2016年に逝った人たち
[2016.12.29] 他の言語で読む : ENGLISH |

蜷川幸雄さん、永六輔さん、田部井淳子さん、三笠宮崇仁さま…。この1年に亡くなった著名人の足跡を振り返る。

2月1日

京極純一さん(92)=政治学者

統計的な手法や計量分析などをいち早く取り入れて選挙の投票行動、世論の動向などを実証的に分析し、戦後日本の政治構造を考察した先駆的存在。主著の『日本の政治』(東京大学出版会、1983年)では、「建前と本音」や「ウチとソト」、「義理と人情」など、相反する行動基準を他者との関係において使い分ける日本人とその政治意識、政治文化を論じ、ベストセラーとなった。東京大学法学部教授、千葉大学法経学部教授のほか、1988年から92年まで東京女子大学学長を務めた。

2月18日

津島祐子さん(68)=作家

家族や人間の生死など根源的なテーマに『火の山―山猿記』『笑いオオカミ』『光の領分』など数多くの小説を発表。作品は英語、フランス語、中国語、アラビア語などにも翻訳され、国際的にも高い評価を受けた。本名は津島里子(さとこ)。作家・太宰治(本名・津島修治)の次女。1歳の時に太宰が自殺。白百合女子大在学中から小説を発表し、同学年の中上健次氏(1946-92)と同人誌「文芸首都」で切磋琢磨(せっさたくま)した。1978年、想像妊娠する女性の孤独を描いた『寵児(ちょうじ)』で女流文学賞を受賞し、作家としての地位を確立した。

3月13日

上田正昭さん(88)=古代史学者

朝鮮半島や中国との関係を重視し、東アジア全体を捉えながら日本古代史を分析。古代王権の政治制度や神話の研究に取り組み、業績を残した。朝鮮半島から渡ってきた「帰化人」という用語について疑問を呈し、「渡来人」を定着させるきっかけになったことでも知られる。1990年にはアジア史学会の設立に参加、同学会会長を務めた。京都大学名誉教授。

3月19日

夏樹静子さん(77)=ミステリー作家

日本の女性推理小説家の草分けで『蒸発』『Wの悲劇』など数々の秀作を世に出した。海外でも評価が高く、1989年には『第三の女』でフランス犯罪小説大賞(ロマン・アバンチュール大賞)を受賞したほか、中国語にも作品が翻訳されている。本名・出光静子。1938年、東京生まれ。慶應大学文学部在学中に書いた長編が江戸川乱歩賞候補になったが、本格的な作家デビューは結婚後の70年だった。73年、『蒸発』で日本推理作家協会賞を受賞。単行本は100冊を超え、2007年には女性として初めて日本ミステリー文学大賞に輝いた。

4月10日

山岸章さん(86)=元連合会長

総評、同盟など労働4団体が統一し、1989年に発足した「連合」(日本労働組合総連合会)の初代会長。非自民が結集し、「55年体制」を崩壊させた93年の細川連立政権発足の“仕掛け人”として小沢一郎・新生党代表幹事(現・自由党代表)と連携するなど、政界に一時大きな影響力を持った。1929年、大阪市生まれ。戦後、郵便局の電信係として採用された後、労働運動一筋の人生を歩んだ。82年に全電通(現NTT労組)委員長に就任し、電電公社の民営化に激しく反対。非自民を貫くとともに、共産党系、社会党左派の労組と激しく対立した。

5月5日

冨田勲さん(84)=作曲家、シンセサイザー奏者

1971年に米国で開発されたばかりのモーグ・シンセサイザーを日本に初めて輸入。74年に演奏・録音を全て一人で手掛けたアルバム「月の光」が米国で反響を呼び、日本人として初めてグラミー賞4部門にノミネート。以降「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」などのクラシックの名曲を独特のシンセサイザー音楽に仕立てて世に出し、世界的なヒットを記録した。1932年、東京生まれ。慶應義塾大学在学中に作曲の道に進んだ。1960年代には手塚治虫のテレビアニメ「ジャングル大帝」「リボンの騎士」の音楽を担当。2012年には宮沢賢治の世界を題材に、ボーカロイドの初音ミクを起用した「イーハトーヴ交響曲」を発表して話題を呼んだ。

