特集 日本語を学ぶ
私の日本語の学び方:シリン・ネザマフィ(作家)
テレビの字幕が放つ刺激とマンガの誘惑

シリン・ネザマフィ【Profile】

[2013.05.27] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

イラン出身で小説を日本語で執筆するに至ったシリン・ネザマフィさんにとって、日本のテレビ番組が多用する字幕や、洗練された表現方法に満ちた漫画が言葉の習得に大いに役立った。

言葉は、生き物のように呼吸をしながら進化して行く。その時代を表現したり、新たな感情を生み出したり、常に人間のニーズに合わせて形を変えたりするのだから、たとえ言語学者であっても、学び切るのが難しい。

それは外国語においてだけではなく、母語であっても同じだ。私は母語であるペルシャ語で本や雑誌が読めて、普通の会話もきちんとできるのだけれど、詩を読むとなると言葉が突然解読不能になって、母語で書かれているのに、どうしてこんなにも理解できていないんだと、落ち込んでしまう。

言葉は、生きていることに加え、さまざまな顔も持つ。日本語の顔と言えば、古文や敬語、四字熟語、カタカナの略語、おじさんの駄じゃれやギャル言葉などなど。そのそれぞれが奥深く、ダイナミックで知り尽くすのが難しい。

だから私は外国語としての日本語を話せたとしても学べたとは言えない。ここでは、どのようにして日本語で自分の意志を伝え、それが誤解なく相手に伝わりコミュニケーションできるようになったのか、振り返ってみたい。

表情豊かなバラエティー番組の字幕

日本語での意思疎通には、やはりテレビの存在が大きかった。それは、ドラマ、ドキュメンタリーや報道番組ではなく、飾り気のない庶民感覚の会話が入っているバラエティー番組だった。

日本のバラエティーは独特だ。それは、ボケやツッコミの世界だけでも十分独特だが、それ以上に特別なのは、出演者がしゃべっている内容を字幕として写し出すことだ。

字幕は映画の画面だけに現れるとずっと思っていた私は、あのダイナミックな日本語の字幕を見た時、本当に驚いた。字が突然現れたり、消えたり、変色したり、太くなったり、ずり落ちたり、崩れたり、トゲトゲだったり、爆弾のように破裂したりして、最初は面白いアートのような感覚で見ていたがある時、その字幕が自分に及ぼす大きな影響に気づいた。

字幕の豊かな動きがさまざまな感情を表していた。面白い、悲しい、笑うところ、滑ったこと、ツッコミのポイント等。自分の文化にはない表現や慣れていない日本特有の感情さえも、バラエティーの字幕を通して理解できるようになった。

脳がまだはっきりと日本語を解読できていない段階だったからぼうぜんと見つめていた字幕の変化を、まず目が見て、その次に耳が声のトーンを記憶して、やっと脳がその言葉を生み出した状況を理解する。

さらに、日本語はアルファベットではなく、単独でも意味を持つ漢字という文字から形成されているため、音だけでは区別がつかない。似ている音でも違う意味の単語はたくさんあるから、漢字を見ることが必要だ。

バラエティーの字幕でまず漢字を見て、その漢字と出演者のリアクションを照合させることで単語を覚えて行くようになった。最初は、知らなくてもいい言葉、芸人が使う表現までも脳に記憶されていたのだが、友達から何度か指摘を受けている内に、そういう言葉を普通の人は使わないんだと、だんだん日本語の常識も追いついて来た。

スーパーの外で風を受けて揺れるのぼり旗の前を車で通り過ぎると卵、牛乳、米、半額という貴重な情報が一瞬にして頭にインプットされる現象は、漢字の国ならではの話だ。

ローマ字と違って漢字は読む必要なく、視覚によって認識されるのにそれほど時間がかからない。さらに視覚による記憶が聴覚による記憶よりもはるかに強いため、漢字の字幕は、言葉の学習に効果的だと思う。

恐ろしいほど面白い日本のマンガ

相手に言いたいことを日本語で伝え、相手の話を理解するところで、テレビは大いに活躍してくれた。だがその次のステップとなった日本語での読書や執筆に関しては、やはり漫画の存在は大きかった。

絵と文字と想像の世界である漫画は、恐ろしいほどに面白い。そして、パワフルな道具。子供のころ、テレビで見るアニメだけでなく、読む漫画も大好きだった。それは描写が細かく、動きが鮮明に描かれ、手の込んだコマ割りが美術館での保管に値する日本の漫画ではなく、主に絵が単純ながらもストーリーの展開が面白いヨーロッパの漫画だった。子供のときに、「タンタンの冒険旅行」(※1)や「アステリックス」(※2)の全巻を読んだりして、漫画は身近な読み物だった。

その後、漫画王国である日本への留学をきっかけに、漫画への興味が一気にエスカレートし、漫画喫茶で8時間連続して全巻を読み切ったこともしばしば。リアルに迫力のある描写、ストーリーの展開、ところどころ崩された絵でさえ笑いを取る遊び心が満載の漫画の誘惑に吸い込まれていった。

テレビのバラエティーとその字幕は日本語での意思疎通の道を開いてくれ、漫画が日本語で小説を書く世界に誘導してくれた魅力的なミューズだった。振り返ってみると、日本語の学習は、発見に満ち溢(あふ)れ、本当に楽しいプロセスだった。

(2013年5月7日 記/記事上写真=アフロ)

(※1)^ ベルギーの漫画家、エルジェによる作品

(※2)^ 1959年に始まったフランスのコミックシリーズ。

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  • [2013.05.27]

1979年イラン・テヘラン生まれ。1999年に来日し、翌年神戸大学工学部入学。2006年同大学大学院修士課程修了(専攻は情報知能工学)。同年「サラム」で留学生文学賞、2009年「白い紙」で第108回文学界新人賞。著書に「白い紙/サラム」(文芸春秋/2009年)。現在はアラブ首長国連邦在住。

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