動き出した安倍戦略外交「三本の矢」

政治・外交

首相・安倍晋三の祖父・岸信介(首相1957年2月~60年7月)は1957年5月、首相就任後初の外遊に東南アジアを選んだ。岸は早くから首相として訪米を考えていたが、実際、訪米に先立って東南アジア諸国を歴訪する。狙いは何だったのか。その時、岸が描いていた戦略シナリオは、不平等条約と言われた日米安全保障条約の改定。究極的に目指したのは、憲法改正、そして「日本の自立」であった。

アジアを起点とした安倍戦略外交

その手始めとなる旅(ビルマ、インド、パキスタン、セイロン、タイ、台湾)では、「孤立した日本ということでなしに、アジアを代表する日本」(文藝春秋「岸信介の回想」)を日本国の総理自身が身を持って内外に発信し、戦勝国・米国に印象付けようとした。帰国した岸は、同年6月に訪米、11月には再び東南アジア(南ベトナム、カンボジア、ラオス、マレーシア、シンガポール、インドネシア、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン)を歴訪した。

2012年12月の衆院選挙に突入する前、安倍周辺には東南アジア歴訪―訪米という外遊シナリオもあったが、「やはり最初は訪米でしょう」という主張がまさり、「1月訪米」案が一時動き出した。

しかし、再選された米大統領バラク・オバマの政治日程との調整がつかず、「1月訪米」案はあっさり消えた。実現していれば、1月のアジア外交は麻生太郎(副総理兼財務・金融相)と岸田文雄(外相)の二人でカバーすることになっていたが、首相の東南アジア訪問シナリオが再浮上、結果的にアジアを起点とした安倍戦略外交に厚みが増した。

首相は1月に、まずベトナム、タイ、インドネシアを歴訪、その1ヵ月後、ワシントンに飛んだ。12月には、東京で、日本・ASEAN(東南アジア諸国連合)サミットが開催される。

TPP交渉への参加表明

安倍首相とオバマ米大統領の初の日米首脳会談は2月22日(米東部時間)、ホワイトハウスで行われた。会談終了後、首相は「日米同盟の絆は完全復活した」と高らかに宣言した。日米両国にとって悪夢の始まりは2009年9月の政権交代だったが、今回の安倍・オバマ会談によって、ようやく日米同盟の原点が改めて確認された。

また、両首脳は「環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)」の交渉参加に関連した共同声明を発表した。「TPP交渉参加に際し、一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではない」。これを受けて、首相は事実上、TPP交渉への参加意向を表明した。

TPPには二つの顔がある。一つは純粋経済政策としての顔、もう一つは安保外交戦略としての顔である。米国がTPPに参加したのは、国内経済復活と絡めて“世界の成長センター”と見るアジアへの参入を目指す狙いとともに、安全保障上の「リバランス」政策と深い関係がある。オバマ政権が誕生後、早々に打ち出した米国の「アジア回帰」への重要な柱である。アジアに対する米国パワーの影響力を可能な限り食い止めたい中国の目からすれば、米国がイニシアティブを取るTPPは中国包囲網のように映る。

安倍のTPP参加構想には、岸の「新アジア主義」と相通じるような戦略的発想が感じられる。

安倍外交の“影の主役”は中国

1、2月に展開した安倍首脳外交を総括すれば、首相・安倍は国家戦略に不可欠な三つのピース(pieces)―<アジア><日米同盟><TPP>を手に入れたことになる。これは、安保外交戦略の「三本の矢」と呼べるかもしれない。

日中関係の修復のタイミングが「いまだ見通せない」(内閣参与・谷内正太郎)中で、日本外交は今後、これら3つのピースに磨きをかけなければならない。その一方で、中国を意識した他国との戦略外交を積極的に展開することになるだろう。具体的には4月末に予定しているロシア訪問。中国と間に世界で2番目に長い国境線を有するロシアとの関係緊密化を探る。

安倍戦略外交の「影の主役」はあくまで巨大国家・中国である。

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