特集 東アジアの新たな国際環境
ASEANが歩む平和と繁栄への紆余曲折と日本

山影 進【Profile】

[2012.11.14] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

2012年7月のASEAN外相会議は、南シナ海をめぐる調整が難航し、創設以来初めて共同声明の採択を断念した。ASEANが内包する課題、そして日本が果たすべき役割を山影進青山学院大学教授が論じる。

2012年7月にカンボジアで開かれた日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)の外相会議では、2013年を両者の交流年とすることが合意された。2013年は日・ASEAN交流40周年にあたるため、それを記念する意味もある。40年前、東南アジア各地では日本の商品や企業の「オーバープレゼンス」が問題になり、反日の嵐が吹き荒れていた。とくにマレーシアの天然ゴム産業は、日本からの合成ゴム輸出増で悪影響を被っていたが、マレーシア政府からの自粛要請に対して日本政府は聞く耳を持たなかった。そこで1973年のASEAN外相会議(=AMM、当時のASEANの最高意思決定機関)は、対日批判を展開。日本政府はASEANとの間で、「合成ゴムに関する日本・ASEANフォーラム」の設置に合意した。これが、日・ASEAN関係の始まりである。

ASEAN内の亀裂が露呈

以来、日本とASEANは、ときに経済問題で対立しながらも、協力関係を強化してきた。それだけでなく、ASEANを中心とする広域制度の構築にも、日・ASEAN関係が触媒の役割を果たしてきた。例えば1970年代末、日・ASEAN外相会議がASEAN拡大外相会議(PMC)のきっかけになった。1990年代初めには、日本がPMCで政治・安全保障を議題にすることを提案したことが、ASEAN地域フォーラム(ARF)の設置に結びついた。1990年代末、日本からの日・ASEAN首脳会議の定期開催提案が、ASEAN+3(APT)が生まれる直接の原因となった。2008年には日本がASEANと包括的経済連携協定(AJCEPA)を発効させ、今や経済連携の広域化を目指している。

日本にとって重要な連携相手であるASEANは、今世紀に入って大きく変貌した。それまで首脳会議やさまざまな閣僚級会議での合意の蓄積でしかなかったASEANだが、1990年代末のアジア通貨・経済危機を乗り越え、2008年にはASEAN憲章を発効させ、機構面でも機能面でも新しくなった。そして2015年を目標に、「政治・安全保障」「経済」「社会・文化」を3本柱とするASEAN共同体創設を目指している。

そのASEANが「亀裂」を露呈するようになったのである。ASEANに生じた「亀裂」はどれほど深刻なのだろうか? 日本の地域戦略にどのような悪影響を及ぼすのだろうか?

議長国カンボジアに責任

2012年7月のAMMは、前代未聞の失態となった。発足以来、ASEANの結束を誇示してきた共同コミュニケを、45年の歴史で初めて採択できなかったのである。このことで、ASEANの亀裂が取り沙汰されるようになった。たしかに、今回のAMMでは、南シナ海問題での中国の行動に関する文言をめぐって加盟国同士が激しく対立した。その背景には、中国によるASEANの分断工作があるとの見方も出ている。果たして、中国の策が奏功して、ASEANの脆弱な団結がほころびを見せたのだろうか?

ASEAN加盟国同士の対立や意見の相違は、今回が特にひどかったというわけでは決してない。むしろ、さまざまな域内対立に常に直面してきたと言ったほうが、ASEANの歴史を正確に要約している。領土紛争で対立した国が互いの大使館を閉鎖したこともあれば、国境付近で武力衝突した国々さえある。しかし、AMMはこれまで、どんな域内対立があろうとも、かろうじてコンセンサス(落としどころ)を見つけて、共同コミュニケをまとめてきた。従って、今回の失態の原因をASEAN内部の亀裂に求めるのは単純すぎる見方である。

今回の事態を、共同コミュニケをまとめる立場の議長国カンボジアの責任だとする見解がある。中国と緊密な関係にあるカンボジアが、対中強硬姿勢を共同コミュニケに反映させようとするフィリピンやベトナムの主張を全く取り上げなかったというのである。たしかにその通りではあるが、それ以上にカンボジアが、議長国としての妥協点を見出す、微妙であるが重要な役割を十分に果たせなかったことが大きい。多くの妥協案が他の外相から提示されたにもかかわらず、議長であるカンボジア外相は自国の用意した原案の修正に応じなかった。原案にこだわったのは、事前に中国との調整を済ませていたのかもしれないし、土壇場での微妙な文言調整を嫌ったのかもしれない。いずれにせよ、中国の分断工作というよりは、カンボジアの生硬な議長役に、コミュニケをまとめられなかった主因を求めるべきである。

