【Photos】池波正太郎が愛でたおせち
正月の伝統料理に一年の健康を願う

鵜澤 昭彦 (撮影)【Profile】

[2012.01.03] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |
希代の美食家として知られる池波正太郎がこよなく愛した料理人がいる。「てんぷら近藤」を切り盛りする近藤文夫。彼は今も、料理人としての技を注ぎ、感謝の心とともに池波宅へおせちを届け続けている。

おせち料理は1年の健康を祈る先人たちの知恵

おせち料理の起源は、平安時代から朝廷で行われていた節会(せちえ)にあるといわれている。室町時代になると、庶民もお正月に食積(くいつみ)といわれる祝い肴(さかな)を供えるようになり、昆布、勝栗などの乾物を三方という白木の膳に載せて神に捧げた。雑煮などといった正月の食を楽しむようになったのもこの頃だ。江戸時代後半になるとその食積の乾物を戻したり、煮たりして食べるようになっていく。これが、今のようなおせち料理の始まりとなった。

正式なおせち料理は四つの重からなる(現在は三重のおせちが主流)。一の重には春、二の重には夏、三の重には秋、四の重には冬と、季節を感じさせる料理が詰められる。初春を祝う祝い肴、夏の食欲を増進させる酢のもの、秋の収穫に備えるエビなどの動物性蛋白質、寒さに対する抵抗力を高める野菜の煮もの……おせちには1年を健康に過ごすために何を食べればいいのかという先人たちの知恵が詰められている。

30年以上も続く池波正太郎へのおせちづくり


近藤 文夫
Kondo Fumio

「てんぷら近藤」主人。1947年東京生まれ。高校卒業後、山の上ホテルに就職、「てんぷらと和食 山の上」で修業。1970年、23歳で料理長に抜擢される。1991年に独立し、銀座に「てんぷら近藤」を開店。池波正太郎との共著に『剣客商売 包丁ごよみ』『池波正太郎の食卓』『池波正太郎が残したかった「風景」』、著書に『池波正太郎に届けるおせち』がある。

煮もの、焼きもの、〆ものと何十品もの料理をお重につめるおせち料理はまさに日本料理の真髄。料理人たちは日頃、お世話になっている方々への感謝の気持ちを込めて、五感で楽しめるおせち料理を作り上げる。

「天ぷらと和食の山の上」で修行を重ね、ミシュラン2つ星の「てんぷら近藤」を切り盛りする近藤文夫も 、ある人への想いを込めておせちを作り続けている。日本を代表する時代小説作家であり、美食家・映画評論家としても知られる池波正太郎だ。池波の没後もおせちを届けに近藤自ら足を運んでいる。

毎年、仕込みを始めるのは12月10日頃から。特に時間がかかるのが黒豆で、2時間ほど火にかけては下すという作業を繰り返して豆全体に甘みを浸透させていくという。毎日、日持ちのするものから少しずつ品数を増やしていき、30日の午前中にすべての料理を仕上げる。

おせち作りの締めくくりは毎年、煮しめと決めている。食材を入れると近藤は鍋の前につききりに。傷がつくから、と菜箸などは鍋の中に一切入れず、時折、大鍋を両手で持ち上げてゆすりながら仕上げていく。

「汁がなくなるまで、強火で一気に煮こみます。文字通りこれが煮しめるということです。汁の減り方や、野菜から出る水の分量などを考えて仕上がりの味を想定しながら、少しずつ味を調整します。足が速い鶏肉は別の鍋で、煮崩れしやすい人参は最後に。こうしたルールを守った上で工夫を加えれば料理はおいしくなります。ルールを無視するとどんなに工夫してもおいしくならない。煮しめは単純なようでいて、とても難しいのです」

わずかな人のためのおせち作り、その費用は、店の予算とは別に近藤のポケットマネーで賄っている。

「やればやるほど赤字になるので店の経費には入れられない、というのは冗談で、池波先生からアイデアをいただき、お客様への感謝の気持ちで始めたことですから、原価は度外視です。お客様の日頃の店への愛情を、こういう形で返していきたいと考えています」

おせちを携えて、池波家の前に立つ。

40品に及ぶ料理をお重に詰めるのは大みそかの未明から。客が持ち込んだ形の違うお重に、近藤が自分の手で盛り付けていくため、全部終わるまでには約6時間かかるという。作業が終わるとそのまま池波家におせちを届け、お線香をあげ、奥様とお話しをして帰る。それが近藤文夫の仕事納めとなる。

近藤は言う。

「僕が料理人として今あるのは、池波先生のおかげ。先生が僕に言ってくださったこと、貸してくださったお力ははかりしれない。そのご恩は2年や3年で恩返しできるものではありません。僕が料理人でいる限りは、池波先生に恥じない仕事を続ける。その先生への感謝の気持ちを込めて、一年の終わりにはおせち料理を作り、先生のお宅へお届けする。それが僕のつとめなのだと思います」

毎年1月3日は池波先生のお墓参りをし、近況報告をする。

近藤文夫はいつ池波正太郎が訪れてもいいように、今でも「てんぷら近藤」を磨き続けている。そして、池波正太郎へのおせちを作りながら、料理人としての今の自分の技量を確かめているのだ。

「仕事着のこの胸のところに先生の『近藤』という文字があるから、僕は朝から晩まで働ける」

 

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「天ぷらは料理の最高峰」 近藤文夫(銀座「てんぷら 近藤」主人)

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  • [2012.01.03]

写真家。1962年生まれ、東京都出身。料理写真を中心に雑誌、広告で活躍中。

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