【Photos】墓地の肖像

伊藤 昌世 (撮影)【Profile】

[2016.12.07] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | العربية | Русский |
墓前で手を合わせ、死者に向き合う。墓参する人々の胸中にはさまざまな思いが行き交う。ここに集まった家族はどんな思いを抱いてやってきたのか。どんな報告を亡くなった者に伝えるのだろうか。

故人と過ごす時間

ある時期から墓地へと足を運ぶ機会が増えた。墓守のためである。墓前に花や線香を立てながら辺りを眺めると、真新しい花や少ししおれた花、すっかり枯れて色の変わった花などが人々の来訪の跡をうかがわせる。

墓園を歩きながらこれらを眺めていると「いつくしむ」という大和言葉を想い出す。英語に置き換えるとすればto care forやto love、時にto respectが入り交じったニュアンスになるのだろうか。ここでは皆、そんな気持ちをどこかに携えながら記憶の中の故人と共に過ごすのだ。

墓地に集まった3世代の家族

日本での墓参の主な習慣には、祖霊が帰ってくるとされる夏のお盆や、先祖供養の春秋のお彼岸がある。それ以外にも肉親や先祖の命日や月命日、年末年始、事あるごとの墓前での報告など、日本人はよく墓参に通う民族なのではないだろうか。

ここに写っているのは、北は北海道から南は沖縄までの3世代以上の墓参家族である。

元来、仏事は一人ではなく連れ立って動くものだと子供の頃に聞かされた記憶がある。時代は少子超高齢化のただ中にあり核家族化も進んで久しい中、その言い伝えを守ることは困難になりつつある。だが、この特別な日に誘い合って家族全員で墓地を訪れた人々の表情は、晴れやかでさえある。

墓参家族を通して伝わってくるもの

このところ日本は、東日本大震災をはじめとする衝撃的な出来事を経験しながら、歴史的な転換期、変容の時代にあると言われている。私たちはこの時代の息吹を無意識の内に呼吸していることに違いはない。ここ50年で日本人の暮らしや価値観は激変し、それはますます加速しているように思われる。けれども墓参する人々を前にして、そこに時代を超えて日本人の心に脈打つ何かが明らかになっているような気がするのである。

時間の中には死と再生という生命の本質がある。生命はかつて生命であったものと共存することで、私たちはどこから来たのかを知ることができるのかもしれない。

写真と文=伊藤 昌世
バナー写真:三重県四日市市 2015年

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  • [2016.12.07]

武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。在学中に写真を専攻し、家族のポートレイトの撮影を始める。写真展に、1978年「面接ポートレイト」、80年「標準温度」、91年「同心円東京」、2007、08、10年「幸福論」。11年Taylor Wessing Photographic Portrait Prize 2011展 選出(National Portrait Gallery、ロンドン)など。 写真集に『幸福論2006-2008』(ItoDesign)、『標準温度』(冬青社)。

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