特集 「ビッグデータ」がもたらす未来
ビッグデータの活用に向けた日本の課題

関口 和一【Profile】

[2014.10.17] 他の言語で読む : ENGLISH | ESPAÑOL |

「上手に分析すれば社会や経済活動に大きなメリットがある」――。こんな期待の一方で、プライバシー侵害の不安も消えないビッグデータ利用の将来像。日本政府の制度改正に向けた動きを解説する。

個人情報保護法、2015年度に改正を視野

安倍晋三政権の情報通信政策「新たなIT戦略」の実現に向け、政府のIT総合戦略本部が新たな法整備に乗り出した。新戦略では「世界最先端IT国家創造宣言」を掲げ、行政情報の民間利用を促すオープンデータ戦略や、携帯情報端末などから得られる大量の情報を活用するビッグデータ戦略などをうたっている。その際に大きな課題となるのがセキュリティーやプライバシー保護のあり方だ。このため政府は2015年の通常国会に向け、個人情報保護法などの改正案づくりをIT本部を中心に進めている。

日本で包括的な個人情報保護法が国会で制定されたのは今から11年前、2003年のことだ。行政機関が保有する個人の電子データを保護する法律はそれ以前からあったが、各自治体の住民基本台帳を電子化した「住民基本台帳ネットワークシステム」が2002年に稼働したのを機に、個人情報保護に関する総則を設けることにした。というのも、住基ネットの導入にあたっては「国民総背番号制につながる」との指摘があったため、プライバシー保護政策を全面に掲げ、それを民間の経済活動にも適用し、国民の不安を払拭するという大きな狙いがあった。

「プライバシー保護」過度な反応も

個人情報保護法の基本的な考え方は、個人に関する情報は事前に本人に伝えた目的以外には使用しない、勝手に第三者には譲渡しないといったことを柱としている。欧州で導入されていたプライバシー保護規制を日本にあてはめたといえるが、導入後に予期せぬ様々な問題が生じた。つまり国民や産業界が新しい法律に過度に反応した結果、マンションや学校の名簿がなくなったり、病院から患者の名札がなくなったりといった問題が起きたのである。

2014年7月に教育サービス大手、ベネッセ・コーポレーションの情報漏えいが問題となったが、言い換えれば、学童に関する情報が住民基本台帳から得られなくなったため、名簿業者を介し、そうした情報が裏取引されるようになったことが背景にある。個人情報保護法の制定は、日本国民にプライバシー意識を育む意味では一定の成果を上げたといえるが、一方で誤った法律の解釈や行き過ぎた法律の運用のために、様々な経済活動の効率性や生産性が損なわれた面も見逃せない。

技術革新でビックデータ活用が可能に

そうした中で登場してきたのが、いわゆるビッグデータを巡る論議である。「ビッグデータ」という言葉は大型汎用コンピューター時代には、「情報量が多過ぎて処理が不可能なデータ」という意味で使われた。だが昨今の情報技術の進化により、現在では「上手に分析することで社会や経済活動に役立てるべきデータ」という意味で使われる。これには大量の情報をインターネットを介して保存・共有できる新しい情報技術の登場が見逃せない。

特に米IT大手のグーグルやヤフーなどが開発した並列処理技術の「マップリデュース」や「ハドゥープ」の登場が大きい。ソーシャルメディアやセンサー情報のような構造化されていない情報についても収集・分析が可能になったからだ。

そこで問題になったのが日本の個人情報保護法である。IT業界や産業界は米企業と同様、様々な情報を経済活動などに役立てたいと考えたが、顧客から預かったデータを本来の目的以外に活用するということは法律違反に問われかねない。政府のIT本部が法改正に向け重い腰を上げたのも、法律を制定した11年前と比べ、個人情報を取り巻くコンピューターやネットワークの活用環境が劇的に変わってきたためである。

さらにスマートフォンなどの新しい携帯情報端末の普及により、氏名や住所以外にも、本人を特定しうる端末IDやメールアドレス、顔認証データといったグレーゾーンにあたるデータが多数登場するようになった。こうしたデータをビッグデータとして大量に収集し、様々な目的のために活用するにはどんなルールづくりをすべきか、というのがIT本部の考えた課題設定だった。

法定義は見送り「第三者機関」設置の方向

このためIT本部は「パーソナルデータに関する検討会」を設けて有識者を交えた議論を展開し、2014年6月にまとめたのが「パーソナルデータの利活用に関する制度改正大綱」である。当初案では、氏名や住所などの個人情報と非個人情報の間にあるグレーゾーンのデータを2種類に分類し、匿名化すれば本人に断りなく利用できる「個人特定性低減データ(仮)」と、端末IDや顔認証データのような「準個人情報(仮)」という概念を新たに法律で定め、行政や企業などがどう使えばいいかを制度化する計画だった。

ところが、この案に対しては楽天の三木谷浩史会長兼社長が代表を務める「新経済連盟」などの産業界から反発の声が上がった。「技術革新の速い分野に拙速で法規制を持ち込むと後々、グローバルなビジネスの流れや技術革新に合わなくなってくる」というのが理由だ。IT本部はこうした意見が出てきたことから当初の方針は改め、まずは各業界で自主ルールを設けてもらい、その運用や基準などの正当性を判断する「第三者機関」を設ける形にした。この機関はもともと、社会保障と税の共通番号、いわゆるマイナンバー制度の導入に向け設置を定めた「特定個人情報保護委員会」の業務を拡大させたもので、個人情報保護法の改正案が通れば設置される見通しだ。