中国に関する文言をめぐって内部対立が露呈したASEANだが、AMMの「失態」から旬日を経るか経ないかのうちに、南シナ海をめぐる対中国政策を再確認できた。すなわち、ASEANが中国との間で南シナ海問題をめぐる行動規範を早期にまとめることで合意したのである。

このとりまとめにはインドネシア外相が大きな役割を果たしたと言われている。もちろんASEANがまとまったからと言って、ただちに中国に対する影響力が高まるわけではない。しかし、2012年のAMMにおける前代未聞の失態を、ASEANの「亀裂」としてあまり重視すべきではない。実際、8月末にカンボジアを議長国として開催されたASEAN経済相会議(AEM)や一連の閣僚会議では、亀裂の影響はなく、さまざまな成果を生んだ。ASEANの将来は、もう少し長期的な視点に立って展望すべきだろう。

ASEANが目指す地域平和と安全

第2次世界大戦後、相次いで独立を果たした東南アジア諸国は、互いの紛争や外部からの干渉などにより、戦乱や政治不安に見舞われ続けた。そのような環境下で、相互不信を乗り越え、安定を模索しようとしたのがASEANに結集した国々であった。1970年代後半には、社会主義化したインドシナ諸国とASEANとで東南アジアが二分されたが、東南アジアの平和と安定は東南アジア諸国にとってはもちろんのこと、日本にとっても重要な戦略目標であり、1977年には「福田ドクトリン」と呼ばれる地域外交方針を明示して、ASEAN支援を約束するとともにASEANとインドシナの平和共存を訴えた。

東南アジアに平和が訪れるのは冷戦の終結を待たなければならなかったが、1990年代末までにはすべての東南アジア諸国がASEANに加盟して、ASEANという制度の下で東南アジアの平和と繁栄がもたらされることになった(後に東ティモールが独立し、2012年10月現在、未加盟である)。すでに1976年に当時の ASEAN加盟国は東南アジア友好協力条約(TAC)を締結して、相互の紛争の平和的処理にコミットしたが、TACは全ASEAN加盟国の相互関係の基礎になっただけでなく、域外諸国がASEANと緊密な関係を制度化する際の基礎にもなったのである。

戦略の要は周辺大国とのバランス

ASEANは、東南アジアの平和と安定には周辺大国のバランスのとれた関与が肝要であるという戦略を持っている。そのひとつがアジア太平洋地域における政治・安全保障問題を議論するASEAN地域フォーラム(ARF)である。冷戦後まもなく、日・米・中・露など域外諸国外相も参加して年次開催されるようになり、今では20カ国以上が参加している。しかし、ARFを基礎にアジア太平洋の安全保障を高めようとするASEAN側の目標はあまり進展していない。ASEAN自身は、ASEAN共同体の一環として、ASEAN政治安全保障共同体(APSC)を創設しようとしており、その関係でASEANは外相会議(AMM)だけでなく、防衛相会議(ADMM)を開催するようになった。2009年には、域外主要8カ国(日本、中国、韓国、アメリカ、ロシア、オーストラリア、ニュージーランド、インド)から防衛相を招いてASEAN拡大防衛相会議(ADMMプラス)を主催した。さらに、2005年に始まった東アジア首脳会議(EAS)には、2011年からアメリカとロシアが加わり、ADMMプラスと同じメンバーで集まるようになった(ASEAN+8)。

このようにASEANを中心とする広域制度が発達する中で、その間隙を縫うように、南シナ海の管轄権と領有権をめぐる対立が深刻化している。中国がこの海域に関心を示すようになったことに対し、ASEANは1990年代初めから危機感を高め、紛争の平和的解決の基礎となる行動規範の策定を呼びかけてきた。今日にいたるまで、ASEANと中国との間でいくつかの合意はできたものの、肝心の規範化は全く進展していない。中国の海洋進出はますます顕著になり、それに比例して東南アジアの地政学的重要性が再認識されるようになっている。言うまでもなく、東南アジア諸国が太平洋とインド洋をつなぐ南シナ海、豪亜地中海(Australasian Mediterranean Sea)を取り囲んでいるからである。ASEAN+1(中国)の枠組みで問題の改善が困難なら、ASEANはもっと多角的な枠組み(例えばASEAN+8のEASやADMMプラス)で南シナ海問題を扱おうとするだろう。

域内格差の是正へ

既述のように、ASEANは2015年を目標にASEAN共同体の創設を目指しているが、とくに注目を浴びているのはASEAN経済共同体(AEC)の進展状況だろう。ASEANは東アジアにおける経済統合の先頭を走ってきただけでなく、東アジア全体の経済統合にも大きな影響を及ぼしている。こうした観点からもAECの将来に関心を払わざるを得ない。そもそもASEANは1992年に自由貿易地域(AFTA)の創設に合意し、2003年に当初の目標を達成した。それを受けて、2003年からさらなる統合を目指している計画がAECである。

