特集 日中関係の現場で本当は何が起きているのか
心を尽くせば気持ちは必ず通じる
中国への日本式糖尿病医療輸出を通じて学んだこと

飯塚 陽子【Profile】

[2014.08.15] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | العربية |

日本式の糖尿病医療をセットで中国に持っていく——日中関係の険悪化で中断してしまったこのプロジェクトの中心となった医師が体験したのは、政治とは全く関係がない、治療を求める患者と医師の心の通った交流だった。

「糖尿病大国」中国の現実

中国が、今や世界一の「糖尿病大国」であることをご存知でしょうか。生活習慣の変化などを背景に患者は急激に増加し、国際糖尿病連合によれば、有病数は9,240万人に達する(2010年)とされているのです。

そんな中国において、2011年度に上海、12年度に杭州で実施された「日本式糖尿病診療サービス」調査研究事業に、私は提案・企画・医師として参加しました。経済産業省が主導する「医療サービス国際化推進事業」の一環として、日本の医師、看護師、栄養士、薬剤師などで構成される医療チームが企業とコンソーシアムを形成し、実際に中国現地の病院で患者の診察、治療に当たるというプロジェクトです。

きっかけは、10年に中国から初めて講演に招かれ、併せて同国の医療現場を訪れたことでした。糖尿病治療に関して、それまで中国の目は欧米に向いていました。しかし、この病気は人種による違いの大きいことが一つの特徴です。私を呼んだのは、そのことに気づいて、アジアの中でも特に医療技術の進んだ日本に注目し始めたからだろうと思います。

そこで見学した治療の実態には驚きました。日本では、糖尿病治療といえば、食事療法、運動療法、生活習慣の改善が基本。それでも数値が目標以下にならない場合に、初めて薬物療法・インスリン療法等が加わります。それらの各ステージで看護師、栄養士、薬剤師、それに医師などが適切な指導、教育を行いながら、患者のモチベーションを引出し・持続させる、患者中心のエンパワーメント「チーム医療」がスタンダードなのです。しかし、中国ではそうした発想はまったくなく、治療はあくまで医師のトップダウン、薬物療法が中心。しかも、薬物の用量が欧米並みで日本の約2-4倍と高く、患者側には低血糖が頻発していることから、不信感も芽を出していました。

病院という「ハード」自体も、多くの問題を抱えています。中国のトップレベルの病院でさえ、音響を配慮した設計がされていなく、病院が大変騒々しく、また、一つの外来診察室で机を並べて、同じ部屋で4人の医師が同時に4人の外来患者を診るというのが現状でした。

そうした状況を初めて知った私は、ただ話をするだけでなく、日中の医療交流を本格的に進めることで、「糖尿病大国」に日本の知見や技術を提供し、広めることはできないか、と痛感しました。思いが通じたのか、ちょうどそのタイミングで、経産省が日本の優れた医療を丸ごと輸出する、という公募事業をスタート。渡りに舟とばかりに手を挙げた、というわけです。

親身の診療に目の前で泣き出す患者

第1回の上海への派遣は、11年の10月。市内の病院に「日本式糖尿病クリニック」を設置して、中国人糖尿病外来患者に対して医師による診療、看護師による糖尿病教室、栄養士による食事指導などを、無償で行いました。その効果は一目瞭然で、体重の減少のほか、血糖値、血圧や脂質など調べたすべての項目において改善が見られ、しかも我々の外来に受診回数の多い患者ほど、改善効果がより顕著である、という成果を上げることができました。

ただ、そんな患者さんたちの反応は、私たちの予期しないものでした。例えば、私の診察の後、看護師や栄養士のところを回った患者さんの多くがわざわざ戻ってきて、「こんなにたくさんの方が、私一人のためにいろいろしてくれて、ありがとうございました」と頭を下げて、全員笑顔で帰っていくのです。反対に、目の前で切々と症状を訴えていた人が、突然涙をあふれさせたのにもびっくりしました。理由を尋ねると、「今まで、自分の話をこれほど親身になって聞いてもらったことはなかった」そうなのです。そんな患者さんたちの姿に驚き、感激して、「この信頼関係で好循環のチームに加わりたい」と話してくれた中国人の医療スタッフもいました。

調査でも、「日本式」に対する患者さんの満足度は極めて高いものでした。症状の改善とも合わせ、チーム医療の理念、大切さを再確認することができたのです。

尖閣「反日デモ」でも現場は変わらない

こうしてスタートは順風満帆に見えたプロジェクトでしたが、思わぬところで障害に見舞われることになってしまいました。12年に、尖閣諸島問題を契機に中国で起こった反日運動、反日デモの影響を、もろにかぶってしまったのです。

