特集 東アジアの新たな国際環境
「東アジア」概念の変遷と地域協力

宮城 大蔵【Profile】

[2012.11.12] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 |

日中韓とASEANを含む「東アジア」地域協力の現状と課題を考える。

地域協力が生み出した「東アジア」

東アジアではこの夏以降、日中間の尖閣諸島、日韓間の竹島など、領土問題をめぐって激しい対立が次々に起き、現在もなお終息の気配が見えない。このような中では「東アジアの地域協力」を語る余地はないかのようにもみえる。しかし、ここ数カ月の摩擦からくる印象をもとに、日中韓といった国々の間の摩擦や衝突を宿命的なものととらえ、地域協力は不可能だと結論づけるのは、大きな誤りであろう。実のところ、本特集で言う「東アジア」という地域概念そのものが、以下で見る通り、ここ20年あまりの地域協力の進展の結果として生まれたものなのである。

まずは「東アジア」という一見なじみがあるようで、実は曖昧な地域の概念について考察してみよう。今日、多くの日本人が「東アジア」と聞いて想像するのは、どのような範囲であろうか。一つのイメージは日本、中国、朝鮮半島などからなる北東アジアの国々であろう。地理的に近接し、漢字や箸(はし)といった中国文明の影響を共有し、古来から交流の深かった中国や朝鮮半島に対して、日本人が自国と同じ地域(=東アジア)だと感じるのはごく自然なことであろう。実際、近年に至るまで日本で「東アジア」といえば上記の範囲を意味した。

しかしその一方で最近では、もう一つのイメージと範囲を持つ「東アジア」が登場し、かつその重要性はますます高まっている。それは日中韓に加えて東南アジア諸国を含む地域を指して「東アジア」と呼ぶ地域概念である。かつては日中韓など従来からの「東アジア」に対して、「広義の東アジア」と言われる場合も多かったが、最近では単に「東アジア」とされることが多い。本特集で用いる「東アジア」もこちらの「広義の東アジア」であるし、鳩山由紀夫首相が「東アジア共同体」を提唱したときも、その範囲は日中韓とASEAN(東南アジア諸国連合)諸国を中心とした「広義の東アジア」であった。

「狭義の東アジア」から「広義の東アジア」へという変化は、なぜ、どのようにしておきたのであろうか。そこで鍵になったのが、地域協力に他ならない。その経緯を振り返っておこう(以下、「東アジア」というときは「広義の東アジア」を指す)。

ASEANを含む広義の「東アジア」の誕生

公的な用語として日中韓とASEAN諸国をあわせて「東アジア」と呼んだ最初の一人は、マレーシアのマハティール元首相である。マハティールは1990年、EAEC(東アジア経済協議体)を提唱した。ASEAN諸国と日中韓で、経済問題を協議する場を作ろうというのがマハティールの提案であり、その背景にあったのは世界の貿易秩序が米欧主導で議論されていることに対するマハティールの不満であった。しかし米国は自国がアジアから排除されることになるとして、この構想に強く反発した。米国の反対姿勢を前に、当初はこの構想に前向きであった日本も、オーストラリアやニュージーランドが参加することが条件だとして消極的な姿勢に転じた。結局EAECは日の目を見ることなく終わった。

しかしEAECが提起した日中韓+ASEANという地域協力の枠組みは、思いがけない形で実現することになった。そのきっかけとなったのが、1997年におきたアジア通貨危機である。構造調整を条件にしたIMF(国際通貨基金)の支援によってさらなる状況悪化に追い込まれたASEAN諸国が支援を求める形で、日中韓三カ国の首脳をASEAN首脳会議に招き、経済危機への対応などを協議したのである。その成果は通貨危機の再発を防ぐべく、ASEAN+日中韓が互いに外貨の融通を行うスワップ協定として結実した(チェンマイ・イニシアチブ)。この背景には、これらの諸国の間で経済的な相互依存関係が深まっていたことがあった。一国の危機が地域全域に連鎖することを防がなくてはならないという認識が共有されるようになっていたのである。

