[ニュース]三笠宮さま、斂葬の儀=皇族方、三権の長ら参列
[2016.11.04] 他の言語で読む : ENGLISH | العربية | Русский |

先月27日に100歳で亡くなられた三笠宮崇仁さまの本葬に当たる「斂葬(れんそう)の儀」が4日、東京都文京区の豊島岡墓地で営まれた。喪主の同妃百合子さま(93)ら皇族方のほか、三権の長、ゆかりの人ら約600人が参列し、歴史学や国際親善、スポーツなど幅広い分野で活躍した三笠宮さまと最後のお別れをした。

2013年の新年一般参賀で手を振る三笠宮さま(時事)

一般の告別式に当たる「葬場の儀」は午前10時すぎから始まり、儀式をつかさどる司祭長の東園基政日本・トルコ協会常任理事が、三笠宮さまの生涯や功績を記した祭詞(さいし)を朗読した。その後、慣例で参列しない天皇、皇后両陛下の使者の河相周夫侍従長らが玉串をささげて拝礼し、百合子さま、皇太子ご夫妻ら皇族方、親族らがこれに続いた。

正午前からは一般市民の拝礼が行われ、多くの人々が最後の別れをした。

昭和天皇の末弟、天皇陛下の叔父にあたる三笠宮さまは1915年12月2日、大正天皇の四男として誕生。称号は澄宮(すみのみや)。学習院初等科、同中等科を経て陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業。成年を迎えた35年に三笠宮家を創立し、41年10月に子爵・故高木正成氏の次女百合子さまと結婚。太平洋戦争中の43年1月から1年間、支那派遣軍総司令部参謀として中国・南京に赴任し、終戦時は陸軍少佐だった。

1956年10月にイラク北部ハトラの遺跡を訪問の際、ラクダに乗られる三笠宮さま=中近東文化センター(東京都三鷹市)所蔵(時事)

戦後、東大文学部の研究生となり、古代オリエント史研究者の道を歩んだ。日本オリエント学会の初代会長を務め、東京女子大や青山学院大の講師、東京芸術大の客員教授などとして教壇に立ち、テレビやラジオなどにも出演。歴史学者の立場から、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で廃止された紀元節復活の動きに反対したほか、戦争末期の44年に陸軍を批判した文書が後に見つかり、反響を呼んだ。

中近東文化センター名誉総裁、日本・トルコ協会名誉総裁などを務め、国際親善をはじめ、さまざまな分野に貢献。ダンスにも親しみ、普及に尽力した。著書は「帝王と墓と民衆」「古代オリエント史と私」「わが歴史研究の七十年」など多数。

 

バナー写真:三笠宮崇仁さまの「斂葬の儀」で司祭長の祭詞を聞かれる同妃百合子さま(手前中央)と皇族方=4日、東京都文京区の豊島岡墓地(時事)

(11月4日および10月27日付の時事通信ニュース記事をニッポンドットコム編集部が再構成)

  • [2016.11.04]
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