日米民間交流の先駆者、山本正さんの死を悼む

野田佳彦首相の4月末の米国公式訪問は、民主党政権で初めて、しかも日米共同声明発表は2006年以来6年ぶりだった。成果として「日米同盟の深化」を確認したが、6年という空白は最近の日米関係のギクシャクぶりを改めて印象づけたともいえる。

日米財界人の民間交流に尽力

こうした中、国際民間交流、とりわけ日米の民間政策対話に貢献した山本正さんがそれより2週間前の4月15日に死去された。山本さんは日米財界人の民間交流に尽力され、1970年に日本国際交流センターを設立、理事長として日米関係民間会議(下田会議)、日英21世紀委員会、日韓フォーラムなどの運営に当たられ、大きな功績を残された方だった。

朝日新聞の船橋洋一前本社主筆は、哀悼文で山本さんを「アジアのジャン・モネ」と讃えた。日米の懸け橋であることはもちろん、山本さんがアジアにおけるジャン・モネ(欧州統合生みの親)のように実務的想像力を武器に、多くの国々との知的な交流を仕掛け、夢をビジョンに変えたと高く評価した。

対外発信を、しかも多言語で行う「nippon.com」としては、こうした偉大な先人が亡くなられたことに対し深く哀悼の意を表するともに、今こそ国際交流の大事さを肝に銘じなければならないと考えている。

葬儀は、東京・四谷の聖イグナチオ教会で、多くの政治家、財界人、学者、知識人、ジャーナリストに囲まれ行われた。その交友の広がりと深さは、長い努力の積み重ねであることを如実に物語るものだった。お別れの挨拶をされた小林陽太郎・富士ゼロックス相談役最高顧問、ジェラルド・カーティス米コロンビア大教授の物静かな弔辞、しかし語りつくせない交友関係のエピソードの中で、今日、日米が抱えている問題、すなわち相互理解と問題解決への実践の大事さが改めて浮き彫りにされたといえる。

一般財団法人ニッポンドットコムの前身である株式会社ジャパンエコー社は、下田会議などいくつかの局面で山本さんの仕事を手伝わせていただくとともに、いろいろなご教授をいただいた。厚くお礼を申し上げるとともに、国際交流、異文化交流に尽力していくことへの思いを新たにした。