また、これと前後してASEAN+3の枠組みで首脳会合や外相会合も行われるようになり、定期的に開催されることで制度化の色合いを強めていった。2005年にはクアラルンプールで、ASEAN+3にインド、オーストラリア、ニュージーランドも加えて第1回の東アジアサミットが開催されるに至った。

このような過程を通じてASEAN+3を「東アジア」と呼ぶことが増え、「広義の東アジア」は新たな地域概念として徐々に定着していった。まさに地域協力が「東アジア」を作り出したのである。

中台、南北朝鮮の分断国家を抱える北東アジアの難しさ

以上の経緯から明らかなように、「広義の東アジア」が成立する上で触媒の役割を果たしたのはASEANであった。逆に言えば、ASEANなしに最初から日中韓の三カ国だけで協力関係を構築するのは、非常に難しいことであった。日中韓の首脳は1999年以来、ASEAN+3の場に同席するようになったが、日中韓だけで独立した首脳会談を行うようになるには、2008年まで待たなくてはならなかった(第1回日中韓首脳会議)。

北東アジアで地域協力が難しい理由はどこにあるのか。東南アジアとの比較で考えてみよう。今日でこそアジアにおける地域統合の代表例と見なされるASEANであるが、1967年にASEANが成立したとき、それが本当に求心力を維持して安定的に存続できるのか、疑う声も少なくなかった。ASEANの中核国であるインドネシアやマレーシアはASEAN結成の直前まで、泥沼の紛争状態にあったのである(マレーシア紛争)。しかしコンセンサスを重んじる「ASEANウェイ」と言われた柔軟な運営方式もあってASEANは曲がりなりにも団結力を維持し、やがて加盟国も東南アジア全域に広がって、アジアにおける地域統合の代表例と見なされるようになった。東南アジア諸国はASEANを中心に、1960年代後半以来の地域統合の長い経験を持っているのである。

これに比べて北東アジアはどうか。この地域の特徴は、世界的な冷戦が終わった21世紀になってもなお、中国と台湾、そして韓国と北朝鮮という、二つの分断国家が存在していることである。世界でこのような地域は他に例をみない。言い換えれば、二つの分断国家と、かつてそれらの国々を侵略し、植民地化した日本で構成されているのが北東アジアなのである。北東アジア諸国の間の関係も、このような冷戦の分断線と戦争にまつわる負の歴史を反映した複雑なものであった。

依然として国交のない日朝

たとえば日本と韓国の国交樹立交渉は植民地支配をめぐる議論でしばしば紛糾し、冷戦下で同じ自由主義陣営に属していたにもかかわらず、日韓国交正常化が実現したのは第二次世界大戦の終結から20年も経た1965年であった。日本と中国(中華人民共和国)が国交を樹立したのは1972年で、日本はこれと同時に、関係が深かった台湾(中華民国)との外交関係を断絶することになった。一方で、韓国と中国の国交が樹立されたのは東西冷戦終結後の1992年になってからであり、日本と北朝鮮の間には依然として国交はない。さらにいえば朝鮮戦争はいまだ休戦協定が結ばれているだけで、戦争が終結したとはいえない状態である。

このように日中韓の間で通常の外交が行われるようになったのは、歴史的な結びつきが深いという一般的なイメージとは裏腹に、比較的近年のことなのである。また、北東アジアの外交や地域協力に、台湾と北朝鮮をどう位置づけるのかという難問も残されたままである。その中で、北朝鮮の核開発について協議するために日米中韓露、北朝鮮がメンバーとなって2003年に始められた「六者協議」は、北東アジアにおける地域枠組みとして前例のないものであった。しかし北朝鮮は核兵器保有への道を突き進み、「六者協議」も事実上の閉会状態である。

