シリーズ Japan Data
衆議院解散、総選挙
[2014.11.18] 他の言語で読む : ESPAÑOL | Русский |

2014年11月18日、安倍晋三首相は衆議院解散を決意した。議院内閣制の日本では首班指名の優越権を持つ衆議院の総選挙は、政権の選択を意味する。日本政治を動かす、解散と総選挙の歴史とメカニズムを解説する。

解散は首相の“専権事項”

衆議院の解散とは、衆議院議員の任期(4年)満了以前に、その全員の身分を失わせると同時に、新たな総選挙を行うようにすること。何のために総選挙をするかといえば、国民の意思を問うためである。

衆議院の解散は、天皇が行う国事行為に属するもの(憲法第7条3号)だが、内閣の助言と承認によって行われる形式的行為で、解散を実質的に決定する権限は内閣に存する。このため、解散は内閣総理大臣(首相)の専権事項といわれ、一般的には「首相の大権」とも、「伝家の宝刀」とも呼ばれている。

「7条解散」と「69条解散」

どのような場合に解散が行われるかだが、便宜的な意味合いから「7条解散」と「69条解散」がある。

「69条解散」とは、衆議院で内閣不信任決議案が可決されるか、内閣信任決議案が否決された場合に、内閣が総辞職ではなく解散を選択するケースをさす。

第69条は「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と定めている。

戦後の日本国憲法下で行われた衆院解散のうち、「69条解散」は、第1回「馴れ合い解散」(1948年)、第3回「バカヤロー解散」(53年)、第12回「ハプニング解散」(80年)、第16回「政治改革解散」(93年)の4回しかない。

「69条解散」以外の解散は、天皇の国事行為による「7条解散」と分類されている。ただし、69条が予定している場合の解散も、形式的には第7条3項により、天皇の行為として行われている。

任期満了選挙は、三木内閣時代の1回のみ

戦後行われた解散・総選挙は、今回を含め23回に上る。これ以外に任期満了選挙が1回ある。このうち、中選挙区で行われた総選挙が17回で、小選挙区比例代表並立制で行われたものが今回を含めると7回になる。

衆議院議員の任期4年を満了した選挙は、戦後ほぼ70年間の間でただの1回で、三木内閣(76年12月)の「ロッキード選挙」のみだ。このため、衆議院では、いつ解散があってもおかしくないことから、衆議院議員には「常在戦場」ということが1つの心構えとなっている。

また、戦後の解散の最短記録は、1954年の第1次鳩山一郎内閣時代の「天の声解散」で、国会での政府3演説に対する代表質問中に突然解散された。組閣から解散まで45日間という短さだった。

「話し合い解散」、「衆参ダブル選挙」解散は各1回

解散は本来、与野党の激しい対立の中で行われるが、戦後1回だけ「話し合い解散」が行われた。これは、第1次岸内閣(58年)時代で、岸信介首相は自民党内の基盤を固めるため、これに対する野党・社会党も党勢拡大期待から、58年4月に自社両党党首会談が行われ解散に合意した。

衆参ダブル選挙も戦後は1回だけ。第2次中曽根内閣時代(86年6月)で「死んだふり解散」と呼ばれた。第14回参議院選挙と同時に行われたもので、自民党は衆参両院で圧勝した。このため政界では政権維持を狙って、ことあるごとに「ダブル選挙」論が浮上する。

なお、「死んだふり解散」では、議長応接室で解散詔書が読み上げられるという突然の解散だったが、こうした虚を突いた電光石火の解散としては「抜き打ち解散」(第3次吉田内閣、52年)と自民党40日抗争に伴う「ハプニング解散」(第2次大平内閣、80年)がある。いずれも、議長応接室で解散詔書が読み上げられた。

“消費税”争点の解散は3回

消費税を焦点とする解散は過去3回で、第1次大平内閣(79年)の「一般消費税解散」、第1次海部内閣(90年)の「消費税解散」と第2次安倍内閣(2014年)での解散だ。

しかし、大平内閣は一般消費税導入に対する国民の反発で、総選挙に大敗する。海部内閣の「消費税解散」は実質的には、竹下内閣が導入しようとした「新型間接税」を問うものだったが、竹下登首相はリクルート事件(88年6月)の影響で退陣を余儀なくされたため、2代あとの海部内閣時代に「消費税導入」の是非を問う解散・総選挙となった。

