特集 日本の新政治勢力の研究
民主党はこのままでは第2の自民党に過ぎない

T・J・ペンペル【Profile】

[2012.07.05] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 |

2009年の民主党による政権奪取から3年が経ったが、政治改革が実現される見通しは低い。カリフォルニア大学で日本政治論を研究するT・J・ペンペル教授が、民主党と自民党の内部構造を比較してその類似点を指摘し、今日の日本政治に必要なものは何かを探る。

真の変革に対する有権者の期待

2009年9月、民主党が衆参両議院で過半数の議席を獲得し、鳩山由紀夫首相率いる民主党政権が発足したとき、国民の期待は一気に高まった。自民党がほぼ一貫して政権を維持してきた20年間に、日本の国内総生産(GDP)は世界全体の18%から8%まで縮小した。1960年代以降の日本の経済成長が実質的に帳消しになった計算になる。その過程で、日本は東アジアで第1位の経済大国の地位を中国に譲った。1960-70年代に日本が達成した年間10%の成長率を今度は、中国が成し遂げるようになったのである。この間、自民党は少子高齢化や公的債務の増加、失業率の上昇、格差の拡大など国内の問題に有効な対策を打たなかった。日本の「失われた10年」はさらに長引いて、社会的倦怠感と行政機能不全、そして政治不信が蔓延する20年間となった。

民主党は1998年に結成されてから着実に支持を広げ、2007年には参議院選挙で勝利し、2009年の衆議院選挙では過半数を大幅に超える議席を獲得して、ついに自民党政権を倒すにいたった。民主党勝利の大きな要因は、自民党政権の公共事業による税金の無駄遣いを削減し、「コンクリートから人へ」というスローガンのもとに予算再配分を公約したことだった。新たな民主党政権が国政の停滞を根本から変革し、経済的活力に満ちた時代へ導いてくれると有権者が期待したのも不思議ではなかった。

前途多難だった民主党政権の出発

しかし、鳩山首相は就任してまもなく米海兵隊の沖縄からの撤退を提案し、アメリカの防衛官僚から痛烈な批判を浴びた。またメディアからは、4億円を超える政治献金の虚偽記載と、母親から密かに多額の政治資金を提供されていたことでバッシングを受けた。さらに、鳩山政権下の事業仕分けは当初掲げた3兆円の削減目標の4分の1を超えた程度で、公約したガソリン税減税も実行できなかった。

2010年6月に鳩山氏の後を継いで首相に就任した菅直人も似たようなものだった。菅首相は2010年7月の参議院選挙直前になって消費税率倍増に言及した。民主党の過半数割れを確実にするような発言であり、実際にそれが現実となった。その結果、民主党はどんな法案を通すにも自民党をはじめとする野党の協力を引き出さざるを得なくなった。

そして3月11日、東日本大震災とそれに続く津波、原発事故が発生したとき、民主党の危機管理がまるで機能しないことが露呈した。震災後、国民も評論家も東北復興のための徹底した計画を求め、その過程で、おそらくは日本を結束させる新たな国家目標が示されることを期待した。だが、いまだに実現していない。それどころか、震災後に霞が関と永田町は最悪の様相を呈した。各省庁はもっぱら自らの利益に固執し、国家目標のために協力する必要性に応えなかった。主要政党も党利党略のために対立するばかりで、単独のものとしては終戦以来最大の危機に立ち向かうため、一時的に論争を棚上げすることを拒んだ。

民主党がなぜ、政治的主導権を握って明確なリーダーシップを発揮できなかったのかを分析すれば、場当たり的な理由はいくつも考えられる。たとえば、自民党から政権を奪取した民主党はまだ経験不足で、内閣を構成する大臣たちも行政に不慣れだったという理由もあるだろう。または、民主党は官僚を批判して政権に就いたため、政治主導を求めるあまり、民主党指導部が些細な事項まで無責任に口出ししようとしたからだという理由もありえる。普天間基地の移設問題、尖閣諸島問題、福島原発の事故処理など、この3年間の場当たり的対応の不手際の多くは、経験豊富な政治家が対処し、日本の有能な官僚と自信をもって協調できていれば避けられたかもしれない。

2010年以降は、民主党が参議院で議席の過半数を確保できず「ねじれ国会」になったことが、政治の遅れをもたらしたとも言える。そして、3月11日の震災があまりにも甚大だったため、いかなる政権であっても、問題の複雑さと互いに矛盾する行動を求められ、ただ圧倒されるばかりだったかもしれない。民主党にとってこれらの悪条件が新しい政策を進める上で障害となったことは否定できない。だが同時に、民主党が抱える問題はこうした要因だけでは説明できず、私はさらに深い構造的な問題があると考えている。

