シリーズ Japan Data
尖閣を巡る日中のゲームとその背景を読む
[2014.11.14] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | Русский |

11月10日、北京で開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議で、安倍晋三首相と習近平国家主席は首脳会談を行った。2012年9月に日本が尖閣諸島を国有化して以来の関係修復である。いうまでもなく、ここまで尖閣問題が最大のハードルだった。この問題の取り扱いを巡りさまざまな綱引きが行われたようだ。解決したわけではなく、いずれ問題としてまた浮上してくるであろうから、今のうちにこれまでの経緯と係争点を復習してみよう。

日中首脳会談開催のための尖閣妥協

日中両国は首脳会談再開に向け水面下で交渉を続けていた。APEC開催の直前となる11月7日、日本外務省は、次のような声明を発表した。

「日中関係の改善に向け、これまで両国政府間で静かな話し合いを続けてきたが、今般、以下の諸点につき意見の一致をみた。

  1. 双方は、日中間の四つの基本文書の諸原則と精神を順守し、日中の戦略的互恵関係を引き続き発展させていくことを確認した。
  2. 双方は、歴史を直視し、未来に向かうという精神に従い、両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた。
  3. 双方は、尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた。
  4. 双方は、様々な多国間・二国間のチャンネルを活用して、政治・外交・安保対話を徐々に再開し、政治的相互信頼関係の構築に努めることにつき意見の一致をみた。」

マルチの国際会議に際して、ホスト国の首脳と会談を持つために、このような合意事項を文書にして公表するというのは珍しいが、「異常」というほどではない。

この着地点は何を意味しているのだろうか。日本に「歩み寄れ」と要求していた中国が納得したのだから、これは日本の妥協なのだろうが、どこがどう「歩み寄り」だったのだろうか。そもそも、なんでこの問題が両国関係をここまで緊張させるのだろうか。実は「尖閣諸島問題」をネタに、日中は別な軍事的なゲームを繰り広げているのである。「尖閣問題」は到底これで終わりではなく、今後も長く日中間の争点であり続ける可能性が高いと思われることから、とりあえず全体像を示しておこう。

島の概要――誰も興味を示さなかった無人の岩々

尖閣諸島は、沖縄本島の西約410キロメートル、石垣島の北約170キロメートル、台湾の西北西約170キロメートル、中国福建省海岸から約330キロメートルの東シナ海上にある群島。魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島、沖ノ北岩、沖ノ南岩、飛瀬などによって構成される沖縄県石垣市の島々を指す。総面積は5・17平方キロメートルで、ほとんどが岩場で人が居住するには適していない。

近代にいたるまで永続的な住民はおらず、国際法上の「無主地」であった。ただ日本名の魚釣島、中国名の釣魚台という名称にあるように、東シナ海の漁民にとって、その周辺海域は漁場として以前から認識されていたことは事実のようだ。

日本は1885年以降、これらの島々がいかなる国の支配下にもない「無主地」であることを再三確認調査し、国際法上の領有権取得の正当なルールに則り、1895年1月に正式に領土に編入した。日清戦争の結果、台湾、澎湖諸島の清からの割譲を決めた「下関条約」の締結はこの後の4月であり、尖閣諸島はこの条約の対象ではない。

日本政府は、1895年の領有化後、福岡県出身で沖縄在住の実業家、古賀辰四郎に魚釣島、北小島、南小島、久場島の4島を30年間無償貸与した。古賀は、鰹節工場などを建設。1940年まで居住者がいたが、その後、再び無人となった。

経緯――領土問題は突然降ってわいた

1943年12月のカイロ宣言で、英米中の3か国は「右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」の方針を打ち出し、45年のポツダム宣言でもこの方針は継承された。いうまでもなく、日本はポツダム宣言を受諾し、台湾、朝鮮などの海外領を手放した。

アメリカは、奄美諸島以西の南西諸島を日本本土と分離統治した。この段階で尖閣諸島は八重山群島政府さらに琉球政府の管轄下に含まれた。もちろん無人で、米軍の射爆場に使われたりしていた。このことに誰も疑義を感じはしなかった。無条件降伏、サンフランシスコ講和に際しても、日本領として扱われている。当時の文書等を見直すと、この段階では、中華人民共和国政府も、尖閣諸島を沖縄の一部と認識していたことがわかる。少なくとも中国が領有した歴史はどこにも存在しないのである。

そして1969年11月の佐藤=ニクソン会談で、沖縄返還が両国で正式に合意され、72年5月15日、本土復帰が実現した。当然、尖閣諸島も返還された。ところが、この期に及んでとんでもないところからイチャモンがついた。

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