壮観!「始皇帝と大兵馬俑」展が開幕=2011年からの日中双方の苦労実る

文化

約1年間にわたって日本各地を巡回する特別展「始皇帝と大兵馬俑」が10月27日東京・上野の東京国立博物館(東博)で開幕した。紀元前221年初めて中国を統一した秦の始皇帝の陵墓からの出土品を紹介する特別展示としては国内最大級の規模で、世界遺産にも指定された中国陝西省の現地から選りすぐった陶製の兵馬俑(陶製の兵や馬の像)10体とレプリカ(複製)70体、さらに2両同時の展示が珍しい銅車馬(始皇帝が乗ったとみられる青銅製の馬車の模型)など陝西省西安郊外の始皇帝陵周辺から出土した副葬品が多数展示される。

東博では「秦の始皇帝の陵墓は当時彼が支配した秩序そのままに世界を丸ごと再現しようとしたのではないか」(川村佳男主任研究員)と考え、計2万平方メートルを越える発掘現場の迫力を感じられるような展示に努めている。

同展は東博(2016年2月21日まで)を皮切りに、九州国立博物館(2016年3月15日~6月12日)、国立国際美術館(NAMO、同年7月5日~10月2日)を巡回する。

中国側担当者の畢勝・陝西省文物交流中心副センター長は今年3月、西安での日中双方による調印式を伝える現地報道の中で、2011年から計画してきた同展の調印式までを振り返り、「成功に対する大きな期待を述べるとともに、双方の職員の努力と苦労に対して真摯(しんし)に感謝の意を示した」と「苦難の道のり」を語った。日本側関係者からも「国外への持ち出し制限が厳しく世界中から貸し出し依頼が殺到する中で、最大限の努力をしていただいた」と日本での展示実現に対する中国側の熱意に感謝する声が挙がっている。特別展実現までには東日本大震災、福島原発事故から始まって、尖閣諸島をめぐる日中関係の悪化などがあり、他の特別展以上に多くの困難があったことは想像に難くない。

軍団・兵馬俑が勢ぞろい

展示の中で東博が特に心を砕いたのは実際の発掘現場・兵馬俑坑の迫力を再現することだった。

展覧会会場内部

東博の展示会場では、始皇帝のイメージを描いた大きな図版の前を通り、さらにその霊を運ぶ銅車馬2両が展示された展示室を抜けると、テラス上の参観者を見上げるように計80体の将軍、射手、軍吏、騎兵、歩兵らの軍団および雑技の演者とみられる「俑」(従者、兵士などの人形)がずらりと並ぶ「群像」が登場する。将軍に率いられた射手らの背景にさらに発掘現場と同じように土の中で立ち並ぶ軍団が続く様子は壮観だ。

兵馬俑は計約8000体あるとされるが、まだ地下宮殿とされる始皇帝自身の墓の発掘には着手しておらずその全貌はなぞに包まれている。陝西省では体育館のような大規模な展示スペースに軍団がずらりと立ち並ぶが、今回の展示では現地に行かずともその威容の片鱗に触れ歴史のロマンに思いを馳せることができる。

そして始皇帝気分で軍団を一望したテラスから一歩フロアに降り立つと、将軍をはじめそれぞれの兵馬俑の細部、兵士の足裏の模様まで至近距離で鮮明に見ることができる。

群像としての一体感と同時に苦心されたのが「展示物の安全を第一に考えながらも、一体一体をじっくりと鑑賞いただくこと」(川村主任研究員)だった。

安全面では、東日本大震災直後に日本に来ていた中国人留学生が一斉に帰国した時、放射能に続く中国側の大きな懸念材料は余震を含む日本の地震の多さだった。今回の展示に際しては地震が発生しても絶対に倒れない安全性を確保するため関係者が打ち合わせを重ねたという。

始皇帝の「夢」とは

兵馬俑という言葉は1974年に発見された当初の遺跡が等身大に近い兵士や馬の像で占められていたことから名づけられ今日に至るが、「20世紀最大の考古学的発見」とされる始皇帝の陵墓付近の出土物は軍団あるいは等身大の像にとどまらずその大きさも種類も非常に幅広い。

始皇帝の霊を運ぶ銅馬車

今特別展の目玉の一つ、青銅製の銅車馬(複製)は座席の天井部まで龍と見られる動物文様や金・銀製の精密な細工を施した馬車で実物の半分程度(1号銅車馬は高さ150cm長さ225cm)とみられる。軍団以外では、破損が激しくどんな役割を担っていたのか確認されていないが、将軍と同様に出土数が少ないため貸し出しが極めて難しい雑技俑という「なぞの巨漢」や青銅製の水鳥なども展示されている。

「なぞの巨漢 雑技俑」

いずれも2200年の歳月と土中の厳しい保存環境により色落ちしてしまっているが、今回展示された複製の馬車は製造時の華やかな彩色をうかがわせる塗料の跡まで再現されている。兵馬俑が出土した3カ所、計2万平方メートルという広大な発掘地(遺構)もあくまで始皇帝陵に伴う約200基もの地下施設の一部に過ぎない。

広大な中国を初めて統一し度量衡を統一するなど大きな業績を上げた偉大な皇帝の墓にしてもあまりに並外れた規模だけに「始皇帝は一体何をしようとしたのか」と現代人の好奇心を刺激してくれる。

検証はまだこれからだが、歴史書の記録によると、その陵墓中央部の地下はただの穴ではなく大きな地下空間を持ち、水銀をふんだんに用いて海、川、さらには天井には星や空を表現していた。「森羅万象を写し、そこに自分が中心だという秩序をも持ち込もうとした」(川村主任研究員)と考えられる。

土壌調査の結果では、土中を上昇してくる性質のある水銀が陵墓遺跡の中央部で特に多く検出されているという。

主催=東京国立博物館、陝西省文物局、陝西省文物交流中心、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社。 カバー写真=東京国立博物館に再現された始皇帝陵・兵馬俑坑 執筆=三木孝治郎・nippon.com編集部