一票の平等を目指して
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日本では国会議員が「主権者」
民主主義国家では、主権者である国民がその多数意見に基づき、国会議員を通じて国家権力(行政権・立法権・司法権)を行使する。
この代議制民主主義は――
(1)「主権者は国民」
(2)「正当な選挙」
(3)「国会議員の多数決」
の3本柱から成り立つ。
「正当な選挙」とは、主権者である国民の多数決と、国会議員の多数決を等価値にする「変換ソフト」であり、一選挙区の人口が、全選挙区で同じとなる選挙制度(人口比例選挙)によって実現可能となる。
日本の国会議員は人口比例選挙によって選ばれておらず、国会議員の多数決が国民の多数意見である保障がない。少数の国民が選出した国会議員が多数決によって立法し、行政の長である総理大臣を指名している。よって現在の日本では国民ではなく、国会議員が主権者となっている。
議員一人当たりの人口差
人口比例選挙と非人口比例選挙の具体例を示そう。
米ペンシルベニア州には連邦下院選のために19の選挙区が存在した。(※1)各選挙区の人口は最大で64万6372人、最少64万6371人で、これらの選挙区間の人口差は〝1人〟だった。
日本の参院選挙の選挙区で、議員一人当たりの有権者数は、最大の北海道で114万3913人、最小の鳥取県で24万0462人。その差は90万3451人である。(※2)
衆議院の小選挙区は、本年6月に国会が可決し、5県で選挙区を3から2に減らした「0増5減」の新しい選挙区割りで、人口の最大差は東京16区(58万1677人)と鳥取2区(29万1103人)の29万0574人である。(※3)
ペンシルバニア州における選挙区間の人口差〝1〟と、日本の衆院選小選挙区の人口差〝290574〟の間には天文学的な開きがある。
また、裁判所の判断から立法までの日本とペンシルベニア州のスピードの大差にも驚く。
米国連邦地裁は2002年4月8日、ペンシルベニア州の選挙区間の最大人口差19人を「違憲」と判断し、憲法に沿った選挙区割りとなるよう3週間以内の法改正を同州議会に命じた。議会は、裁判所の命令から9日後の4月17日に法を改正し「最大人口差」を〝1〟とした。
一方、日本では1976年に、最高裁が衆議院選挙での一票の格差を違憲とする判決を下した。だが「0増5減」に沿った衆院選の新選挙区割りでも、一票の最大格差1.998倍が存在する。
人口比例選挙はよその国でやっている。日本でやれない訳がない。
選挙を無効とした場合の不都合を考えた「事情判決」
2012年12月の衆院選での「一票の格差」をめぐる裁判で、本年4月までに17の高裁判決が下された。判決の内訳は――
(1)「選挙は違憲・無効」が2
(2)「選挙は違憲・違法」(「事情判決」ともいう)が13
(3)「選挙は違憲状態」が2
であった。
(1)の「違憲・無効判決」では、訴訟の対象となった選挙区の議員は資格を失う。(2)の「違憲・違法判決」では、裁判所は「事情判決の法理」を適用し選挙を無効とせず「選挙は違憲、違法である」と宣言するにとどめ、選挙を有効とする。従って議員は資格を失わない。
「事情判決の法理」とはさまざまな事情を総合的に考慮し、「提訴の対象となった選挙を無効とした場合の不都合を回避する」という法理論である。
1983年の衆院選を違憲としたうえで「事情判決の法理」を適用した1985年の最高裁判決は、「選挙は違憲でありその結果は無効」との判決が出た選挙区からの議員がゼロとなる間に、他の選挙区から選出された議員が選挙法を改正する――という「不都合」を回避する、と述べている。
であれば、全ての選挙区における提訴により全選挙区の選挙が違憲となれば、選ばれた候補者全員が議員の資格を失うので、従来の「事情判決の法理」は適用不可能となる。このため私の仲間である有権者有志は全47参院選選挙区において、2013年7月21日の参院選の無効を訴える裁判を投票日の翌日に起こす。
今回の参院選で選挙区から当選した73人の議員が選挙無効により資格を失っても、比例代表区の96議員(改選48)と、非改選だった73人議員の計169人で、参院決議の定足数(定員242人の3分の1である81人)を満たす。よって今回の参院選挙で選挙区選出の73議員が、違憲・無効判決によって資格を失っても、参院での立法に何ら不都合は生じない。
米国では州政府に「一票の格差」を説明する責任がある
米国連邦下院の人口比例選挙に対し、日本の小選挙区間で人口の大差が存在し続けてきた唯一の理由は、日米の最高裁判決文中の「立証責任」の明記の有無にある。
日本の最高裁判決は「(1)憲法は投票価値(一票の価値)の平等を要求しているが、それは絶対的な要求ではない。(2)投票価値の平等は、立法裁量権の合理的な行使によって調整され得る」とするが、立法裁量権の行使に関して合理性があるとの立証責任を政府が負う、とは明言していない。
一方、米連邦最高裁は1983年の判決文で「(1)投票価値の平等は絶対ではない。(2)選挙区割りが投票価値の平等から乖離(かいり)している場合には、その乖離が合理的であることの『立証責任』を各州政府が負う」と明言している。
つまり日米の最高裁は「一票の価値の平等は絶対ではない」とする点では、一致している。両者の違いは政府による立証責任の明確化にある。日本の最高裁は、一票の価値の格差に合理性がある、との立証責任は政府にあるとは明言していないが、米最高裁は、立証責任は各州政府にある、と明言している。
「立証責任」を負えば説明責任が厳しく問われる
立証責任を負った当事者が法廷で立証に失敗すれば、裁判所はその当事者の主張を認めない。「立証責任を負う」とは厳しいルールである。
仮に裁判所が「現行の選挙制度下で各有権者の一票の価値に乖離がある場合、政府はその乖離に合理性があるとの立証責任を負う」と判決したとしよう。
この場合、政府が乖離の合理性を立証できなければ、裁判所は「現行の選挙は憲法違反かつ無効」との判決を下す。
米最高裁は、選挙区割りが人口比例選挙から乖離している場合、乖離の合理性を立証する責任は州にある、と判断した。
上記のペンシルベニア州の例では「選挙区間の、19人の人口差は憲法違反」とする選挙人の提訴に対し、立証責任を負う州政府は、人口差がわずか19人であっても、「その人口差は合理的」と立証できなかった。この結果、米国連邦地裁は「州政府は、立証責任を果たせなかったので、選挙区割りは違憲」との判断を下した。
一方、衆院選の無効を訴える裁判では、今年3月に福岡高裁(西謙二裁判長)と東京高裁(難波孝一裁判長)は、「(一票の格差に)合理性があることの『立証責任』は国にある」と明言する歴史的判決を下した。これら二つの高裁判決は「立証責任は政府にある」という点で、米最高裁判決と同じである。
私は今後、多くの高等裁判所、さらには最高裁判所が「憲法は人口比例選挙を要求しているが、現在の選挙制度は、人口比例選挙ではない。よって選挙は憲法違反であり無効である」との判決を遅滞なく下すであろう、と予測する。これらの判決によって、日本は非国民主権国家から国民主権国家に変わる。
(2013年6月24日 記)
写真=参議院選挙で投票する有権者。(2013年7月21日・東京都 AP/アフロ)