制度改正へ国民的なコンセンサス必要

だが、制度改正にあたっては、大きな課題が3つある。まず1つめは個人情報をビッグデータとして活用することに対する国民的なコンセンサスづくりである。それを象徴する事件が2013年6月に起きた東日本旅客鉄道(JR東日本)の電子乗車券「スイカ」をめぐる問題である。ビッグデータとしての活用を促すため、JR東日本の顧客の利用データを匿名化したものを日立製作所が購入し、第三者に提供しようとしたところ、利用者から「プライバシーを侵害する恐れがある」と反発を買った事件である。

この件については「匿名化の方法が十分でなかった」という指摘もあるが、個人情報保護法に照らせば必ずしも法律違反というわけではなかった。にもかかわらず強い反発を受けたのは、第三者である日立側から突然、新サービスの発表があったという信義上の問題があった。それから匿名化したとはいえ、自分の情報が勝手に使われるということに対する利用者の気持ちの悪さがあったことも見逃せない。その意味では、顧客データを利用することに社会的、合理的な理由があり、そのメリットを情報提供者本人も享受できるということを理解してもらう努力をまずすべきだったといえる。

海外ルールとのバランスが問題に

2つめは海外事業者と国内事業者とのビジネス上の競争条件をどうバランスさせるかという問題である。プライバシー保護について定めたEU指令によると、相手国の保護基準がEUと同等レベル以上でなければ、個人に関する情報をEU域外に持ち出せないとしている。政府が無事、新しい個人情報保護法を制定し、第三者機関を設けたとしても、それがEU側から見て十分だと判断されなければ、日本企業はEU域内において現地企業と対等に事業を展開することができない。現地の社員や顧客の情報をグローバルに一元管理できず、欧州企業に比べハンディキャップを背負うことになるからである。

また、ネット情報サービスで重要とされる「検索」「ソーシャルメディア」「セキュリティーソフト」は中国でも韓国でも国産の自前のサービスを持っているが、日本の場合はいずれも米国頼みとなっている。つまりグーグルやアップル、アマゾン・ドット・コムなどに情報を預けてしまった結果、自分のデータを自らコントロールできないといった課題を抱えている。プライバシー侵害の恐れがある情報の削除などを求めても、裁判管轄権の違いから、そうした要請に十分応えてもらえない可能性があるからだ。

第三者機関の位置づけも今後の焦点に

そして3つめが第三者機関の位置づけである。IT本部による現在の議論では、第三者機関は民間側が定めた自主基準にお墨付きを与えたり、問題があった場合に立ち入り検査などができるようにしたりする計画だが、第三者機関に過大な権限を認めれば、かえってそれが民間企業の活動を萎縮させたり、自由なデータの活用を阻む要因にもなりかねない。

米国には日本のような個人情報保護法はなく、産業界に自主ルールを義務づけ、それに問題があった場合には米連邦取引委員会(FTC)が厳しい処罰を下すことになっている。だが文化や国民性の違いがある日本では、同じような形は取りにくいだろう。重要なことはビッグデータの活用に向けた環境整備を進める一方、個人情報保護政策とのバランスを上手にとっていくことである。

IT本部が定めた「パーソナルデータの利活用に関する制度改正大綱」では、顧客情報などのデータを第三者に譲渡する場合、譲渡する側に匿名化などの安全対策を求める一方、データを受領した側にも制約を課すことにした。すなわち受領したデータに別のデータを照合することで本人を特定するようなことは厳しく禁じている。個人情報保護法の精神から考えれば、当然のことである。いずれにしても国民が安心して自らの情報を提供し、それをビッグデータ化することで目に見える便益を得られるような環境づくりを進めることが大切だといえよう。

ビッグデータの活用に伴う経済効果については、政府の試算によれば約7兆円といわれる。医療や交通、研究開発など、その効果は様々な分野に及ぶ。民間には20兆円を超す経済効果が得られるとの推計もある。米国ではこうしたビッグデータの効用をにらみ、データサイエンティストの育成やビッグデータ技術開発への資金援助などを国家を挙げて進めており、日本としては手をこまぬいている余裕はない。安倍政権による「新たなIT戦略」やビッグデータ戦略が着実に実行に移され、ビッグデータが日本の国際競争力の強化や国民生活の向上に活用されることを期待したい。

タイトル写真:見本市で顔認証システムのデモンストレーションをする女性(時事)。顔認証データのような「グレーゾーン」情報の取り扱いは、はっきりとした基準がまだ存在しない。

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  • [2014.10.17]

日本経済新聞社論説委員兼編集委員。1982年一橋大学法学部卒、日本経済新聞社入社。88-89年フルブライト研究員としてハーバード大学留学。90-94年ワシントン特派員。産業部電機担当キャップを経て96年より編集委員。2000年から論説委員として主に情報通信分野を担当。2006年より法政大学大学院客員教授、08年より国際大学グローコム客員教授。著書に『パソコン革命の旗手たち』(日本経済新聞社、2000年)『情報探索術』(日経文庫)など。

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