実はこの年には、「日本式の糖尿病チーム医療」をより深く・より広く推進するため、上海では有償で取り組み、新たに広州にも展開させる計画でした。ところが、両方の病院は急遽NGに。恐らく、苦渋の決断だったのでしょう。

一方、そうした状況にもかかわらず、新たに杭州から「ぜひ来てください」という強い要望がありました。私たちの側に、戸惑いの気持ちがまったくなかった、と言えば嘘になるでしょう。病院の上層部がゴーサインを出していたとしても、個々の患者さんのレベルでは、日中関係の悪化を反映して、特別な思いを抱いているかもしれません。プロジェクトメンバーは、そうした点にも細心の注意を払いながら、1年目以上に高いレベルのサービスを提供しよう、と決意を固めあって現地に向かいました。

しかし、行ってみると、我々のそんな心配はまったくの杞憂に終わりました。患者さんたちは、上海の時と同じように「日本式」に満足し、心から感謝の言葉を述べてくださいました。病院関係者も、やはり日本のチーム医療の価値を認めて、「またぜひ来てほしい」と言ってくれたのです。また、我々が帰国後、杭州の病院は全職種において希望者を募集し、日本に研修に派遣するという方針を決めたということです。少なくとも、私が接した中国の患者さんや医療従事者に、国と国とのいさかいを気にしたり、それを理由に態度を変えたりする人は皆無でした。

80歳上海男性からの手紙で深めた確信

2年間の中国でのプロジェクトを通じて私が最も学んだことは、医療の現場では、こちらが献身的に尽くせば、その気持ちはどんな相手にも必ず通じる、信頼関係が醸成できる、ということです。お互いの違い(文化・風習・理念等)を尊重し合い・認め合い、お互いの強みを活かし、より心が通い合えるような、よりwin-win効果が得られるような交流は、恐らく対中国人、アジア人に限らない、真の交流であり、「真理」なのだろうと思うのです。

上海の患者からの感謝の手紙

私は80歳です。糖尿病にかかって30年になります。元々は糖尿病を大したものと思わず、自然の成り行きに任せていていいと思っていました。しかし、皆さんの指導を受けるようになってからは、毎日合理的な食生活・運動を継続するようになり、病状の改善が自覚でき、健康生活に対しても自信がもてるようになりました。日本と中国の合同外来に感謝いたします。皆さんが数カ月にわたり、疲れを知らずに中日両国の間で奔走されていることに対し敬意を表します。
中日人民友好万歳!

患者 ●●● 拝

上海の病院で、我々の外来に5回通った80歳の男性が、最後の診察の時に渡してくれた手紙を紹介しましょう。この方は、それまで、「あれも食べるな、これも食べるな」と言われ、気分は沈み、半ば鬱(うつ)のような状態だったそうです。それが、我々の「カロリーとバランスに注意すれば、食べても大丈夫」という指導を受けることにより、症状も改善に向かい、糖尿病に前向きに向き合う気持ちが生まれました。手紙を読んで、我々のやっていることは、ただ症状を改善させるだけではなく、人の人生も変えることができるのだと感激し、あらためて確信を深めることができました。

「国と国」を超えて、日中医療交流に貢献したい

実は私は、父が中国人、母が日本人のハーフで、16歳まで中国で暮らしていました。そうした生い立ちからも、日本で学んだ知識や技術をベースにした日中の医療交流を推進することが、長年の夢であり、私自身に課せられた使命だと思っています。

人口が減少する日本では、「日本式」の優れた医療を受ける人たちも減っていきます。これを輸出することは、他国の人たちの健康に貢献するためだけでなく、人類共通の財産で、限られた資源である技術の維持、発展のためにも有意義なことだと考えます。

残念ながら、経産省の中国向けのプロジェクトは、2年間で休止を余儀なくされました。でも、「ぜひ来てほしい」という病院は、今でもたくさんあります。何らかの形で再開できるよう、これからも努力を続けたいと思っています。

できれば、今後中国とは、糖尿病を軸とした予防、診断、治療のネットワークを確立したい。また、臨床だけでなく、教育、研究の協力拠点を構築していきたい。さらに、糖尿病分野のみならず、日本の優れた医療技術におけるあらゆる分野での協力体制の構築を目指していきたい。それが私の目標です。

(構成・南山武志、写真・コデラケイ)

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  • [2014.08.15]

東京大学医学部附属病院 糖尿病・代謝内科 助教、医学博士。1969年中国生まれ。16歳の時来日、東京大学医学部卒業。経済産業省国際医療交流調査研究事業委員、日中医学協会日中医療交流協議会委員。2014年、第10回中曽根康弘賞 奨励賞受賞。

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