【Photos】ルーチャ・リブレに隠された調和を撮る

ロドリゴ・レイェス・マリン (撮影)【Profile】

[2014.12.12] 他の言語で読む : ENGLISH | ESPAÑOL | العربية |
プロレスでつながる日本とメキシコ。多くの日本人レスラーがメキシコでキャリアを積み、多数のメキシコ人レスラーが来日して興行に参加してきた。メキシコ人写真家ロドリゴ・レイェスがリング上での両国の出会いを不滅のものにする。

思わぬ形で再会したプロレス

私の世代が子供の頃はテレビでプロレスを見て過ごした。メキシコではプロレスが絶大な人気だったので、子供たちは集まればプロレスごっこをして遊んだもの。 ただ、残念ながら一時期テレビからこのスポーツが消えたことがあった。それは覆面ヒーローの技や動きをまねて怪我をした子供が出て、マスコミでも取り上げられた結果、社会問題となったからである。その時に私もプロレスから離れた。

2008年に来日した時に、再びこのスポーツと関係するとは思ってもみなかった。日本での私の最初の仕事は恵比寿にあったメキシコレストランでのパートであったが、そこがメキシコで修業を積んだ日本人レスラーのウルティモ・ドラゴン(最後のドラゴン)の行きつけの店であった。子供の頃テレビでよく見たレスラーだったので、驚きであった。彼と少しずつ話をするようになり、ある時、彼が企画しているプロレス・イベントにメキシコ人レスラーも来日する予定だと教えてくれた。ジャーナリスト兼写真家としてそのイベントを記事にしたら面白そうだと思い、思い切って写真を撮ってもよいかと持ち出して了解をもらった。

その時、メキシコのプロレス雑誌『Luchas 2000』で仕事をしていたプロレスに詳しい友人の女性ジャーナリストに連絡することを思いつき、記事の寄稿を提案した。プロレスの写真を撮るのは初めてだったので、イベントの前に技術的な面とかを調べたが、動きのあるものを撮る技術を磨く必要があることを痛感した。

プロレスの動きは早い。その写真を撮るには戦いの力学を知り、動きを読む必要があった。リングマットの目線では、すべての動きが非常に素早い。自分がどう動くか、どう先回りするかを知らなくてはならない。タイミングやアングルがずれれば足しか写らず、顔の表情や腕、首の筋肉がどのように緊張しているのかを取り損ねる。

日本記者クラブの壁で、写真撮影に苦労

この最初のプロレス写真家としての経験の後、メキシコ雑誌の編集者から継続して協力して欲しいとの要請を受けた。メキシコで人気を博したレスラーのミスティコ(神秘)が新日本プロレスと契約して来日予定となった。2009年には新日本プロレスとメキシコの世界プロレス協会(CMLL)が日墨でのプロレス・イベントを協力して実行するための交渉が行われていたが、ミスティコが参加するイベントへのコネが必要だった。その点で私を助けてくれのが、メキシコに6年間住んだことのあるレスラー奥村茂雄だった。

しかし、その催しでは日本のジャーナリストの集まりである記者クラブの壁に突き当たった。メキシコにはそんなものはない。新日本プロレスからは、このクラブのきまりでリングマット目線での写真は撮れないと言われ、それどころか中にも入れてもらえないらしい。つまり、私はミスティコや他のレスラーを舞台裏で撮るしかなかった。こうして、規則を守りつつこうしたイベントをリングからは離れてではあるが、いつかなんとかなることを期待して『Luchas 2000』のために2年仕事を続けた。一度だけ、新日本プロレスが2013年のイベントで写真を撮らせてくれた。

覆面MANIAと女子プロレスとの出会い

まもなく、日本には多くのプロレス団体があることを知り、別のイベントへの足掛かりができた。今回はレストラン『テキーラ』のオーナーで日本のプロレスと関係の深い、エドガル・コルテスが助けてくれた。彼が覆面MANIAを主催するレスラー、ミステル・カカオまたはマッチョ☆パンプとして知られる梅本和孝を紹介してくれた。

覆面MANIAの規則ではすべてのレスラーが覆面をしなければならないが、プレースタイルもメキシコのものによく似ている。ここの興行でまたリングマットからの写真を撮ることができるようになった。

一方、新日本プロレスの廊下で『週刊プロレス』記者でサムライTVパーソナリティーの荒井浩と知り合いになった。彼は女子プロレスのアイスリボンの興行に出入りするのを助けてくれた。後になり、奥村がREINAの社長と会わせてくれた。女子プロの興行ではメキシコと日本のレスラー達の情熱的な戦いを撮ることができた。互いに表現豊かなレスラー達であり、観客とのコミュニケーションも盛んだったので、非常によい経験となった。

記者クラブの壁にぶつかったことは、日本のプロレスの広い世界、多くの団体やいろいろなタイプの興行を知ることができたので、ある意味ラッキーだったのかもしれない。 また、子供の頃から覚えていたブルー・デーモン、マスカリータ・ドラーダ、エスペクトリートといったメキシコのレスラーとの再会も果たし、子供の頃の思い出をよみがえらせることもできた。

カタルシス(浄化作用)としてのプロレス

メキシコでは、プロレスをスポーツのみならず文化としても受け止めている。覆面や色使い、それぞれのレスラーにまつわりプレイに意味を与える物語、彼らの衣装が表すシンボルなどがある。メキシコのレスラーは、ファンとの身近な関係を築くことに努め、観客をできるだけ巻き込もうとする。

私の国のプロレスはストレスを癒す効果がある。観客が静かにショーを見守る日本とは違い、メキシコの場合、観客は叫びうっぷんを晴らすために参加する。ひとつひとつのショーが終わった時には、観客はリラックスして帰るのである。メキシコのそうした雰囲気を味わった日本のレスラー達も日本に戻った時には物足りなく思うらしい。

私は写真を撮る時に自分が撮りたいもののことをじっくり考えるのが好きだ。長い時間ファインダーをのぞきながら被写体のすべての要素、構図を考え、不要なものが入らないようにする。レスラーが決め技や背中を痛めつける「逆エビ」をかけられてギブアップする瞬間を表現する写真を撮りたい。時間と経験からリング上のレスラー達がどのように意思疎通をするのかを予想するようになり、先回りして彼らの表情を捉え、そして戦いに隠された調和を表現しようとしている。

私はいま“This is Lucha Libre”という芸術団体に関係しているが、そこでは、日本のプロレスとも、アメリカのレスリングとも違いメキシコでしか使われないルーチャ・リブレという言葉に大きな重要性を置いている。この団体を通じて私は日本でメキシコのルーチャ・リブレ文化を広めたい。

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  • [2014.12.12]

写真家、ジャーナリスト。2004年メキシコの放送ジャーナリスト大学研究センターを卒業後、2008年に来日。フリーの写真家としてメキシコのプロレス雑誌『Luchas 2000』への仕事を始める。その後Afloにも写真を供給。世界中にメキシコプロレス文化を広める団体This is Lucha Libreのメンバー。世界プロレス協会(CMLL)との協力でチャプルテペック公園の鉄柵に『メキシコ・アリーナとプロレスの80年』を展示、また、在メキシコ日本大使館やその他文化センターで、『日本のプロレス』と題した展示を実施。

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