地域協力は通貨・経済分野がけん引

さて、このような北東アジアと東南アジアとの違いを踏まえた上で、「広義の東アジア」における地域協力について概観してみよう。

おそらく「東アジア」として実質的な協力関係が最も進展しているのは、通貨をめぐる協力関係であろう。そもそもASEAN+3という枠組みが、アジア通貨危機への対応をめぐって成立したのは前述の通りである。当初、チェンマイ・イニシアチブは、ASEAN+3の各国が二国間で結んでいたスワップ協定のネットワークを意味したが、2010年にはこれを一つの多国間協定にまとめることで合意が得られ、地域協力という性格が一層明確になった。

東アジアにおいて、同じ経済の分野で近年活発化しているのが、FTA(自由貿易協定)や、貿易に加えて投資なども対象にするEPA(経済連携協定)といった貿易や通商に関わる協力関係である。中国とASEANとのFTA(2010年発効)や、日本とASEAN諸国とのEPA(2008年にシンガポールなど5カ国との間でスタート)が代表的なものであろう。またASEAN自体も、ASEAN経済共同体の実現を目標に掲げている。チェンマイ・イニシアチブが東アジア各国による多国間の枠組みとなっているのに対して、FTAやEPAは、日本とASEAN、中国とASEANといったように、東アジア全体をカバーするような形にはなっていない。また、APEC(環太平洋経済協力)やTPP(環太平洋経済連携協定)のように、「東アジア」という枠を越えて米国やオセアニアを包含するような枠組みもあるし、これら全体を包むFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)という構想も存在する。ただし貿易については、為替レートなど、FTAが関わる関税などとは別の要素も大きい。比重が高まるばかりの東アジアの域内貿易をより活性化するために、「アジア共通通貨」の創設を提言した日本のシンクタンクもあるが(※1)、国家主権が密接に絡む通貨発行が東アジアで共通化されることは、少なくとも近い将来においてはないであろう。ましてや昨今のユーロ危機である。

アジア通貨危機後の展開に見るように、アジアの地域協力をけん引してきたのは経済分野における協力であった。政治面においてはどうであろうか。前述のように、通貨危機を端緒としたASEAN+3の協力関係は、2005年に東アジアサミットが開かれるところまで進展した。東アジアサミットには2011年から米国とロシアも加わった。参加国の範囲が広がる一方で、地域統合の方向性や求心力が希薄になっていることは否めない。

政治分野の中でも安全保障となると、米国を抜きにして東アジアの秩序を語ることはできない。米国は日本や韓国と二国間同盟を結んで米軍を前方展開し、第七艦隊を配備するなど、軍事面において東アジアでも大きな存在感を有している。米国を含めたアジア太平洋地域を広くカバーする安全保障分野の枠組みとしてARF(ASEAN地域フォーラム)が存在するが、信頼醸成以上の意味を持っているとは言い難いのが現状であろう。

危機管理、福祉・環境などでも増す協力の重要性

こうして見てみると、東アジアにおける地域協力は経済分野、特に通貨をめぐって最も実質のある協力が形成されており、政治分野においては枠組みは存在するものの、定期的な協議の場という以上の実体を持つものは存在しない。それは結局のところ、東アジアにおける地域統合というものが、経済のダイナミズムによって実質的に作り上げられ、それを政治が後追いするという形で進んできたことの反映である。欧州統合が、政治の意思によってけん引されてきたこととは対照的である。

欧州統合と比べて東アジアにおける地域統合が進展しないことを嘆く論調があるが、欧州統合は、基本的にNATOという軍事的な枠組みの中で進められたものであった。現在の東アジアにおける地域統合の構図をあえて欧州に当てはめてみれば、それはNATOの存在なしにロシアを含めた共同体を作るという困難なものになるであろう。経済的な結びつきと安全保障面における枠組みのズレこそが、東アジア地域統合の最大の特徴であり課題だが、この点で欧州の事情は大きく異なるのであって、一方を安易なモデルとして考えればよいというものではない。