5月12日

蜷川幸雄さん(80)=演出家

蜷川幸雄さん=2001年10月撮影(時事)

現代日本を代表する演出家の一人。シェークスピア劇などで高い評価を受け、海外公演も多く重ねて活躍した。1935年、埼玉県川口市生まれ。開成高校を卒業、東京芸術大学を受験したが失敗し、俳優の道を進んだ。演出家に転じてから、当初はアングラ・小劇場で若者層を中心に人気を集めた。74年、日生劇場での「ロミオとジュリエット」で大劇場に活動の場を移し、83年にギリシャ悲劇「王女メディア」のアテネ公演が成功。99年には英ロイヤル・シェークスピア劇団の演出家として「リア王」を日英両国で長期公演した。代表作はほかに「NINAGAWAマクベス」「近松心中物語」「テンペスト」など。

6月20日

長谷川五郎さん(83)=ゲームの「オセロ」考案者

世界中に広まった卓上ゲーム「オセロ」の考案者。日本オセロ連盟の会長として、2006年と16年に水戸市で行われた世界オセロ選手権大会開催に尽力した。1932年生まれ。旧制中学時代に碁石を用いた「挟み碁」を考案し、その後に取った石の白黒を反転させるようにルールを改良。製薬会社の営業職をしながら自作のオセロを披露していたところ顧客に評価され、玩具メーカーに商品化を提案した。登録商標された「オセロ」は1973年に発売され、大ヒットした。

6月21日

鳩山邦夫さん(67)=元総務相、法相

祖父が鳩山一郎元首相、父が鳩山威一郎元外相という政治家一家に生まれ、兄の由紀夫氏(元首相)とともに政界で活躍した。衆議院で当選13回。第1次安倍、福田両政権で法相、麻生政権で総務相を務めたほか、文相、労相も歴任したベテランだが、十二指腸潰瘍で病に倒れた。1948年、東京生まれ。東京大学法学部卒業後、田中角栄元首相秘書などを経て、76年衆院選で初当選。93年に自民党を離党し、旧新進党、旧民主党を経て2000年に自民党に復党。旧民主党政権誕生の10年に再び党を離れたが、12年衆院戦は自民党の推薦を得て当選、復党した。

7月7日

永六輔さん(83)=放送作家、タレント

テレビの創成期から放送作家、司会者、タレント、市民運動家としてマルチな才能を発揮。作詞家として、1963年に全米チャート1位を記録した坂本九の「上を向いて歩こう」、「こんにちわ赤ちゃん」「見上げてごらん夜の星を」などの名曲を世に出した。1933年、東京生まれ。実家は浅草のお寺で、早稲田大学在学中に三木鶏郎に才能を見出されて放送作家としてデビューした。60年代からは長くラジオパーソナリティとして活躍。94年には老いや死を巡る名言を集めたエッセイ『大往生』を発表し、200万部を超えるベストセラーとなった。

7月18日

大橋巨泉さん(82)=テレビ司会者、タレント

1960年代から80年代にかけ、「11PM」「巨泉×前武 ゲバゲバ90分」「クイズダービー」などの高視聴率番組で司会を担当。「はっぱふみふみ」などの流行語を生みだしたほか、競馬評論家としても活躍した。1934年、東京生まれ。本名・大橋克巳。早稲田大学中退後、ジャズ評論家、放送作家を経て、66年に深夜番組「11PM」の司会者に。テレビにギャンブルとお色気を持ちこみ、成功した。90年に56歳で「セミリタイア」宣言をし、レギュラー番組を降板。2001年の参院選に民主党比例代表候補として出馬し、当選したが、直後に起きた米中枢同時テロの対応を巡って党と対立。わずか半年で議員を辞職した。

7月26日

中村紘子さん(72)=ピアニスト

デビュー50周年を迎え、記者会見する中村紘子さん=2009年4月2日、東京・ホテルオークラ(時事)

国際的に活躍した、日本を代表するピアニスト。チャイコフスキー国際コンクールやショパン国際ピアノコンクールの審査員を務めたほか、文筆家としても活躍した。1944年生まれ。3歳からピアノを習い、史上最年少の15歳で日本音楽コンクール1位を獲得する。60年にはNHK交響楽団の世界一周公演でソリストに抜てきされ、65年にはショパン国際ピアノコンクールで第4位入賞と最年少者賞を合わせて受賞した。ショパンの楽曲を得意とし、私生活では74年に芥川賞作家の庄司薫氏と結婚した。