「ばらまき」と「生産性向上」が並立した自民党時代

基本的に、民主党は一致を欠いた複数の政党やグループの寄せ集めであり、それぞれが互いに方向性の異なる政策を希求し続けている。つまり民主党には、政党として何を最も優先すべきかという一致したビジョンが内在していない。この不一致が最も顕著に現れているのが、特別扱いされた中心的人物である小沢一郎(※1)の立場だ。小沢はこれまで何度も党指導部および指導部が提唱する政策を妨げてきた。だが、それは小沢だけではない。党内には常に反対勢力があり、これまで自分の指示を遵守させるのに十分な権威(あるいは実力)で反対勢力を抑え込むことができるリーダーが出てこなかった。

こうした党内の不一致が、まさに自民党の崩壊をもたらした要因だった。私は「ばらまきと生産性の間で――自由民主党の崩壊」(“Between Pork and Productivity: The Collapse of the Liberal Democratic Party” Journal of Japanese Studies, vol. 36, no.2, [summer 2010] pp. 227–54)という論文の中で、自民党議員は党結成当時から2つの異なる要素を代表していたことを指摘した。1つは「生産性」派と呼ぶべきグループで、官僚主導の産業政策と大企業の技術革新、輸出市場の積極的開拓による日本経済の成長機会の最大化を優先するグループである。

しかし、党にとって同じように重要だったのは、「ばらまき」を重視する議員たちだった。彼らが重視したのは公共事業や郵政事業、そして中小企業や農業の保護によって地元の選挙区に予算配分で有形の利益を確保することだった。「ばらまき」と「生産性」という矛盾するふたつの支持基盤を強引に結びつけるには、政府の要職を保守勢力が堅持すること、経済成長が維持されること、そして結果として自民党と日本政府が使うことのできる予算財源が拡大を続けることが不可欠だった。

自民党の最初の35年間(1955–90年)はこのモデルが見事に機能した。日本経済の繁栄のおかげで自民党は政権を維持し、同時に自民党支配が日本の経済成長を支えた。しかし、日本のめざましい経済発展そのものが日本社会を根本的に変えた。驚異的な経済成長は、もともと自民党に政権を取らせた有権者に比べ、より富裕で、健康で、長寿で、都会的であり、より消費志向の強い有権者を生み出した。そして日本で最も利益を上げていた企業は主に日本で生産することをやめ、生産拠点を東アジア、そして世界に移したのである。

しかし、自民党は新たなニーズに適応するような政策を打ち出して、こうした新しいタイプの有権者に積極的にアピールしようとはしなかった。特に、そのような努力が従来からの票田や、党の要職の多くを占めるようになっていた「ばらまき」型の政治家たちの反発を買うことを意味したからである。その結果、複数の利益集団や省庁が、自分たちが反対する政策に対して決定的な拒否権を発動する力を手にした。バブル崩壊とともにこの問題は特に顕著となり、自民党はほとんど「ばらまき」型のみの政党になった。政府が借金を増やし、代償の高い恩恵を限られた有権者に提供してきた結果、財政赤字と公的債務が増え続けたのである。

自民党議員の多くは評価しなかったが、小泉純一郎首相は、保護されてきた経済セクター、建設および道路ロビー、不良債権、そして郵政事業に効果的に挑戦することで、「ばらまき」政治による支配に果敢に挑んだ。小泉がメディアをうまく利用したこと、そして彼を党首にとどめることが自民党政権を維持するうえで重要であると党全体が認識していたために、小泉は伝統的な党内の根回しや政党間のコンセンサス形成を省いて、直接民衆に訴えることができた。

2005年の選挙で戦術的才能を発揮し、自民党の地すべり的勝利をもたらした小泉は、刷新した自民党を率いて改革政策を進め、「生産性」路線を取り戻すのに申し分のない立場にあった。それは、都会的で消費志向の有権者が多い日本の状況に対応した路線だった。しかし、小泉は自らの歴史的勝利を堅固にすることができず、自民党は1年もたたずに経済に無知な首相らに再び率いられることとなった。彼らは小泉改革の大半を覆すことに明け暮れ、「ばらまき」型政治と利益団体の保護に逆戻りしたのである。

改革か現状維持か

民主党が選挙に候補者を立て始めたとき、地方より都市部でずっと多くの票を集めた。たとえば2003年と2004年の選挙では、自民党が地方で有利だったのに対し、民主党は都市の選挙区で自民党に勝った。しかし、2005年の衆院選と2007年の参院選では、民主党も自民党も地方と都市部の得票の割合が類似していた。結局、民主党は都市部の票を伸ばすことによってではなく、自民党の牙城である地方に食い込むことで過半数の議席を獲得した。小沢と彼の選挙戦略のおかげで多くの「小沢チルドレン」が民主党候補として当選し、かつての都市部の支持基盤だけでは達成できなかった過半数議席を手に入れたのである。しかし、選挙における勝利の代償として、民主党は一貫した経済政策と日本が「生産性」路線に戻るために必要な政策転換の機会を失った。

