【360°】平和記念都市ヒロシマと世界遺産・原爆ドーム

染瀬 直人【Profile】

[2013.11.11] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |
人類史上初の原子爆弾が投下された都市・ヒロシマ。一般観光客には非公開の世界遺産・原爆ドームの内部から、平和記念式典や資料館、とうろう流しまで、その鎮魂と平和祈念の模様を360度パノラマで撮影した。

原爆ドームから世界平和を祈る

1945年8月6日午前8時15分。原子爆弾「リトルボーイ」が広島市の中心部に投下された。旧広島市内の建物約7万6,000戸の90%に半焼・半壊以上、約35万人の市民や軍人のうち約14万人が1945年末までに死亡したと推計され、さらに放射線の影響による発病がその後も長年にわたり人々を苦しめるという甚大な被害を受けた。

1945年8月8日付のワシントン・ポスト紙は「放射能に汚染された広島は、生物不毛の地となり、75年間は草木も生えない」というハロルド・ジェイコブソン博士の談話を掲載。日本においても、アメリカ側が「広島は75年間人畜の生存を許さぬ土地となった。また被害調査のため学者を派遣するごとき行為は自殺に等しい」との謀略放送を行い、それに続いて多くの日本メディアも70年あるいは75年生物不毛説を報道した。

広島県産業奨励館だった、被爆前の原爆ドームの姿。※広島平和記念資料館(所蔵・提供)

そんな「草木も生えない」と言われた広島が、戦後約70年後の現在、復興を遂げて人口118万人が住む大都市へと再生している。かつての爆心地付近は、1949年8月6日に公布された特別法「広島平和記念都市建設法」に基づき、平和記念公園と資料館や慰霊碑などが整備され、緑が美しい観光名所となった。旅行口コミサイト『トリップアドバイザー』が選定する「2012年 外国人に人気の日本の観光スポット」では、広島平和記念資料館と原爆ドームが1位に選ばれている。

原爆被害者を弔うだけでなく、核兵器廃絶と恒久平和への願いを世界中に発信する8月6日の広島原爆忌。その厳かながら強い思いに溢れた1日と、一般には非公開の原爆ドーム内部を360°パノラマで撮影した。

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原爆ドーム(広島平和記念碑)

天辺にある半円形屋根の鉄骨の形から、被爆後に広島市民から原爆ドームと呼ばれるようになったという広島平和記念碑。元々は1915(大正4)年4月に広島県物産陳列館として竣工し、被爆当時には広島県産業奨励館と改称されていた建物。
原子爆弾の投下目標であった相生橋の東詰付近にあり、実際の爆心地からは北西160メートルという至近距離で被爆したため、爆風と熱線を上方からほぼ垂直に受けることになり、中央のドーム部分の鉄骨と外壁や枠組みが奇跡的に倒壊を免れた。
戦後、倒壊の可能性もある危険な状態であり、悲惨な被爆体験を思い出すということで取り壊すという意見もあった。しかし、広島の街が復興し始めて被爆建物などが次第に減っていく中、記念碑として残す方向へ。補強による保存工事が数度行われ、1996年12月に世界遺産に登録された。

平和記念式典と原爆死没者慰霊碑

式典の正式名称は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」。毎年8月6日の原爆忌に、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するために、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)前において行われる。
2013年は、原爆死没者の遺族をはじめ、多数の広島市民、安倍晋三首相、ジョン・V・ルース駐日米国大使、映画監督のオリバー・ストーン氏など約5万人が参列。原爆投下時間の午前8時15分に合わせて黙祷を捧げた。毎年式典の中で広島市長によって行われる平和宣言は、世界各国に送られ、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けている。

原爆の子の像

1955年に白血病で亡くなった佐々木禎子さん(享年12歳)の死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め、平和を願うために作られた像。
禎子さんは2歳の時に被爆したが火傷などの外傷はなく、運動が得意な明るい少女に育った。しかし小学校6年生の時に、突然に白血病を発症。拡がった火災から逃がれる際、母親に背負われながら放射能を帯びた“黒い雨”に打たれたのが原因だった。入院中、彼女はお見舞いに贈られてきた千羽鶴に感動し、自分でも病気が治ることを願いながら鶴を折るようになった。病室の天井から吊るされた折り鶴は千羽を超えたが、願いは叶わなかった。
彼女の小中学校の同級生を中心にした募金活動が全国に広がり、「原爆の子の像」が完成した。像の周りには国内外から年間約1000万羽もの千羽鶴が捧げられることから、別称「千羽鶴の塔」とも呼ばれている。

相生橋

原爆の投下目的地だった橋。広島市中心部を流れる本川と元安川の分岐点に架かる。
路面電車の広島電鉄本線が通る相生通りに沿って東西に伸びる併用橋と、その中間あたりに南側の平和記念公園へ繋がる連絡橋があるためにT字の形をしている。その珍しい形状から上空からでも判別しやすく、戦時中は東北方向の広島城付近に中国軍管区司令部など軍施設が多数存在したために標的とされた。

広島平和記念資料館

広島平和記念公園の南側に所在し、「広島平和記念都市建設法」に基づき原爆の惨状を後世に伝えるため作られた博物館。
原爆被災に関する資料や遺品の収集には、市民有志の団体である原爆資料集成後援会(現在:原爆資料保存会)を中心に数多くの市民が協力した。その他にも、被災前後の広島の資料や写真、大規模なジオラマや模型、核時代の世界の解説などがあり、核兵器のない平和な社会の実現を目指した展示となっている。建物は丹下健三氏の設計で、本館と東館からなり、本館は国の重要文化財に指定されている。2013年度から2018年度までに大規模な改修を行うため、このパノラマ画像は現在の展示の貴重な記録となる。

とうろう流し

水を求めて集まった多くの被爆者が力尽きたという相生橋に向け、原爆ドームの元安川の対岸にある親水護岸から、原爆死没者の弔いと平和への祈りが書かれた色とりどりのとうろうが流される。通常のとうろう流しや精霊流しはお盆の最終日に行われるが、広島市では8月6日の夕刻から行われる。
とうろう流しの種火には、広島で兵役に就いていた山本達雄さんが、被爆から約1ヶ月後に広島市内で書店を営んでいた叔父の家の跡を訪ねた際、まだ燻っていた火をカイロに入れて持ち帰り、現在は福岡県八女市星野村に保存されている「原爆の残り火」を採火して使用。とうろうには原爆の子の像に捧げられた折り鶴を再生した紙を用いている。

撮影協力:広島フィルム・コミッション、広島市役所、広島平和記念資料館、中国新聞社

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  • [2013.11.11]

日本大学芸術学部写真学科卒。写真家、映像作家、360°VRコンテンツ・クリエイター。2014年ソニーイメージングギャラリー銀座にて、作品展「TOKYO VIRTUAL REALITY」を開催。360度作品や、シネマグラフ、タイムラプス、ギガピクセルイメージ作品を発表。VR未来塾主宰。360°動画の制作ワークショップなどを開催。Kolor GoPro社認定エキスパート、Autopano Video Pro公認トレーナー。

website:http://www.naotosomese.com

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