7月31日

元横綱・千代の富士、秋元貢さん(61)

大相撲で通算31回の優勝を果たした“昭和の大横綱”。小柄ながら大型力士に真っ向勝負を挑み、「ウルフ」の愛称で親しまれた。角界で初めて、1989年に国民栄誉賞を受けた。1955年、北海道生まれ。同郷だった当時の九重親方(元・千代の山)にスカウトされ、70年に初土俵を踏んだ。81年初場所で初優勝。同年の名古屋場所後に第58代横綱となり、91年5月に引退するまで10年間横綱を務めた。生涯通算1045勝。引退後は陣幕親方を名乗った後、九重親方として後進の指導に当たった。

9月9日

加藤紘一さん(77)=元自民党幹事長

自民党の伝統ある派閥、宏池会の「プリンス」と呼ばれ、リベラル派の政治家として活躍。小泉純一郎元首相、山崎拓元自民党副総裁との盟友関係は「YKK」と称され、1990年代の政界で存在感を示した。1939年生まれ。父は内務官僚。外交官から転身し、72年の衆院選で旧山形2区から出馬し初当選。大平内閣の官房副長官、宮沢内閣の官房長官を務め、95年に党幹事長。98年には宏池会会長に就任し、派閥を率いた。2000年の「加藤の乱」では、野党提出の森喜朗内閣に対する不信任案に賛成を呼び掛けたが失敗。宏池会は分裂し、事実上失脚した。

10月20日

平尾誠二さん(53)=ラグビー元日本代表主将、監督

1980~90年代のラグビー日本代表の“司令塔”であり、スター選手。強烈なカリスマ性でチームをけん引し、34歳で引退直後に代表監督に就任。「ミスター・ラグビー」と呼ばれたが、若くして胆管がんで世を去った。1963年京都市生まれ、中学でラグビーを始め、京都・伏見工3年時に全国制覇。同志社大学で史上初の大学選手権3連覇、神戸製鋼で日本選手権7連覇と、常に日の当たる道を歩み続けた。W杯には3大会連続で出場。代表監督としては99年、ウェールズでのW杯で指揮をとった。

10月20日

田部井淳子さん(77)=登山家

1975年に女性で初めて世界最高峰のエベレスト(8848メートル)に登頂。キリマンジャロ(85年)マッキンリー(88年)などを次々と登頂し、92年に女性初の7大陸最高峰登頂者となった。登山普及のための著作を続けたほか、エベレストのごみ問題をテーマに九州大大学院で研究して修士号を取得。山岳環境保護の活動に取り組んだ。1939年、福島県生まれ。大学卒業後、社会人の山岳会で本格的に登山を始め、69年に女子登攀(とうはん)クラブを設立。エベレストには日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長として参加。35歳での登頂は「3歳の娘を持つママの快挙」として注目を集めた。

女性として世界で初めてエベレスト(チョモランマ)登頂に成功。帰国し、出迎えの娘を抱える田部井淳子さん(中央)=1975年6月20日、東京・羽田空港(時事)

10月27日

三笠宮崇仁さま(100)

昭和天皇の末弟、天皇陛下の叔父として、長く皇室を支えた。古代オリエント史の研究者としても知られ、東京女子大学などで教壇に立った。1915年12月2日、大正天皇の4男として誕生。35年に三笠宮家を創立。戦時中は支那派遣軍参謀、大本営陸軍参謀を歴任した。歴史学者の立場から、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で廃止された紀元節復活の動きに反対したほか、戦争末期の44年に陸軍を批判した文書が後に見つかり、反響を呼んだ。百合子妃との間に5人のお子様を授かったが、長男の寬仁さま、二男の桂宮さま、三男の高円宮さまを先に亡くされた。

バナー写真:太刀持ちに白鵬(左)を従え、還暦の土俵入りをする元横綱千代の富士=2015年5月31日、東京・両国国技館 (時事)

  • [2016.12.29]
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