AECはASEANを単一の市場・単一の生産基地にすべく、ASEAN物品貿易協定(ATIGA)、ASEANサービス枠組協定(AFAS)、ASEAN包括的投資協定(ACIA)を主要な枠組みにして、各種の自由化を進めている。「ブループリント」を作成し、「AECスコアカード」を発表してピアプレッシャーを与えようとしているが、計画通り順調に進んでいるわけではない。2012年4月にカンボジアで開催されたASEAN首脳会議では「プノンペン・アジェンダ」が合意され、ASEAN経済相会議(AEM)は2015年に向けて優先順位をつけるなどして、一層の具体化に取り組むことになった。

地域統合が進むにつれて、深刻さを増しているのが域内格差である。とくに1990年代後半にASEANが拡大したことで、それまで戦乱などで経済が停滞していたインドシナ3カ国とミャンマーという新規加盟国と既存加盟国との間に大きな格差が生まれた。この亀裂は、「ASEANディバイド」と呼ばれたこともある。すでに2000年の首脳会議で、域内格差是正を主目的とする「ASEAN統合イニシアティブ(IAI)」を掲げて、この問題に取り組む姿勢を見せてきたが、ASEANだけでは十分な成果を上げられないのは明らかで、域外からの支援が不可欠である。ひとつは1990年代初めからアジア開発銀行のイニシアティブで進められている大メコン地域(GMS:Greater Mekong Sub-region)開発計画であり、中国の一部・タイ・インドシナ・ミャンマーを縦横に結ぶインフラ整備が注目されている。日本も、1990年代初めからインドシナ・ミャンマーないしメコン地域(新規加盟の4カ国とタイ)の開発にさまざまな形で積極的に関与してきた。近年では、日本メコン首脳会議や外相会議を開催して、ASEAN域内の格差是正を後押ししている。

日本にとってのASEANの重要性

波紋を呼んだAMMの1ヵ月後、同じプノンペンでASEAN経済相会議(AEM)が開催された。ASEANと連携を深めている域外諸国の経済相も参加し、いくつもの会議が開かれたなか、ASEANとASEAN・FTAパートナー(日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、インド)との会議では、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)を具体化していくことが合意された。ASEANの亀裂どころか、「ASEAN+1」のFTAを束ねて、ASEAN+6のFTAを実現する構想である。ASEANは、日本を含む東アジアの繁栄を追求するうえでも、極めて重要な位置を占めている。

日本とASEANは、2011年11月の首脳会議で共同宣言(バリ宣言)をまとめて、5本柱の協力戦略をうたった。すなわち、戦略1:地域における政治および安全保障協力の強化、戦略2:ASEAN共同体構築に向けた協力の強化、戦略3:日本とASEANの結びつきを強化するための双方の連結性の強化、戦略4:より災害に強靱な社会の構築、そして戦略5:地域の共通課題および地球規模の課題への対処である。中でも、戦略2は極めて重要である。なぜなら、その他の戦略が実り多いものとなるためには、ASEAN自身の強化と統合の深化が必要だからである。

今後の鍵は民主化支援

強固なASEAN共同体が生まれるには、上記の域内格差の是正が不可欠である。しかし、さらに重要な鍵を握るのが、加盟各国のさらなる民主化だ。欧米諸国との協力の障害となってきたミャンマーの人権抑圧も、2008年憲法の制定以来、民主化の道を歩み始めた。2012年になると、ミャンマーに対する経済制裁の緩和や民間投資の急増など、明らかな関係改善が見られるようになり、ASEANと域外諸国との関係強化はもちろん、ASEAN域内の格差是正・後発地域の開発推進も行いやすくなった。日本にとっても、ミャンマーへの支援、さらにはメコン地域全体の開発への支援が容易となった。

ASEANは、さまざまな亀裂が入りやすい構造をしている。いたずらに、亀裂が入ったと警戒したり、問題視したりせず、ASEANを亀裂が入りにくい構造に持っていくことが、日本にとって望ましい東南アジア、望ましい東アジアを構築する大前提である。

(2012年10月5日 記)

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  • [2012.11.14]

青山学院大学国際政治経済学部教授。1949年生まれ。1974年東京大学大学院社会学研究科修士課程修了ののち、米国マサチューセッツ工科大学大学院博士号取得(政治学専攻)。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授などを経て、2012年4月より現職。主な著書に、『新しいASEAN―地域共同体とアジアの中心性を目指して』(アジア経済研究所、2011年)、『東アジア地域主義と日本外交』(日本国際問題研究所、2003年)などがある。

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