それでは東アジアにおける地域協力の方向性をどのように展望できるであろうか。そこには三つのレベルが存在すると考えられる。第一に経済のレベルであり、東アジアが世界経済の成長センターとなった今日、域内の経済的な一体化はますます進展し、中長期的にみればそれに見合った協力関係が整備されることになるであろう。第二は政治・安全保障のレベルである。中国の軍事的な台頭などによって、東シナ海や南シナ海で現在起きているような緊張は、ますます頻発する可能性もあるだろう。それを軍事衝突や本格的な紛争に発展させないための危機管理が、一層重要になるであろう。軍事バランスの維持や国際法の遵守なども、そのための手立てである。第三に高齢化に伴う社会福祉制度の整備といった問題や公害対策を含む環境問題など、東アジア共通の課題に取り組むための地域協力である。ここでは経済的な支援だけでなく、制度構築のための知見の提供や人材育成といった面での協力も重要になるであろう。

これら三つのレベルにおける地域協力は、しばしば異なるタイムスパンや異なる方向性をもって動き、三つのレベル全体を整合的に捉えることは容易ではないかもしれない。しかしそれが東アジアにおける地域協力の実態なのであり、それは東アジアという地域そのものの様相を反映しているのである。

  ASEANを中心とする地域協力の歩み
1967年8月 バンコクで東南アジア5カ国外相会議。東南アジア諸国連合(ASEAN)設立宣言。設立目的(1)域内における経済成長、社会・文化的発展の促進。(2)地域における政治・経済的安定の確保。(3)域内諸問題に関する協力。原加盟国:インドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイ
1977年8月 マニラで福田赳夫首相(当時)が「日本とASEANは対等なパートナーである」などの原則を示す「福田ドクトリン」を表明。
1984年1月 ブルネイ、ASEAN加盟。
1990年 マハティール首相(当時)がEAEC(東アジア経済協議体)を提唱、緩やかな地域経済協力を唱えるが、米国の反発を受け実現せず。
1995年7月 ベトナム、ASEAN加盟。
1997年7月 ・ラオス、ミャンマー、ASEAN加盟。
・タイを震源地としたアジア通貨危機。
9月 クアラルンプールでのASEAN首脳会議に日中韓の首脳が招待される。
ASEAN+日中韓が外貨の融通を行うスワップ協定(チェンマイ・イニシアチブ)が成立。 
1999年4月 カンボジアの加盟でASEAN加盟国10カ国となる。
11月 マニラでASEAN+3(日中韓)首脳会合。「東アジアにおける協力に関する共同声明」で、経済・社会、政治等の分野の協力に関わる共同作業を実施していくことで合意。
2005年12月 クアラルンプールで第1回「東アジアサミット」(EAS)。
ASEAN+3、インド、オーストラリア、ニュージーランドの16カ国が参加。経済連携の強化のみならず、テロや鳥インフルエンザ、エネルギー問題など域内外の共通課題について協議し、多国間で対話する枠組みを作ることに合意。
2011年11月 バリで第6回EAS。米国・ロシアが正式参加。「ASEAN連結性に関するEAS首脳宣言」の採択を機に東アジア全体の連結性が優先分野に加わる。

(※1)^ 「政策提言:2030年代を見据えた国際経済・金融体制の展望」平和研ニューズレター(Vol. 21, No. 1)、2009年4月。

  • [2012.11.12]

上智大学総合グローバル学部准教授。1968年生まれ。立教大学法学部卒業後、NHKで記者を勤めたのち、一橋大学大学院に入学。政策研究大学院大学助教授などを経て、現職。著書に『「海洋国家」日本の戦後史』(ちくま新書、2008年)、『戦後アジア秩序の模索と日本—「海のアジア」の戦後史 1957-1966』(創文社、2004年)など。

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