

しかし、90年ごろから爆発的に増えはじめた。10年ほど前に、世界遺産に登録された知床半島を夜間車で走っていて、200頭以上はいそうな大群に道を阻まれたのには仰天した。知床の一帯では、下草が消え樹皮をはぎ取られた樹木の枯死が目立っていた。とくにシカが好むイチイやキハダの幹には金網を巻いて樹皮を守っているほどだった。

北海道のエゾシカの生息数は約60万頭と推定され、全国のシカ被害の3分の2を占めるまでになった。街のなかにまで姿を現し、畑だけでなく庭に入り込んで庭木や花壇まで食べ荒らす。札幌市の中心街に近い北海道大学の構内で、立派な角の雄ジカを見かけたこともある。道内だけで、シカが関わる交通事故は年間約2000件も発生する。

道路ちかくまで群れでやってきたエゾジカ(北海道)=時事

強い繁殖力

シカは貪欲な動物で、人工林、天然林を問わず枝、葉、実まで、一部の有毒・有刺の種類を除いてほとんどすべての植物を食べる。植物の少ない厳冬期には、ササのほかに冬芽、落ち葉、樹皮を食べて生き延びる。シカの多い地域の森林を歩いていると、シカの口の届く高さまできれいに食べられ、オカッパ刈りにされた木が見られる。

環境省の実施する「自然環境保全基礎調査」の大型哺乳類の分布をみると、最初に調査が実施された1978年度から2014年度までの 36 年間で、シカの生息地域は約 2.5 倍に拡大した。とくに、北海道、東北地方、北陸地方で分布域が急速に拡大している。

毎年妊娠するので条件さえよければ爆発的に増える。自然増加率は年率15〜20パーセントと見積もられ、仮に15パーセントとしても単純計算で15年で10倍にも増える。

こんなエピソードが多産を物語る。北海道・洞爺湖の真ん中に「中島」とよばれる5.2平方キロメートルの小さな島がある。もともとシカのいないこの島に、1960年代にオス1頭、メス2頭が放された。その後、急激に増えて96年には452頭にまで増殖した。うっそうした樹木に被われていた島はシカに食い荒らされ、土壌はむき出しの状態になった。

84年冬には、極寒と食糧不足が重なって67頭が死んだ。しかし、その後ふたたび増加に転じた。主食だった草を食べ尽くして、落ち葉を食べるようになった。奥尻島でも、1870年代末に放された6頭が、約20年後に3000頭という凄まじい数に大繁殖した記録が残されている。その後、全頭が駆除された。

このままシカが増えつづけると、北海道全体が中島や奥尻島にようになるのでないかという不安が募っている。道庁は駆除のために、2014年に「北海道エゾシカ対策推進条例」制定した。

増加した理由

爆発的に増殖しはじめた原因は何なのか。さまざまな仮説が出された。「ハンターの減少説」はわかりやすいが、統計を調べてみると納得できない。1990〜2015年に狩猟免許保持者数(わな猟免許を含む)は3分の1も減ったのに、シカの捕獲数は6倍近くにもなった。檻や囲い込んだ柵におびき寄せて捕獲するわな猟が増えているためだ。

「温暖化による積雪の減少説」もある。以前は冬場に子ジカの死亡率が上がったが、積雪が減って移動が楽になって生き残れるようになったというのだ。しかし,雪が降らない地域には当てはまらない。北海道における研究では、 積雪量と個体数の間には明確な相関関係がなかった。

「天敵のオオカミの絶滅説」も支持者が多い。しかし、オオカミが絶滅したのは、北海道でも本州でも1900 年前後だ。オオカミの絶滅直後に、なぜシカは増加しなかったのだろうという疑問は残る。

エゾシカの個体数を抑制するために、日本オオカミ協会が中心となってオオカミの再導入が提案されている。米国のイエローストーン国立公園では、一度は絶滅したオオカミを95年にカナダから運んで放した。私もこの放獣に立ち会ったが、生態系を回復させたことは間違いない。ドイツやイタリアなど、シカの増加に悩む国々で再導入が議論されている。日本ではさまざまな制約があって難しそうだ。

拡大造林によるボーナス

シカが増えてきたのは捕獲制限による保護だけでなく、「拡大造林」にあったとする主張がある。1950年代から60年代にかけてのブナ科などの天然林を伐って人工林に置き換える「拡大造林」が全国的に進められた。天然林の4割以上が人工林に置き換えられた。

新たな植林地には食べやすい苗や若木が多く、しかも伐採後、林内の日照が増えて下草が茂るようになった。シカにとっては願ってもないボーナスである。もともと開けた森林や林縁を好むシカに、絶好な生息環境と餌を同時に与えたようなものだ。

拡大造林が縮小した70年以降、年間の植林面積は20分の1にも減った。人工林は良質の材をとるために、密植した木が育つのにつれ間引いたり、枝を落としたり、下草を刈ることが必要だ。64年に木材の輸入が全面自由化されるや木材価格が低落し、林業従事者が減って一段と過疎化が進んだ。

森林所有者の経営意欲も低下して、人手を要する森林管理がなおざりになった。拡大造林時代に植えたスギやヒノキは、植林後35〜50年が伐採適齢期(伐期)を迎えているのに、放置されたままのところが増えている。花粉症流行の原因にもなった。放置林は下草や低木や枝が繁茂して、シカに新たなボーナスを提供した。

保全生態学者の高槻成紀(せいき)氏は、森林における植林面積の減少に反比例するように牧場の面積が増えたことが、シカに新たな生息場所を与えたとみる。牧場の面積は、61年当時8万1000ヘクタールほどだったのが、80年以降は60万ヘクタールほどで推移している。確かに北海道では牧場に居候したシカの群れをよく見かける。栄養たっぷりでおいしい牧草は願ってもないごちそうだろう。

シカの食害を防ぐために白いネットが被せられた苗木。本州でもシカの被害は深刻だ。山梨県北杜市小淵沢町で(撮影:守屋喜彦、全日本写真連盟関東本部委員)

イラスト作成=井塚 剛
バナー画像=道路を横切るオスのエゾジカ(PIXTA)

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  • [2017.05.23]

環境ジャーナリスト・環境学者。朝日新聞社編集委員を経て、国連環境計画(UNEP)上級顧問(ナイロビ、バンコク)、東京大学大学院教授、ザンビア特命全権大使、北海道大学大学院教授などを歴任。この間、国際協力機構(JICA)参与、東中欧環境センター理事(ブタペスト)、日本野鳥の会理事などを兼務。主著に『地球環境報告』『キリマンジャロの雪が消えていく』『名作の中の地球環境史』(岩波書店)、『私の地球遍歴―環境破壊の現場を求めて』(講談社)、『鉄条網の歴史』『感染症の世界史』(洋泉社)など。

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