“地殻変動”必至の消費税政局はまだ始まったばかり

政治・外交

「野党自民党」2度目の協力

消費増税法(「社会保障と税の一体改革」関連法)の成否を決めた最後の分岐点は、言うまでもなく8月8日の野田佳彦首相と自民党の谷垣禎一総裁によるトップ会談。そこで野田首相が発した「近いうちに信を問う」との一言で谷垣氏は矛を収めたのは周知の通りだ。この会談と二重写しになる光景が過去にもあった。1994年1月の政治改革関連法をめぐる当時の細川護煕首相と自民党の河野洋平総裁とのトップ会談だ。政治改革関連法は衆院で可決、通過したものの参議院本会議の採決で当時の社会党から造反者が出て否決され、廃案寸前までいった。局面打開のために設定された細川・河野会談で妥協が成立、現行の衆議院の小選挙区比例代表並立制が導入されたのである。今回の消費増税法も政治改革法のいずれも「野党自民党」の協力によって成立したことも2つの会談の類似性を際立たせた。

「政治改革法」にまさる破壊力

そして次の焦点は法律成立後の政局展開に移った。細川政権は皮肉にも政治改革法の成立とともに一気に求心力を失った。「政治改革政権」という7党1会派を糾合させた大義名分が改革実現とともに消えたからだった。それからわずか3カ月後の1994年4月に細川政権はあっけなく瓦解(がかい)した。「寄せ木細工」と呼ばれた政権の宿命とも言えたが、自民党が救いの手を差し伸べなければ、政権の目標を失うことなく細川政権はむしろ継続した可能性が高かったのではないか。

これに対して今回の消費増税法の成立はどうか。むしろ政治改革法を超える「破壊力」があるのではないか。法案の制定過程で与野党双方に「地殻変動」を誘発させたことがその破壊力の大きさを証明している。

野田首相が最初に消費税率アップを明言したのは2011年11月にフランスのカンヌで開かれた20カ国・地域(G20)首脳会合。首相はここで「2010年代半ばまでに消費税率を段階的に10%に引き上げる」との「国際公約」を表明した。さらに同行記者団との懇談取材の場で「国民に信を問うなら、法案が通って(増税)の実施前にある」と述べ、衆院解散までの具体的スケジュールまで示したのである。

カンヌ発言は首相就任からわずか約2カ月しかたっていない時点だった。当然のことだが党内には反対論が噴出した。これ以降、政策的な反発と党内の小沢一郎元代表を中心にした激しい主導権争いが絡み合う展開に発展していく。まず年末の法案の大綱素案の党内議論を開始した段階で9人が強い抗議の意を示して民主党を離党、年が明けて「新党きづな」を結成した。これが民主党溶解の始まりだった。

自民に「SOS」を出すしかなかった野田首相

そして3月末の法案の閣議決定時に2009年の政権交代から連立を組んでいた国民新党の亀井静香代表(当時)が連立離脱を通告した。結果として亀井氏が代表の座を追われ、国民新党は与党にとどまったが連立政権は大きく変質した。小沢氏も閣議決定に合わせて小沢グループの議員に対して政府と党の役職からの辞任を求め、首相との対立は抜き差しならない段階に入った。

消費増税法案の採決は内閣不信任案の賛否と同等の意味を帯びてきたのもこの頃だ。加えて2010年参院選の結果で生じた「衆参ねじれ国会」を考慮すれば、首相に残された手立ては自民党に「SOS」を出すしかなかった。この間に介在したのが悲願成就にすべてのエネルギーを傾注した財務省だった。谷垣氏も財務相経験者だったことも大きかったが、森喜朗元首相、議員引退後も隠然たる影響力を保持する元自民党参院議員会長の青木幹雄氏、古賀誠元幹事長ら実力者たちが首相をサポートした。

こうして小沢氏が「どうせできもしない」と見ていた「民自公3党合意」が成立した。そして政府案は修正されて6月26日の衆院本会議での採決の日を迎える。小沢氏は後に引けず、さらに小沢氏とともに反野田・反消費増税を訴えてきた鳩山由紀夫元首相らが反対するなど大量の造反議員が生まれた。実に反対票を投じた民主党議員は57人。このほか原口一博元総務相ら16人が棄権もしくは欠席した。衆院の造反は参院にも波及、離党者が相次いだ。政権交代以来、民主党を離党、あるいは辞職した議員は82人を数える。小沢氏が結成した新党「国民の生活が第一」をはじめ、他にも小さな議員集団が続出したがなおかつ民主党内には「離党予備軍」が残ったままだ。もはや政権交代時の民主党は消費増税法の成立とともに消え去ったと言っていいだろう。

保守再生に動く7人衆

一方の自民党も「民主党分裂」には奏功したものの無傷ではなかった。3党合意を主導したベテラン議員らはいずれも小泉純一郎政権以降、党運営の実権を失い非主流派に甘んじてきた勢力。つまり、自民党内でも権力の移行がこの間に進行していたのである。こうした旧勢力の復権に伴う「民自公路線」に反発するのが「保守の再結集」を目指す安倍晋三元首相らのグループだ。「国民の生活が第一」など中小野党が提出した野田内閣不信任案の採決をめぐって執行部の方針だった「欠席」に反して、本会議出席の上、賛成票を投じた「造反議員」が7人いた。この顔ぶれの最大の特徴は安倍政権を支えた政治家たちだったことだ。中川秀直自民党幹事長、塩崎恭久官房長官、菅義偉総務相(いずれも当時)。そして小泉氏の次男、進次郎氏だ。菅氏が9月の自民党総裁選に安倍氏擁立に動くのもこうした背景がある。

政治改革をめぐっては、まず自民党分裂劇から細川連立政権の樹立に向けたベクトルが働いた。消費増税は与党だけでなく野党内にも深刻な亀裂を生み、政界全体を散乱状態に陥れた。しかも橋下徹・大阪市長の「大阪維新の会」にみられる第三極の台頭もあり、政治がどこに向かって収束するのかその片鱗(へんりん)すら見えてこない。消費税政局はまだ始まったばかりなのである。

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