【Photos】奈良の鹿—古都と鹿の不思議な出会い

石井 陽子 (撮影)【Profile】

[2017.02.01] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |
奈良では、鹿は神の使いと考えられ、手厚く保護されてきた。夜は春日大社の森で過ごし、日の出とともに東大寺や興福寺に“出勤”する。全国の鹿たちを追って撮影を続ける写真家は、どんな思いで彼らにレンズを向けているのだろうか。

鹿しかいないシュールな風景

2011年3月24日、仕事で奈良を訪れた私は、せっかくだから写真を撮ろうとカメラを持ってホテルを出た。早朝の街で出くわしたのは、交差点の真ん中で堂々と立つ鹿のカップル、頭を突き合わせて戦う雄鹿たち、隊列を組んで街を行進する鹿の群れ…。それはまるで、人が消えた街を鹿が占拠しているような光景だった。

2週間ほど前に東日本を襲った大地震と津波は、街を破壊し多くの人々の命を飲み込んだ。進歩、発展、開発の名の下に、山を切り崩し、海を埋め立てて、工場を造りビルを建て、人間は地球を支配しているかのように振る舞ってきた。しかし、ひとたび自然が気まぐれのように肩をすくめただけで、人工物はもろくも壊れ去るのだということを、私たちは思い知らされた。そして、人工の太陽として安価なエネルギーを生み出すはずだった夢の装置はメルトダウンし、人間が暮らせない土地を作り出してしまった。

そんな時、人間が作った街を悠然と歩く鹿たちに出会った。それは、とても痛快だった。

奈良では、鹿は春日大社の「神鹿(しんろく)」だという言い伝えから、この街に都があった時代から大切にされてきた。1200年以上の時がたち、奈良の街並みがすっかり変わっても、鹿たちの営みは同じだ。

現在、奈良市内には約1200頭の鹿が棲(す)んでいる。早朝、彼らは習慣という本能に導かれて、春日の森の中から、無人の交差点を渡って街に出ていく。群れをなして気の向くまま、文字通り道草を食いながら自分たちの縄張りにやってくる。そして奈良公園で芝刈りをして草地に肥料を与え、芝生の上でのんびり反芻(はんすう)しながらひがな一日を過ごし、夕方、森に帰っていく。

神の使いか、害獣か

全国的に鹿の数は増えており、農作物や木々を食べる害獣とみなされている。そのため、多くの自治体が鹿の頭数管理を実施。2013年には全国で年間18万頭近くの鹿が狩猟によって捕獲された。それに加え34万頭以上が有害鳥獣として駆除され、その多くが山の恵みとして感謝されることもなく埋設・焼却された。

同じ鹿なのに、生息している場所によって、観光客から鹿せんべいを与えられペットのように扱われたり、害獣として駆除されたりするのは、人間の勝手な都合だ。ある意味、鹿は人間の利己性や矛盾を映す鏡のような存在でもある。

互いに争い無益な戦いを続けたり、自ら作り出したテクノロジーをコントロールできずに自分たちの住環境を壊したりしている。こんなことを繰り返していたら、いつか人類はこの地球から消えてしまうかもしれない。

そんな、人が消滅した世界でも、この鹿たちは変わらず街を歩いているのではないか…。ならば、私は写真家として、人のいない街を自由に闊歩(かっぽ)する鹿たちの姿を捉え、「鹿しかいない街」を視覚化しよう。これらのイメージが何かを気付かせ、人間社会が変わっていくことのきっかけになることをひそかに願いながら。

写真・文=石井 陽子

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  • [2017.02.01]

鹿の撮影を続ける写真家。1962年生まれ。2005年より動物写真を撮り始める。11 年3 月、街に暮らす鹿を捉えたシリーズの制作を開始。以来、北海道から沖縄まで鹿の姿を追っている。写真集に『しかしか』(リトルモア)。
Website: http://yokoishii.com/
FACEBOOK page: https://www.facebook.com/yokoishiideer

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