その典型例が、鳩山政権の2010年度予算がまたたく間に覆されたことだ。凍結が予定された200件の高速道路計画のうち、実際に凍結されたのはわずか4件だった。前原国交相による凍結の決断が覆されたのは、建設の継続を求める地元の訴えに当時の小沢幹事長が応え、介入した結果だと広く報じられた。

もちろん参議院選挙で地方に有利な一票の格差が不公平であるとした最高裁判所の判断に沿って制度が変われば、日本の地方に根づいた政治力は弱められるはずである。しかし選挙制度が改正される見込みは薄く、経済政策が誰に有利になるかが政党政治によって決まるという状態が続いている。

少なくとも野田佳彦首相は、消費増税や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加など、政策を積極的に進めようとしているようだ。野田首相はTPP交渉への参加を検討しはじめたとき、日本の農業を活性化して国際的競争力を上げるための措置を取ると約束した。米韓自由貿易協定(KORUS)に反対していた韓国の農民をなだめるために韓国政府が措置を取ったのと同じである。(韓国の措置は功を奏し、2011年の農産物の輸出は4年前に比べて倍増した。)日本の農業の国際的競争力を強める努力は理にかなっている。世界の農業市場の規模は2013年に2兆ドルを越える見通しだ(『日経ウィークリー』2012年4月30日)。しかし、農林水産省は、これまで国内市場に的を絞ってきた日本の農業を変革し、よりニッチな市場向けの農産物の輸出に力を入れるよう奨励することを嫌っていた。2009年における日本の農産物の生産高は世界で5番目(中国、アメリカ、インド、ブラジルに次ぐ)だったが、同年の農産物の輸出高は韓国を大幅に下回る30億ドルで、農産物の貿易赤字は500億ドルに近かった(『日経ウィークリー』2012年4月16日)。

改革の仕事は道半ば

野田首相は民主党内と社会全般の反改革勢力を弱めようと諸々の政策を提案してきたが、約10年前に小泉が直面した以上の逆風にさらされている。民主党が選挙で勝つために野田氏が党首であることが有利であるというコンセンサスは民主党内にない。野田首相は小泉氏と違ってメディアをうまく活用できておらず、国民は小泉氏を支持したようには野田氏を支持していない。

民主党の支持率が25%を切り、自民党の支持率もそれを越えることがほとんどない状況で、メディアと国民が最近、橋下徹氏と大阪維新の会に注目しているのは驚くにあたらない。小泉氏同様、橋下氏はメディアを知り尽くし、意欲的な決断力を示し、若く都会風な雰囲気を醸し出している。小沢氏や石原東京都知事とのつながりを利用すれば、維新の会が新たな全国的な政党の核心となる可能性は十分ある。しかし、そのような政党ができ、党内がまとまったとしても、日本経済の再生を最優先するかどうかは明らかではない。今のところ、橋下氏の関心は主として原発問題と行政の効率アップ、そして地方に対する東京の支配を弱めることにあるように見られるからだ。

今日の日本の政治経済が基本的に最も必要としているのは、競争が激化する世界で新たな需要と新たな雇用を生み出す成長モデルを創出することだ。それを妨げる要因はいろいろあるが、その1つが民主党の内部分裂である。日本では過去25年間に18人の首相が登場し、おそらく小泉氏を除いて、記憶に残るような影響力をもたらした首相はいない。党からの除名で脅すか、将来の報いと引き替えに忠誠を引き出すか、その両方を組み合わせるかによって議員をまとめる党首が出てこない限り、日本の政治は一貫した方向性がないまま揺れ続けるだろう。

党内であれ国全体であれ、民主主義には、利益の対立、権力闘争、反対勢力が現実に存在する。そして民主主義では、常に多数派による支配と少数派の尊重のバランスを取らなければならないものだ。しかし、党内の反対勢力や国内の少数派の権利を尊重するということは、彼らが賛同できないあらゆる政策に拒否権を行使していいということではない。有効な政治にはタイムリーな決断が必要で、決断すれば必然的に勝者と敗者が出る。日本の政治が有効な統治に向かって前進できるかどうかが、今日の日本が直面する最も重要な課題である。

(原文英語、2012年5月末に執筆)

(※1)^(編集部注)小沢一郎は2012年7月2日に離党届を提出した。

  • [2012.07.05]

カリフォルニア大学バークレー校教授。専門は日本、アジアの地域研究および政治経済学。コロンビア大学で政治学博士号を取得。コーネル大学東アジア研究プログラム所長、ワシントン大学教授などを歴任。主な編著に『Remapping East Asia: the Construction of a Region(未邦訳、東アジアの地図を塗り替える――地域の構築)』、『Beyond Bilateralism: US-Japan Relations in the New Asia-Pacific(未邦訳、バイラテラリズムを超えて――新しいアジア・太平洋地域における日米関係)』など。

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