安倍内閣は、消費税引き上げ延期を理由としており、過去2回の消費税解散とは性格を異にするといえよう。

記憶に新しい「郵政解散」と「政権選択解散」

解散は政権やその政策について信を問うものだが、極めて強い印象が残っているのが、第2次小泉内閣の「郵政解散」(2005年8月)だ。郵政事業民営化関連法案が参議院で否決されたことを受けたものだが、閣内に解散反対の閣僚がいたため、その閣僚を罷免して解散を閣議決定するという荒業を使わなければならなかった。

また、本格的な政権交代を実現した麻生内閣時代の「政権選択解散」(09年7月)も記憶に新しい。小選挙区比例代表制導入後行われた5回目の総選挙で、初めて与野党が逆転し民主党政権が誕生した。この時、麻生内閣は実質的な追い込まれ解散を強いられ、時間稼ぎもあり、解散から総選挙までの期間は憲法が定めた最長の40日間となった。

憲法第54条は、衆議院が解散されたとき、解散の日から40日以内に衆議院議員総選挙を行い、その選挙の日から30日以内に国会(特別国会)を召集しなければならないとしている。

解散最多は吉田首相の4回、2回解散の首相は5人のみ

歴代内閣で、最も解散が多いのは吉田内閣の4回で、このうち2回は内閣不信任案可決による「69条解散」だった。特に、53年2月末、吉田茂首相が国会答弁で「バカヤロー」と発言したことを契機に、内閣不信任案が可決されるという事態になり、有名な「バカヤロー解散」に発展した。

戦後の首相歴任者は安倍首相を含め33人に上るが、解散権を行使した首相は、今回の安倍首相を含め16人しかいない。また、3回解散した例はなく、2回解散した首相も、池田勇人、佐藤栄作、大平正芳、中曽根康弘、小泉純一郎の5人しかいない。このうち、大平首相以外は3年以上の長期政権を樹立している。長期政権を目指す安倍首相にとって、今回の解散はその手始めと言えるのかもしれない。

カバー写真=衆議院本会議場(提供・時事)

日本国憲法下における衆議院解散

日本国憲法施行後の解散回数 明治時代以来の選挙回数 解散の年月日 解散時の内閣 主な通称
  第22回 1945年12月18日 幣原内閣 終戦解散、GHQ解散
  第23回 1947年4月25日 第1次吉田内閣 新憲法解散、第2次GHQ解散
1 第24回 1948年12月23日 第2次吉田内閣 馴れ合い解散
2 第25回 1952年8月28日 第3次吉田内閣 抜き打ち解散
3 第26回 1953年3月14日 第4次吉田内閣 バカヤロー解散
4 第27回 1955年1月24日 第1次鳩山内閣 天の声解散
5 第28回 1958年4月25日 第1次岸内閣 話し合い解散
6 第29回 1960年10月24日 第1次池田内閣 安保解散
7 第30回 1963年10月23日 第2次池田内閣 所得倍増解散、予告解散
8 第31回 1966年12月27日 第1次佐藤内閣 黒い霧解散
9 第32回 1969年12月2日 第2次佐藤内閣 沖縄解散
10 第33回 1972年11月13日 第1次田中内閣 日中解散
第34回 (1976年12月9日
任期満了) 
三木内閣 ロッキード解散、ロッキード選挙
11 第35回 1979年9月7日 第1次大平内閣 増税解散、一般消費税解散
12 第36回 1980年5月19日 第2次大平内閣 ハプニング解散
13 第37回 1983年11月28日 第1次中曽根内閣 田中判決解散]
14 第38回 1986年6月2日 第2次中曽根内閣 死んだふり解散
15 第39回 1990年1月24日 第1次海部内閣 消費税解散
16 第40回 1993年6月18日 宮澤内閣 嘘つき解散、政治改革解散
17 第41回 1996年9月27日 第1次橋本内閣 小選挙区解散、新選挙制度解散
18 第42回 2000年6月2日 第1次森内閣 神の国解散、ミレニアム解散
19 第43回 2003年10月10日 第1次小泉内閣 マニフェスト解散、構造改革解散
20 第44回 2005年8月8日 第2次小泉内閣 郵政解散
21 第45回 2009年7月21日 麻生内閣 政権選択解散
22 第46回 2012年11月16日 野田内閣 近いうち解散
23 第47回 2014年11月21日(予定) 第2次安倍内閣

(2014年11月19日追補)

この記事につけられたタグ:
  • [2014.11.18]
関連記事
このシリーズの他の記事

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • シンポジウム報告