【360°】軍艦島—現代に蘇る廃墟の聖地

染瀬 直人 (撮影)【Profile】

[2013.08.12] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |
全盛期には世界一の人口密度を誇った炭鉱の島「軍艦島」。閉山後約40年を経て哀愁漂う廃墟の島と化し、新たに世界中の注目を集めている。観光客は踏み入れない島の立ち入り禁止区域を精細な360°パノラマで紹介する。

「人間が作り上げたものは、かならずいつか崩れ去る。軍艦島はその真理の象徴的存在であり、朽ちていくものが持つ美しさと哀愁を併せ持っている。だから、人々をひきつけるのではないか」
閉山直前の1972年秋から半年間、軍艦島で青春時代を過ごした写真家・大橋弘氏は、現在の軍艦島人気についてこう語る。

近代日本の礎を築いた炭鉱の島

「軍艦島」は、長崎港から南西の海上約18.5kmに浮かぶ長崎県長崎市(旧高島町)端島(はしま)の俗称。大正時代、その島影が戦艦「土佐」に似ていたことから、そう呼ばれるようになったという。

最初に端島で石炭が発見されたのは1810年。当時は現在の3分の1の面積しかない岩礁で、草木も生えていなかった。その後、6度の埋め立て工事を経て、南北480メートル、東西160メートル、総面積6.3ヘクタール、島一周1200mメートルという大きさになった。

乱立していたTVアンテナだが今はもう無い。

三菱社(三菱財閥)が1890年に島全体と鉱区の権利を買い取ってから、炭鉱として本格的な採掘が開始された。端島で採れる良質な石炭は八幡製鉄所(福岡県北九州市)などで主に使用され、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えた。

1916年に建てられた日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパート「30号棟」を皮切りに、この島の特徴である鉄筋コンクリートの建物が次々と作られていった。石炭出炭量の増加に比例するように急成長を遂げ、最盛期の1960年頃には約5300人もの住民が暮らし、東京の約9倍もの人口密度に達した。島内には小中学校や病院だけでなく、映画館、パチンコ屋、スナックなどもあった。

「僕が島で暮らしていた当時でも2千人以上が住んでいたと思う。炭鉱の島だから火力発電所があって、島民は全員電気代が無料。だから、各家庭にはテレビや電気ストーブといった電化製品が揃っていて、とても先進的な生活をしていた。思いっ切り遊びたいときや足りないものがあるときは、休日に船で長崎に出ればいい。何不自由なくて、島の生活はとても楽しかった」(大橋氏)

軍艦島で働く男たち。後ろの大型クレーンは閉山後に撤去された。

 

軍艦島で親子三代暮らした人も

1965年12月、月産出炭量35000トンを記録したのが端島炭鉱のピークだった。世の中の主要エネルギーが石炭から石油へと変化していくのに伴い衰退が始まり、1974年1月10日に端島炭鉱は閉山。同年4月20日に高島と端島を結ぶ航路も閉鎖され、軍艦島は無人の島となった。

「海に囲まれた軍艦島で見上げる星は本当に美しくて、肉体労働で疲れた夜にはとても癒された。今は、歴史好きや廃墟マニアなどが集まる観光の島になったけど、僕にとっては生活の場だった。下請けの肉体労働者として半年いただけでも、自分が青春を過ごした場が廃墟と化してしまったのはやっぱり悲しい。親子三代に渡って軍艦島で働いているという人もいたが、そういった方たちの島への想いは計り知れないものがある」(大橋氏)

1972年当時の大橋氏の仕事仲間たち。島では老若男女が暮らしていた。

 

軍艦島が伝えるメッセージ

閉山後の端島は三菱マテリアルの所有となっていたが、2001年に高島町に無償譲渡。2005年の市町村合併により、高島町が編入された長崎市に組み入れられた。同年8月23日に報道関係者に上陸が許可され、荒廃した島内の映像が様々な媒体で紹介されると大きな話題となった。

2009年1月5日に「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産の一つとして端島が世界遺産暫定リストに掲載されると、同年4月22日に長崎市が一般人の上陸を解禁。廃墟ブームもあって約4年間で上陸者数が36万人以上を記録し、地元への経済波及効果は約65億円にもなったという。

染瀬直人氏はこの動画の撮影隊に同行して360°パノラマを撮影。

2012年には映画007シリーズ最新作『スカイフォール』で敵のアジトの島「デッド・シティ」のモデルとなり、2013年には立入禁止区域内も含む島内全域の模様がSONYアクションカム「HDR-AS15」によって撮影された空撮動画やGoogleストリートビューでも公開され、現在は世界中から注目を集めている。

「自分が暮らしたことのある場所が観光名所になっているのはとても不思議な気分。だから、観光に訪れる人には、この島で何かを感じて帰ってもらえればと思う。今考えると、軍艦島は当時の最先端エネルギーのために作られた島だった。現在、再生可能エネルギーなど石油に変わる新しいエネルギーに世界中が注目していて、特に東日本大震災後の日本は、原子力と放射能いう大きなエネルギー問題を抱えている。そういったことを考えるとき、軍艦島が教訓やヒントを与えてくれる存在のような気がする」(大橋氏)

モノクロ写真=大橋 弘(『1972 青春軍艦島』新宿書房刊より)
協力=SONY パノラマ撮影:SONY NEX-6 

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  • [2013.08.12]

日本大学芸術学部写真学科卒。写真家、映像作家、360°VRコンテンツ・クリエイター。2014年ソニーイメージングギャラリー銀座にて、作品展「TOKYO VIRTUAL REALITY」を開催。360度作品や、シネマグラフ、タイムラプス、ギガピクセルイメージ作品を発表。VR未来塾主宰。360°動画の制作ワークショップなどを開催。Kolor GoPro社認定エキスパート、Autopano Video Pro公認トレーナー。

website:http://www.naotosomese.com

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